多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 いろいろと埋めてまいりますのでお楽しみに。

改めて『君の名は。』論 (2)音楽性のおそろしさ

映画と音楽の関係は切っても切れない、とは言い過ぎではないだろう。
事実、映画音楽を切り取って映画が作られる時代でもある(「すばらしき映画音楽たち」が邦題。ミニシアターで順次上映中)。

そして、「君の名は。」も、その例にもれず、まさに映画の映像と音楽が一体化したかのようなシンクロ度でもって、我々に言いようのない感動と感情の発露を促していく。

解析している途上で、主題歌4曲そのどれもが重要な役割を果たしていることに気がついた。
特に歌詞が伏線になっているとは思いもよらなかった。こんな伏線の仕掛け方をされた記憶は全くない。→前作「なぜ「君の名は。」はヒットしたのか」 当該記事より。もっと言うと、ここまで解析できている人/ほかの視点というものにも出会ったことがない。

これが可能になった背景には、企画当初から音楽担当のRADWIMPSが、製作委員会サイドにまで深くかかわり(所属事務所であるvoque tingがクレジットされている・しかも所属タレントはラッドのみ)、恐らく二人三脚に近い体制で取り組んでいたからというのが当方の見立てである。
映像を彩る劇伴は、映像を見ながらその雰囲気に合わせていく手法が一般的であり、だからこそ、製作サイドに首を突っ込むことはせず、むしろ出来上がってから曲が作られると思っていた。
だが、今回の「君の名は。」のヒットを見て感じたのは、映像と音楽が互いに高め合って、そのシンクロ度が最高点を発揮したからここまでのヒット作にのし上がったものであり、今までと同じような作り方では、ここまでヒットしていなかっただろうと思う。

そこに、音楽プロデューサーとして妥協を許さない野田洋次郎という人の完璧主義を垣間見るのである。いくら新海氏が求めていたからと言って、他を優先するなど、予定が入っていればこのコラボも実現していなかったはずである。また、制作最初期から、プロデューサー氏のオファーがあったことが小説「君の名は。」の解説にも記されていることから、ほぼ作品にかかりっきりであったことは想像に難くない。

音楽の存在が映画を彩る。今更のような意見でもあるのだが、この作品を見てそれを改めて感じている。

改めて、『君の名は。』論 (1)ありきたりでなかったドラマ性

2016.10.1の衝撃から、一年を優に越している。
いままで一度もしなかった円盤購入までさせてしまったこの作品…‥…『君の名は。』。
劇場では、できうる限り見ることに傾注し、当方記録の36回。すでにBDでは何回見たかなんて、カウントするのも憚られるほど見ている。
そして、図ったように同じ場面で涙腺が確実に崩壊するのだ。

映画を見てホロッとさせられるのは、よくあることだった。だが、自己が崩壊寸前にまで追い込まれた作品はこれがはじめてである。
なぜ、あのシーンが、私を捉えて離さないのか?いよいよ、解析厨を自称する小生が、君縄論に立ち入ろうとしているのだ。

いろいろな人がこの作品のヒットに関して論評している。当方も、去年の段階で「なぜ、「君の名は。」はヒットしたのか」という記事をまとめている。→お読みになりたい場合は、右記リンクをいちいち踏んでいただくのがよろしいかと。 その1  その2  その3  その4  その5  その6  その7  その8  その9  その10
この作品をいろいろな角度で解析もし、もやもやを解消すべく丸裸同然にしようと思ってしまったのが運の尽き。完全に魅入られてしまったのである。

男女が入れ代わるという、ドラマのきっかけとしてはあり来たりなものであるべきアイディアを、新海氏は「一日以上入れ替わらない」「入れ替わりのきっかけ/原因を明らかにしない(それでも当方はあのアイテムが影響しているとみている)」という点を使って観客を煙に巻き、彼ら二人はそんなことになってしまったんだけれども、何とか日常生活を暮らしている、というのが、前段の「前前前世」が流れるまでに描かれる。
実は、この一種コメディタッチの前半の作風こそ、中盤、衝撃の真実を目の当たりにして観客は恐ろしさとともに「何が起こったんだ」と思わずにはいられず、その落差に愕然とさせる、「上げて落とす」、結果物語に引き込まれる効果を発揮する。
そこで思い起こされる「口噛み酒」。伏線がこのあたりから見事にはまっていく。運命の日に着地する瀧の精神と三葉の肉体。この二つが合わさることであの自分で自分を泣きながら抱きしめる(その後のコミカルな演出も含めて)シーンが生きてくるのだ。

もはやアニメーション映画史上最大の感動シーンと言ってもいい、カタワレ時での時空を超えた邂逅。そして実態も、記憶すら喪失していく瀧の魂の叫びがわれわれを慟哭の谷へと突き落とす。その後、「すきだ」を見せられて、「瀧のやろう…」となりつつも、彼にとって名前より大事な気持ちを優先させたことにまた感じ入るのだ。そして、決然とした三葉を見て、私たちは「何とかなる」とも思えるし、彼らはその後どうなるか、に注目できるわけである。

106分が余すことなく描き切れたのは、間違いなく、いろいろとそぎ落とし、説明不足をも「こまけぇことはいいんだよ」で突っ走った作者の意図を感じ取る。だからこそ、多くの人をとらえて離さなかったんだと思う。

2017.12.8-11 今年最後の東上記 (1)プロローグ

2017年を締めくくるべく、約一ヶ月ぶりの首都圏突撃を敢行させたのは、もちろんこれしかない。→新海誠展 新国立美術館 開催は18日月曜日まで(火曜日休館のためだろうね)
それを見越して、臨時収入もゲット。万全を期したはずだったが正に上手の手から水が漏れる事態。まあ、想定外というレベルではなく、そんなこともあるわな、ですんだのはまだ良かった。
往復深夜バスにしたのも、日曜日の観覧を堪能したいから。行きはあえて都内に向かわず、沼津止まりにしたのは江ノ島での舞台探訪を企図した動き。当初予定の、小山での某映画鑑賞は、費用対効果の薄さでキャンセルとした。

2017.12.8。
久し振りにWILLERの大阪バスターミナルに向かう。そして、ちょっといかがわしい雰囲気のあった、梅田貨物駅の下を通る地下道を渡り納め。来年以降は、地上を突っ切る形に生まれ変わるようだ(もっとも、貨物線自体は残っており=環状線から新大阪直通のはるかなどが利用しているので完全地上化ではない)。
そしてこれまた久しぶりのW3923便。大阪―静岡を9時間で踏破する、ゆったりとしたスケジュールの深夜バスである。以前は、2クラス型の座席が設定されていたが、改装に伴い、ワンクラスながら、足元ゆったり型に変更。コンセントもあり、なかなかのレベルの高さを目の当たりにする。

今回は何事もなく普通に推移、沼津には、定刻より15分程度早着する余裕すらある。
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