多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

PVまとめ 2024.3 おっと、どうした?!

というわけで、先月の結果である。

2024.3  833PV (先月比 +179PV  前年比 +57PV  107.3%)

突然の3桁PVデーが2日。一桁の日も数日あったこともあり、力強さは感じられないものの、なぜか、3/24前後にPVが急伸している。
いやいや、その影響とは感じたくないが……実は、この前後に「すずめの戸締まり」のドリパス上映があったのだ。しかも見られていたページの大半はこちら

いやはや、需要ってあるものだと思うし、解析厨と自称している私にしてみれば、この程度の重箱の隅は、考察も兼ねられるので、非常に有意義だと思っている。
その「すずめの戸締まり」。ついに4/5に地上波初放送である。「君の名は。」放送後の冒頭12分放送から実に1年以上。東日本大震災に向き合った新海流の演出がどこまで世の中に受け入れられるか。当日は見ものである。

2024.4.2 「秒速5センチメートル」リバイバル上映鑑賞記

私の、映画鑑賞という趣味が勃興したのは、2016.10.1の「君の名は。」鑑賞からであることは、何度も何度も書いている。
しかし、その作品の監督・新海誠については、その大ヒット作の前に何本か作ってはいるけれど、全然ヒットしなかった、ということくらいしか基礎知識がなかった。ただ、直近作である「言の葉の庭」は、美麗すぎる背景芸術に多くの人がとりこになったということはおぼろげながら知っていた程度である。

精緻な描写になりようがない初期の新海作品であり、スタッフロールもかかわっている人はせいぜい100人程度(ちなみに「すずめの戸締まり」では、関わった役名のない声優だけでも50人近く/トータルは500人以上)。それでも、中学生が、転校した女子に会いに行くという行動と、雪に阻まれる無力さを同居させ、駅で待っている明里を見つけて息をのむシーンとか、桜の木の下で唇を交わすシーンとかに、感動させられる桜花抄は、甘酸っぱい初恋を経験した多くの人に突き刺さったであろうことは想像に難くない。
それに続く「コスモナウト」も、「秒速5センチメートル」も、明里の幻影にとらわれ続けている貴樹が一歩前に踏み出せない姿を我々に提示する。そして、幼少期にわたった踏切が、一つの転換点としてラストカットに描かれる。

二人の前を右左に通過する列車は、まさに時間の経過を意味している(最初は左から右へ電車が走り、そして即座に右から左に通過する)。見送った先に明里(と思しき女性)は消え失せている。あれが明里であれ、別人であれ、新たな一歩を踏み出すべく、右から左へ歩を進める貴樹。未来に向けた一歩が踏み出された瞬間だ。たった60分足らずでここまでのことが言い表せるのだ。
ただ見て、楽しい、面白いという作品ではない。でも、そこにある誰しもが通ってきた青春時代の恋愛というもののはかなさに触れてきた人ほど、この作品は忘れえぬ一本になるのではないかと思っている。

2024.4.1 「四月になれば彼女は」鑑賞記

いずれ名のある俳優さんが、一本の映画に参画する、と知ったとき、そのヒットやいい演技を期待するのはよくあることである。まして、いい使われ方をして、感動作に関わった、ということなら、余計に好きになってしまうものである。
ではその逆目が出たらどうだろうか?せっかくのキャスティングが生きていない、あるいは「女優を魅力的に撮る(ポンポさん 談)」ことに失敗している、あるいはダメダメなクロージングですべてが台無しになる……

やっぱり原作・川村元気の段階で、地雷を想定しておかなくてはならなかったか、というのが鑑賞後の偽らざる思いである。製作委員会に名を連ねている「STORY」社の主要人物であることは知っているし(新海系・「天気の子」から製作に入っている)、彼のプロデュース力は、「君の名は。」一本で十分に発揮されている。でも、原作やったり、Dやったりすると、どうにもしっくりこないのだ。彼の前作「百花」のべたべたなクロージング。口をあんぐりさせられてしまったのは、あまりに衝撃的だった。

今回は、脚本には名を連ねているけれど、監督さんは別の方(山田智和氏。なんと、長編初監督作だった)。これならちょっとは見られるものができるだろう…………
そんな淡い期待は、いくらいいキャスティングを用いても、やはり原作のいろいろ不具合な点が浮き彫りになってしまって一向に上がらないままで終わってしまった。

映画の内容は、ひと言で言うと、「結婚直前にフィアンセに逃げられた男の、彼女を探す/追い求める旅」が主目的なんだけど、実は自分探しにもなっている内容だった。そこに、娘への愛が強すぎて束縛する父親とか、全然キーパーソンにもならないバーのマスターとか、同僚の精神科医の使い物にならなさ過ぎな点とか、物語を彩ってくれるはずの脇役の描き方がどうにもしっくりこなかった。
精神科医のくせに自分自身をわかっていない藤代君が、後半、いなくなった弥生のことを理解しようと、二人の思い出をたどるメモ書きのシーンのありえなさにドン引きしてしまった。あえて書き出さないといけないほど、冷え切っていた/でも忘れられない(肉体関係があったからか?)という衝動から起こされたものだと解釈したが、あんなに何枚も何枚も書く必要や、それで相手を理解しようとする行動に違和感を感じてしまう人が大勢いるはずである。
会うは別れのはじまり、とはよく言ったものだ。弥生と藤代の間の関係を見せるにあたって、冒頭から隙間風や意見の不一致が感じられる設計にしたうえで、最後によりを戻させる。「ほぉら、見事に修復出来ましたぜ」とドヤ顔で言われているような感覚にもとらわれる。
クロージングもベタすぎる。もう獣医でもない弥生に動物うんちく話を延々と語る藤代。「そう言うとこやぞ」と、何度目かのツッコミを入れたくなってしまった。
ダメダメな一本にさせなかったのは、春を演じた森七菜だ。はじけるような笑顔と、病に侵されても不遇を嘆かない精神力の描写で、何とか踏みとどまってくれた。年齢差(実年齢的に見ても、森七菜の若さが際立つ/数年年下、というレベルではない)は仕方ないかもだが、「銀河鉄道の父」でも見せた、病気にかかった時の演技は経験値が勝ったといってもいい。春が見たかった、ウユニ塩湖や、ブラックサンドビーチの絶景は本作で一番力の入った映像(つまりは、そういうこと)なので、何も持って帰られないわけではなかったところも加点ポイントだ。

特典は87点→84点と大幅に下方修正。失意のうちに亡くなった春のことを思えば、このクロージングに納得できている人はそう多くはないはずだ。娘への愛が強すぎた父から、早い段階で解き放たれていれば、本来のハッピーエンドが見られたはず。藤代と弥生が、終生おしどり夫婦でいられるとは思えないところも若干マイナスに感じられた。
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