多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

2021.2.7 新作になびかず ジョゼと虎と魚たち 3回目鑑賞記

2月に入ったわけだが、1日に見た「ヤクザと家族」があまりに良作過ぎて、新作……特に「花束みたいな恋をした」に触手が動かない。そうこうするうちに、11日公開の「すばらしき世界」がやってくるという事態。同じヤクザモチーフであるものの、若干のコメディタッチがどう出てくるのかは気になっている。何しろ、役所広司だから、もうこれは見逃すなんてできない。

そうかと思えば、「キミコエ」「のぼる小寺さん」「宇宙でいちばんあかるい屋根」といった大傑作と並ぶほど、興行がうまく行っていないのが、「ジョゼと虎と魚たち」のアニメーション版だ。この作品がすごいと思えるのは、恒夫のダイビングショップ勤務、ジョゼの文芸的なセンスの持ち主、それらがうまくかみ合った「にんぎょとかがやきのつばさ」の読み聞かせが愁眉だからである。

年末に公開され、当方も3回目を見るに至って、久しぶりにパンフレットも買ってみたりするほど、この作品の魅力は、ただ阪神間が舞台として活用されているという点だけではないといっていい。
家に閉じこもってふさぎ込み、かたくななジョゼがどんどん人間的にも成長する時間の経過を見るだけで楽しくなるし、舞との関係を知ってから引け目を感じ言ってはならないひと言を言ってしまうあたりは障害を持つことがいかに息苦しいかを如実に表している。

しかし、それは恒夫の側も同じだった。事故に遭い、あわや不具者になるかも、という心配がよぎった時、彼の心中やいかばかりか、である。我々にだっていつ訪れるかわからない障害・病気を持つということ。この現実が身につまされるのである。

今回も、性懲りもなく、舞ちゃんにかなりよっかかった鑑賞になってしまった。だって、彼には思いを打ち明けていないうえに「留学なんかしてもらいたくない」というほど独占欲の塊なのだ。好きなところはいくらでも言える、つまり彼のことしか見えていない一途なところ。こういった舞ちゃんに好かれている恒夫がうらやましくさえ思う。彼女が本当の幸せをつかめる機会が訪れてほしいものである。
神戸国際松竹では、それでもカップル数組が来訪し、10人強が鑑賞。一桁を逃れただけでもよしとせねばなるまいか。

PVまとめ 2021.1 出だしは好調♪

まずは先月の結果である。

2021.1  2447PV (先月比 +395PV  前年比 +695PV  139.7%)

2021年の滑り出しは、1月3日に地上波初放送となった「天気の子」のブログが大量に読まれたことで、序盤から早々に前年を凌駕する閲覧があり、それは現在でも止まっていない。
やはり、当方の観点で述べている人はほとんどいない、あるいはいても文章化/問題視している人が少なすぎるのだろう。
もはや私のブログの中でも一番の問題作になった感のある内容だ  
この視点が勃興したことで、この作品の世界観や、着地、なにより10代の彼らが「大丈夫」と言い切れるかというところに不安を感じていた部分が、自作の2次創作やほかの人たちが嬉々として描くものにあまり没入できなかったところがあったのだと思う。

3桁PV7日、訪問者数も久しぶりの3桁を3日・4日と記録(4日の205UUは、記録的)。映画評を薄める狙いもあり、ラーメン店/即席麺試食記もゆるゆるながら再始動。こういったところもプラスに振れているようだ。


2021.2.1 大傑作現る!!! 「ヤクザと家族 The Family」鑑賞記※絶対鑑賞案件

今年に入って、まともな新作を見ていないことに気が付く。
アニメがメインでやっていることも影響しているのだが、ピンとくる作品がないばかりか、緊急事態宣言の影響もあって、延期が続きまくってしまった。特に今頃TLをにぎわしまくっているはずのエヴァ新作も延期の浮き目に遭い、まさかまさかのコナン延期まであったらどうしようか、と思っている次第である。

そんな中で、邦画ファンには堪えられない3タイトルが1/29に公開。頭一つ抜けているのが「花束みたいな恋をした」である。そりゃぁ、菅田将暉に有村架純とくれば、脚本や撮影・編集が外れでも、見ていられる度合いはかなり高い。「名も無き世界のエンドロール」は男性二人が一人の女性をどう取り合うのか、が問題だが、そこまで名作だという声は聞こえない。
だが、この三タイトルの中では異質な「ヤクザと家族」がYahoo!映画でもかなりの高評価を取っているのだ。それでなくても、監督が「宇宙でいちばんあかるい屋根」の藤井道人氏(「新聞記者」の監督と紹介したくない)となれば、見ない・スルーには決してならない。

