多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 いろいろと埋めてまいりますのでお楽しみに。

ツイッター、おそるべしww

なにーげなくいつものようにほかの人がどんなつぶやきをしているのか、と思いつつ、ツイッターを開けていると…

私のフォロワーさんが、なんと、当方のブログ記事を上げてしまってくれちゃったりしている。
こちら。 「ええ、ェェええええ(辻本茂雄談)」になったのは言うまでもない。

公開中の映画で、それほどポジティブな内容でもなく、むしろいいようには全くと言っていいほど書いていない。もっと言うと、映画評、などというものに進出したのは2016年10月の「君の名は。」からこっちのこと。それまでの映画関連の記事は、数本にとどまっているのに、今や鑑賞記だけで言うなら60記事強になっている。

まあ、当方の鑑賞記が、読んでいただいた方たちにプラスに転じることになれば、それに越したことはない。観るにせよ、見ないにせよ。
ちなみにYahoo!映画のレビュー得点は、あまりに高止まりしてしまっていて、どうもさくらの可能性が否定できない(絶不調のフジテレビ系が制作に絡んでおり、ステマしていると私は踏んでいる/これで☆5をつける人たちは、どこに感動したのか、一人ひとり問いただしたいところだ)。

それでも、ツイに投稿されてから、一気にPVが伸びる現象が発生。ツイのリンクから20名近くが記事を見ていただいたことがアクセス解析で判明する。

これってすごいことなのではないだろうか?私自身は、ツイとの連携や、自身のブログの宣伝をSNSでするのはお門違いと思っているので、やらないわけだが、他人が紹介することまでは止めようがない。そして、一本のリンク記事が、ここまでの反響を呼ぶのだ。

まあ、当方的には、PV上がって満足満足♥、なわけだが、それもこれも、フォロワーさんにびしっとはまる評が書けたことが大きい。見方は間違っていない、ということが評をかく自信にもつながる。まさに一石二鳥の効果がリンクにはあることを改めて思い知らされた一日であった。

よくも悪くも演者次第 「今夜、ロマンス劇場で」鑑賞記

封切作品を見ることにも抵抗がなくなってきている自分がいる。それは実は恐ろしい出来事でもある。
以前の行動規範であれば、せいぜい見ても年に数本、それも公開末期に「ようやく重い腰を上げた」レベルでの鑑賞が大半であり、その上で複数回観ようなどという作品にも巡り合わないから、映画が好きでも嫌いでもなくなっていく。しかも、基本アニメーション系ばかり。そんなだから、既鑑賞作のほぼ8割がたをアニメーションが占めてしまうのである。

2017年の4月からは、様々なジャンルにも触手を伸ばし始め、去年は結局21タイトル/60スクリーンの大漁ぶり。今年もいろいろと手はつけてみるのだが『ずぷっ』とはらわたにどすを突き立てられるような作品には出会えていない。

そして、今作「今夜、ロマンス劇場で」も何とはなしにもう一つ、という感情が残ってしまう、読了感のあまりない作品となった。
綾瀬はるか演じる銀幕の中のお姫様。うだつの上がらず、失敗ばかりの助監督の牧野健司。落雷がきっかけで映画の中から飛び出してしまうお姫さま。この序盤の持っていき方は変に事件性や意外性を持たせなかったところがややポイント低い。
二人の奇妙な共同生活。ただ、2次元に生きるお姫様には最大の弱点があった。人間に触れると映画の世界に戻っていく、というのである。このあたりの設定は雑というか、ややありえない部分でもある。そして映画会社社長の娘との恋のさや当て。でも、健司は、なぜか3次元/出世確実な方を選ばない。いじらしい、と思う半面、そんなことってあるのだろうか、と思わずにはいられない。
ロマンス劇場の支配人にも同じような体験がある、というくだりは、意外に重くは捉えられず。そもそもが健司が作ろうとしていた映画の中のお話…とおもいきや、老いて余命いくばくもない彼の元には決して年を取らない、銀幕のままのお姫様がいたのである。

確かにお涙頂戴シーンは意外に多い。蛍の乱舞する川沿いでの告白シーン、劇場でまともな恋愛をしろと諭される健司の反抗、そして、今わの際の彼女の魂の叫び。実際涙腺は励起する。だが、それは深くは見せないのである。もちろん、感情をゆするほどの効果はあるとはいえ、どうにも、型通りでもう一声、は感じてしまった。
そして、一番のこの作品の肝は、なんといっても坂口健太郎が適役かどうだったかというその一点に絞られる。当方は、残念ながら、という判定とさせていただいた。もちろん、役作りがどうとか、セリフ回しが単調とか、言いたいことは山ほどある。尻に引かれている風情なので、綾瀬の引き立て役でしかない部分も百歩譲るにしても、自分を出せていなかったと感じるのだ。
ストーリーは難しくなく、むしろ平板。絡んでくる人たちの空気感と言ったらない。看板俳優役の北村一輝ですら、まったくのにぎやかし(ラストはいいセリフを吐いてくれて、何とか持ちこたえたが)。なにより、日常に起伏がなさ過ぎる。

