多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

2014年08月

即席麺試食記(133) このスープなら 明星 中華三昧 味噌味


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麺をリニューアルして、ほかの次世代袋めんと対決姿勢を示している「中華三昧」シリーズ。
明星としては、この一大看板をなくすわけにはいかない。その意思表示がひしひしと伝わってくる。何しろ、今の袋めんは、ノンフライで生めんも真っ青の品質をそれぞれのメーカーで出してきている(唯一、袋めんを出していながら次世代製品が作れていないのはエースコックくらいだが、ここは「スーパーカップ」が利益の源泉になっていることもあるので、まだ追いつめられている感じはない)。特に「正麺」と「頂」の登場は、袋めん市場に革命をもたらしたといってもいい。

高級袋めんとして、油揚げ麺全盛期から早くもノンフライで出せていた中華三昧にしたところで、ここまでノンフライめんが大衆化してしまったのであれば、別の方向を向く必要もあると思うのだが、前回のしょうゆ試食編では、スープが穏やかになってしまって、リニューアルとはいえ、大きく評価を上げることも下げることもなかった
こちら
そして迎えた「味噌味」の試食。

スープは、確かに大味なところが影を潜め、複雑な印象をまずうけた。毎度のダブルスープであることは健在だが、やや脂分を控えめにしてあるところは、好感がもてる。
「うまい、うまい」と箸が進むというわけではないのだが、今回のリニューアルの一つの肝、ともいえる、麺とスープのマッチングは、この製品の方が勝っているように感じている。
残念に感じなかっただけでも収穫。残る塩味こそ一種の正念場だ。

 購入店舗  関西スーパー 大開店
 麺  3.8/5   スープ  3.6/5    総合評価 89点

即席麺試食記(132) 梨汁ブシャーww サンヨー食品 ふなっしーの千葉を応援! きつねうどんなっしー!


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ふなっしーの絵柄につられて買ってしまった、コラボ製品。正直、これを買うことでまた、ふなっしーに版権が入るのか、と思うとき、非公認でいられる方が露出度は無限大にできるということで、どんな販路にでも顔出しできる部分は、ほかのゆるキャラ一同も見習うべきではないか、と思う。そう考えると地道な販促活動をし、キャラ使用料もほぼ取らないくまモンのすごさは特筆ものである。

あ、ゆるキャラ論ではなかったですね。カップ麺でしたww
ソースラーメンの回では、大幅に滑ってしまったわけだが、そもそも、サンヨーは、縦型カップはそれほど得意ではない。もちろん、即席めんメーカーなのでそこまでひどい製品ばかりではないのだが、縦型に一日の長のある日清とは、ノウハウも何もかも違うという印象がある。
「頂」全力で攻めるべきタイミングでのカップ麺の新作。結論から言うと、梨汁って要ったのか、といいたい感情にとらわれる。
麺は扁平断面。うどん=ストレートとなりつつある、カップ麺界の常識とはやはり一線を画している。まあ、これはこれで、グループ企業でもないし、それを実現化するのは数年先になるだろう。
スープは、意外や意外、少し甘めに仕立ててあった。しょうゆ辛い、というわけではなく、むしろ塩分は穏やか。その半面、だしといえる部分の強調や香りづけという部分ではほとんど感じられずに終始した。
そして「梨汁」。せいぜい香りづけかと思ったし、そもそも麺類にナシの香りって合うのか、不安だったが、それは杞憂に終わった。あまりに人畜無害だったからである。残っていた小袋からちょっとオイルをなめてみたのだが、梨の香りは微弱すぎる。これなら入れない/なくてもよかったように思う。

「梨汁ブシャー」といいたいだけの小袋。まあ、ふなっしーとこのセリフは切っても切れないし、実際、船橋市はナシの生産も盛んである。本人がナシの妖精(爆)なのだから、それもうなづけるのだが…。こんな役立たずの香味油は初めてである。それを含めて、総じて中途半端。ふなっしー蒲鉾くらいが「お、手間暇かけてるな」という評価にしかならないようでは、もう一つの「醤油ラーメンなっしー!」も推して知るべしだろう。

 購入店舗 ダイエー三宮駅前店
 麺 2.6/5  スープ 2.7/5  具材 2.5/5  総合評価 72点

もはや「公器」などとぬかすんじゃねーぞ!!

goo辞書で「公器」を引いてみると、例文が示されている。

           おおやけのもの。公共のための機関。「新聞は社会の―である」
→gooの「公器」の意味のUrlはこちら

この例文に従うと、新聞は、「おおやけのもの」で「公共のための機関」でもあるということらしい。

しかし、そろそろ、この例文は取り下げたほうがよくなってきていると感じている(ちなみに、当方、この例文はふさわしくない、とgooに申し入れます)。
つまり、公共の機関であるという認識を持たなくなった新聞が存在しているからである。

もういわずと知れたことだが、朝●新聞である。自分のところのねつ造記事を訂正はしても謝罪をしないという姿勢に、ややおかんむりの週刊誌2誌が渾身の特集を掲載。いざ朝日に広告を出稿したところ、断られただけでなく、「謝罪と訂正を求める」と逆ギレしてきたというのである。
→「保守速報」のまとめ記事より。

もうね。「どの口がァ…」といいたくなるこの対応にもはや「この新聞にだけは公器という言葉は使えないわ」と思ってしまったものである。
実際、これで言いたいことはすべてである。この新聞のお説教じみた上から目線の発言も、したり顔の政府批判も、中韓に阿る内容も、何もかもが信用ならない。たとえ同じ内容を報じていても、「吉田調書」のように真逆に伝えることしかできない新聞は、存在価値がない。

百田氏ではないが、「消えてなくなってもらいたい」ところである。今回の対応ばかりは、さすがに腹に据えかねている。
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