2/1は用事も兼ねて休暇にした。いろいろ済ませて劇場には予定の回の一本前をゲット。だが、やはり嗅覚の優れた人たちを中心にかなりの大箱が、平日・サービスデーながら3割程度は埋まる。もっとも、主演・綾野剛目当ての観客も少なからず見て取れた。

さて、先に衝撃の発表をする。
実に邦画実写映画で、数十タイトルぶりに
「100点」
を記録したことを高らかに発表させてもらう。ちなみに当方の100点満点記録タイトルは邦画では「羊と鋼の森」と、「劇場版FF14 光のお父さん」に続いて3タイトル目だ(洋画は電話劇である「GUILTY」1タイトルのみ)。

中だるみするかな、と思った上映時間の長さも全然気にならないほど没入させてもらった。それもひとえに綾野剛と舘ひろしという名優同士の対比がすごすぎるのだ。
冒頭、とある人物の溺死していくさまから描かれる。これがまさかのラストと繋がる伏線だったとは!!  賢治(綾野剛)は、不良で、地ゴロ的なことしかできない半端ものだった。だが父がはまってしまった覚せい剤に並々ならぬ敵対心を持っていた。懇意にしていた焼肉店で出会い、図らずも命を救ったことで関係を持った柴咲組の組長・舘ひろしとの擬似的な親子関係が結ばれるところでタイトル、なのだ。こういう見せ方をしたことで、ちょっとした考え方が浮かび上がってくる。ここからがスタートと考えたのだ。
それが浮き彫りになると、この年代設定は何も、勝手気ままに監督があてずっぽうで決めたものではないと気が付く。1999年が賢治の「ヤクザとして産まれた」年と解釈すると、2005年の抗争時は6歳。年端もいかない子供が暴れまくり、世間に反抗するかのような、「親に迷惑をかける」そんな時間帯だ。そして出所した2019年は二十歳。だが、世間の荒波に翻弄され、刑期を終えても全て贖罪されない重い十字架を背負わないといけないと思い知らされる。20歳でこんな状況に陥ったらどうなるだろう?それが今のコロナに翻弄され、右も左もわからなくなってしまった若者の映し鏡に賢治が成っているとは言えないだろうか?
実際出所後の賢治はあまりに自由奔放なのだ。いや、それは時代が賢治を置いてけぼりにした結果ともいえる。ヤクザの地位は恐ろしいばかりに低下し、携帯すら買えなくなっている不自由さばかりではなく、もはや生きている・そこにいるだけで忌避される存在になり下がっている。それに気が付かないからこそ、一度しか関係を持っていなかった恋人の元を訪ねてしまったりするのだ。
なぜ彼は、地元に居続けたのだろう?別の人生を歩むことだってできたはずなのに組に依存する。それは彼にとっての家族であり、分かちがたい絆を得たからこその行動だと思っている。そして、賢治が求めたのは、家族としてやっていけると思っていた由香と、(自分が仕込んでしまった)娘とのささやかな新しい人生だったはずである。だが、世間はそれすらも許さない。彼に付きまとう反社会的構成員という烙印は「5年ルール」以上の息苦しさと、何をやってもうまく行かない状況を作るしかなくなっていく。
ラスト前。賢治が意を決して向かったのは警察と癒着した組長と、その悪徳マル暴。胸がすくような殴打劇だったが、それは2度目の自分の死を意味する。そして元組員だった同僚に刺殺されて幕は下りる。

俳優陣では、綾野・舘の声のトーンの変化に気が付いてもらうと面白い。第一章ではほとんど小声でボソボソっとしか話さない賢治。それが時代が進むにつれて声も大きく感情も出していく。一方の舘は、最終章ではがんに罹患した弱弱しさを声で表現している。まだ目の出なかった賢治が台頭するのと引き換えに組長は病気のせいもあるが萎れていく。時代は変わったんだと思わせる演出にもなっている。
今のご時世、ヤクザは少なからずまともに生活もできなくなっているはずなのに、そこかしこでやれ銃撃だの、殴り込みだのが発生している。その一方、現代パートで描かれていたのは、盛り場で幅を利かせる、ニューカマーたる半グレや組織によらない地回り的な立場の人間が今後どういう法律で締め付けられるのか、というところである。シノギという利権を巡って、何が起こっていくのか、までは書く時間がなかったのかもしれない。

とにかく書きたくなる題材はてんこ盛りだ。煙の演出・意味(舞台は静岡県にある、架空の煙崎市)、抱擁の意味・場面、画角(章ごとにカメラを変えている)の問題、なぜナンバープレートは「17」になっているのか、など。小ネタ含めて、解析したくなる映画なんだけど、そこまで熱量が感じられたからこその100点である。

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