この作品の致命的な点は、序盤のドタバタが、映画の撮影の中に紛れ込んでしまい、面白く感じなかった点にある。もっともっと引っ掻き回して、阿鼻叫喚の地獄絵図を演出してもらって、映画から飛び出したお姫様がやらかす、という映画でしか見られない構図にしてほしかった。本来なら大爆笑するべきところであり、ここで一気に引き込もうとしたかったのだろうが、完全に滑ってしまっていた。実はほぼ序盤の段階で勝負あった、であったのだ。
だから、この作品は、65点どまり、という評価になってしまう。もちろん、光る一手がなかったわけではない。2本の虹を見つけて序盤のキーポイントでお互いを探す二人。お守りであるオカリナを雨降る中探すシーンとか。それでも、薄すぎる演出に、演者のスキルの無さ。設定の甘いところも無視できない。

「よくもこんなの作りやがって」と、怒り心頭に発するレベルではないにせよ、じゃあ、拍手喝さい、スタンディングオベーションものか、と言ったら、それは持ち上げすぎである。オーラスのシーンは、天に召された健司が、2次元の世界でなぜか共演者が居並ぶ中で、お姫様に求婚を申し込み、色を取りもどしていくというべたべたなもの。最後は強烈に色彩をもってきて、大団円を演出したつもりだろうが、それこそ余計な過剰な演出だった。控えておくレベルだったのにこのあたりも惜しい。

最大の減点ポイントは、今までの内容でもわかるように、キャスティングである。そこは譲るつもりはない。老健司の加藤剛の芝居がなければ、もっともっと点数は低かっただろう(ウム。それにしても、加藤剛氏の体調は気になる。遺作にならなければいいが)。

「映画芸術」誌は自ら存在意義を失ったのか?

現物を購入して、はらわたが煮えくり返る思いを持ちながらブログを書こうと思ったが、ひとまず草稿という形で落ち着いた。

一番最初はツイッターで知ったこの案件。ライブドアニュースにもなっていた。
こちら。

乱暴な言い方を許してもらえるならば、いくら金を稼ごうとも、超名作であっても「アニメーション映画はあってなきがごとし」ということなのだろう。それはそれで納得いく説明とも受け取れる。何しろ、実写だけに限定してベストとワーストを決定してくれるのだ。あえて、表現方法も違う、土俵の異なるアニメーションがそこに割り込む余地はないといってもいい。
今の実写映画界、ドングリの背比べであり、お世辞にも名作や大作が出てきているわけではない。それが証拠に、2017年の邦画興行成績ではアニメーションが独占に近い状態。このサイトで邦画のランキングを作成すると、1位コナン/2位ドラえもん/3位銀魂/4位ポケモン/5位キミスイ/6位メアリ/7位妖怪ウォッチ/8位SAO/9位忍び/10位22年目 となる。1・2・4・6・7・8と、6作品がアニメーション。邦画実写トップの銀魂の興収は38.4億であり、全体4位だったコナンの68.9億の半分強しか稼げていない。アニメーション6作品で239億以上を売り上げている(2017年の「君の名は。」の興収は含まれていないが、もし2017年分で計算すると、ほぼ35~40億はあった計算になり、下手するとベスト3くらいの地位を獲得していたかもしれない/そうなると、ベスト3すべてがアニメという結果となってしまう)が、実写の4作品では122億程度。

これほどまでに水をあけられていても、アニメーションの影響力を無視しておきたいというのである。再度の記述になるが、日本の劇場でかかっている邦画アニメーションは、いいもわるいも評価の対象にならない"異質"なものだとこの雑誌は高らかに宣言してくれたことになる。
彼らの言い分も、心を落ち着けて聞けば、理解できなくもない。人間が動いて初めて映画と言える、スジ(ストーリー)とヌケ(映像)とドウサ(生身の演技)の3要素は必須だったわけで、今までの選定方式がむしろ間違っていた、と言いたいようなのだ。

とはいえ。
自分たちの価値観に相いれないものを排除するやり方って、すでに吐いて捨てるほど見てきている。F1のグリッドガールを止めることに例を上げるまでもなく、「声を上げたもの勝ち」という風潮が蔓延しているように思えて仕方ない。そして、そういう固定観念に凝り固まり、柔軟に物事を見られなくなっていく人たちを加齢を踏まえて「老害」などと呼ぶ。
彼らのアニメーション蔑視の考え方は、よくわかったつもりである。表現方法が違うだけにもかかわらず、同じ土俵に立たせてもらえない。所詮実写という狭いコミュニティーの中だけで優劣を決めてくれればいいわけであり、私としても、その考え方を変えさせようとか、不買しようと呼びかけるつもりはさらさらない。
だってその必要がないからである。映画芸術という雑誌タイトルであるのにすべての映画が対象でないということを宣言してしまったからである。
今回の件がこの雑誌にとって致命的なのは、今の日本の興行実績から言っても、アニメーションの量は半端ないからである。その昔の「東映マンガ祭り」くらいしかアニメ映画がなかったころはランクインできるほどのクオリティもなかったし、実写がまだまだ意気軒高だった時代である。90年代あたり…バブル崩壊以後から調子が狂い出して、今に至るわけだが、このあたりから、シリーズもの/ジブリ系が幅を利かせ始め、2001年の300億越え達成の「千と千尋」の出現を見るのである。それでもこの雑誌は、アニメーション映画にも目を配っていたはずである。

突然の路線変更が、なにに起因するものか、は正直わからない。もっとも、分かったところで、彼らが彼らの決めた道を行くことに否定も肯定もできない。「どうぞご勝手に」と言ったところだ。完全にものにするべく、本誌は購入するつもりだが、最初で最後の購入になるだろう。
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