正直、今回の対談形式の、ゲストを呼んで親父殿と意見を戦わせるというやり方には、限界もあると感じている(何しろ、相手は、百田氏。彼のマシンガントークが、おそらく親父殿をアウェー感いっぱいにしたことは想像に難くない)。
その最終盤。質疑応答の場面になったのだが、二人目に指名されたのは、前列に座っていた中年女性。
やおら3枚のシール状のものを係員に手渡し、彼が壇上に。一渡りそれが渡った段階で彼女がマイクをもって力強く言い放つ。
「慰安婦のミニチュアを作ってしまう行為は許せません」正確な発言までは覚えていないが、会場に一種戦慄とした空気が流れたのは間違いない。
ことの起こりはこうである。
すでにグレンデールの慰安婦像(平和の少女像、と偽証しているところがなんとも)に対して、親父殿がカウンターを仕掛けていることは、動画でも知られており、そのうえで韓国が国策として、全世界に同様のものを立てようとしていることはすでに周知の事実。であるのならば、正攻法で行くよりは、茶化してしまう方向にもっていくことで、この行為のばかさ加減を知らしめるのも悪くないのではないか、という発案があって、なんと、椅子と本体、そして紙袋(敵刺式紙製頭巾(丙種))までセットになったミニチュアを使って、我々の方で逆示威行為をしてしまおう、というのが実際のようである。
→大阪会場で私もミニチュアの実物を拝見。対談の場にも鎮座ましましていたのである。ちなみに今日現在、このミニチュアを使った"作戦"に関する触れ込みは一切なし。おおっと、画像に残ってなかったですわ
実はこのやり方があの聴衆を怒らせてしまったのである。そう。そもそもが「ガラクタ」である少女像を、さも観音様かのごとく持ち上げているさまに我慢ならなかったのだろうと思う。同じ女性としても、こうしたジョークがうまく伝わっていないというところは一考の余地はありそうである。
さて、ではわたしの感想である。
『やり方としては、搦め手から攻める、と言う点において、この発想はなかった。面白い(interresting)試みだとは思うが、面白がることで同意が得られるものでもない。ダメなものはダメ、とはっきり意思表示すべき』
つまり、「一種の手詰まり感」をこのミニチュアに見たのである。「もう笑わす方向に持って行こう!」別に事務局が、親父殿が悪いとか、へたくそだというのではない。この行為自体が日本的でない、といっていいのである。
そう考えてふと思い出したのが、「日本鬼子」「小日本」などの蔑称を萌えキャラにしてしまったあのプロジェクト。今でこそ大きなムーブメントにはなっていないが、あの当時、盛り上がり加減は半端ではない。とは言うものの、簡単に萌え化が実現するとも限らない。今度は韓国人をキャラにすえなくてはならず、その部分でも、日本サイドが二の足を踏んでいるのかも、と思われる。だいたい、悲劇のヒロインを自称しているのだから、格好の"餌"になりそうだと思っているのだが・・・
フィギュア化と言う日本独自の手法自体に問題はないのだが、嫌悪感を呼び起こす人がいることも事実。ジョークをまともに解してしまう(ジョークが通じない層は必ず存在する)人がいる以上、この作戦を大きく広めるのは、それこそ保守/親父ファン層の分化を促進しかねない。廃絶に向けた活動に一本化すべきであり、ましてフィギュアの販売などをやり始めると、「金儲けが始まった」などといらぬ陰口を叩かれかねない。方向性は理解できるが、もう少し熟考をお願いしたいところである。
その最終盤。質疑応答の場面になったのだが、二人目に指名されたのは、前列に座っていた中年女性。
やおら3枚のシール状のものを係員に手渡し、彼が壇上に。一渡りそれが渡った段階で彼女がマイクをもって力強く言い放つ。
「慰安婦のミニチュアを作ってしまう行為は許せません」正確な発言までは覚えていないが、会場に一種戦慄とした空気が流れたのは間違いない。
ことの起こりはこうである。
すでにグレンデールの慰安婦像(平和の少女像、と偽証しているところがなんとも)に対して、親父殿がカウンターを仕掛けていることは、動画でも知られており、そのうえで韓国が国策として、全世界に同様のものを立てようとしていることはすでに周知の事実。であるのならば、正攻法で行くよりは、茶化してしまう方向にもっていくことで、この行為のばかさ加減を知らしめるのも悪くないのではないか、という発案があって、なんと、椅子と本体、そして紙袋(敵刺式紙製頭巾(丙種))までセットになったミニチュアを使って、我々の方で逆示威行為をしてしまおう、というのが実際のようである。
→大阪会場で私もミニチュアの実物を拝見。対談の場にも鎮座ましましていたのである。ちなみに今日現在、このミニチュアを使った"作戦"に関する触れ込みは一切なし。おおっと、画像に残ってなかったですわ
実はこのやり方があの聴衆を怒らせてしまったのである。そう。そもそもが「ガラクタ」である少女像を、さも観音様かのごとく持ち上げているさまに我慢ならなかったのだろうと思う。同じ女性としても、こうしたジョークがうまく伝わっていないというところは一考の余地はありそうである。
さて、ではわたしの感想である。
『やり方としては、搦め手から攻める、と言う点において、この発想はなかった。面白い(interresting)試みだとは思うが、面白がることで同意が得られるものでもない。ダメなものはダメ、とはっきり意思表示すべき』
つまり、「一種の手詰まり感」をこのミニチュアに見たのである。「もう笑わす方向に持って行こう!」別に事務局が、親父殿が悪いとか、へたくそだというのではない。この行為自体が日本的でない、といっていいのである。
そう考えてふと思い出したのが、「日本鬼子」「小日本」などの蔑称を萌えキャラにしてしまったあのプロジェクト。今でこそ大きなムーブメントにはなっていないが、あの当時、盛り上がり加減は半端ではない。とは言うものの、簡単に萌え化が実現するとも限らない。今度は韓国人をキャラにすえなくてはならず、その部分でも、日本サイドが二の足を踏んでいるのかも、と思われる。だいたい、悲劇のヒロインを自称しているのだから、格好の"餌"になりそうだと思っているのだが・・・
フィギュア化と言う日本独自の手法自体に問題はないのだが、嫌悪感を呼び起こす人がいることも事実。ジョークをまともに解してしまう(ジョークが通じない層は必ず存在する)人がいる以上、この作戦を大きく広めるのは、それこそ保守/親父ファン層の分化を促進しかねない。廃絶に向けた活動に一本化すべきであり、ましてフィギュアの販売などをやり始めると、「金儲けが始まった」などといらぬ陰口を叩かれかねない。方向性は理解できるが、もう少し熟考をお願いしたいところである。