多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

2014年11月

殉愛騒動(3/終) 全方位取材にしなかった意図

「殉愛」を読み終えて数日がたつ。
奇跡のような出会い、末期がんの発覚、度重なる手術、予後が思わしくないありさま、そして結婚、直後に急変する体調、そして死・・・。ノンストップに過ごした2年余りのすさまじい闘病記という側面がありありと浮かんでくる。

書評としては、私も現金掛け値なしに、感動できる部分が多かったし、妻目線で見るやしき氏の思わぬ暖かさというものが垣間見えて意外性もあった。だが、それまで付き合いの長かった人たち、そして何より、肉親に対する取材というものは作者である百田氏は行っていないように感じている。

あえてしなかったのか、できなかったのか、取材したのにそぎ落としたのか、それとも・・・。いいように書かれていない、実名を伴わない数名に関して、もっともっと言及すべきではなかったのか、と思わずにはいられない。実際、彼らの証言というものは一切掲載されておらず、妻との会話が妻の口から明かされる程度で終わっている。

妻の献身的な看病・・・いや、献身的なんてものではない。それをはるかに超越した神がかり的な面倒見を見せる彼女に対して、このマネージャーと思しき男性の書かれ方は恐ろしく凡庸で、仕事も何もできない、あいさつもロクにできないやつ、というものだ。そういった使えないやつを今まで使い続けてきたところに、やしき氏の暖かさというものを感じずにはいられないのだが、結果的にトラブルの巣窟と化してしまい、晩節を汚したのは間違いない。
文章内の扱い含めて、最後の使い込みなどに関しても事実無根だ、と言っているようである。このことから、百田氏がしっかりとこの男性に取材していないことがはっきりとわかる。

本筋ではないにしても、取材をしなかった・・・妻の発言を一方的に盲信しているのはおかしい!! と声を上げているこの男性。そでにされたことで、また実名が挙げられていない=許諾の話すらしていないことは明白で、ここまでこのストーリーの中でのけ者にされる意図がよくわからない。同じ土俵に上げたくないのはわかるのだが、関係者の発言がほぼ網羅されている中で、彼らのものだけが悪意に満ちた、感情を伴わない、そっけない書かれ方をしているのが気にかかる。

ここは百田氏の画竜点睛を欠いた部分だと感じている。彼らにも救いの手を差し伸べることは可能だったはずである(もちろん全面的にいい人的に書くことは無理だろうが、ここまで貶める必要もなかったのではないか)。ノンフィクションなので嘘や大げさに書いていることはないと信じたいが、本当に彼らが、ここまでの人たちだったのか、しっかり取材もしてほしかったところである。

「殉愛」考察はここでいったん打ち止めとしたい。某アニメーションを対象にしたように重箱の隅をつつくようなところまでは読み込む気はないので、ネww 

「殉愛」騒動(2) 一読者の作家視点からの考察

本発売と同時に、一部マスコミが大々的な「ステルスマーケティング」すれすれのバックアップをしてまで、売り込もうと躍起になっていた、やしきたかじん氏の死に至る2年間の闘病生活を妻目線で描いた「殉愛」(百田尚樹氏著)は、もくろみ通り、スタートダッシュには成功。ただベストセラーとまでに成長するかどうかは微妙、と目されている。

読了したのがこの土曜の深夜だったわけなのだが、発売日直後から、いろいろときな臭いうわさがネットを中心に飛び交い、「そんなバカな」とか、「いくらなんでもここまでは妄想しすぎ」といった荒唐無稽なことまで穿り返される始末。ただ、未亡人のイタリアでの所業がブログや写真などで暴露されてくるにしたがって、「これはもしかするともしかして」と疑念を抱かざるを得ない状況も出てきたのは事実である。

「永遠の0」「海賊と呼ばれた男」と立て続けにヒットを飛ばしている作家氏にとって、仮にも、書きたい題材が目の前に現れたからといって、即座にスケジュールを詰められるものではない。そこまでさせたのは、もしかすると『見えざる手』による強引な手法も考えられるのではないか?一周忌を待たずに発売されている(そこまで慌てている、というふうに受け取ることも可能)のも、よくよく考えるとおかしいのではないか?などなど、私自身もいろいろと疑問に思うところが出てきていることは否定しない。

そこで、まずは、ネットに転がっている、この本に関する「悪いうわさ」を拾ってみることにする。
→ここは韓国ネタばっかりではなくて、こういうゴシップにまで言及するところがすごい。NEWS U.S.より『やしきさくらがたかじんと結婚した真の理由が と ん で も な く ヤ バ い !!! 2ch「松本哲朗って誰?有名人なのか?」』
この内容では、・松本氏は、名前の特徴から韓国系とされる(ちなみにたかじんも2世であると暴露本が出ている)。・未亡人氏に出合ってたかじん遺産奪取を画策(たかじんより前にあっていないとおかしいのでここで破たん)・未亡人氏も韓国系(これも残念ながらアウト。ここまでの献身的な介護をできるはずがない、いくら遺産目当てであっても)といった、断定的な未確認情報で筋書きが描かれている。これについては、書いている本人の想像の範囲での創作といえるわけで、これを真実と受け止めるわけにはいかない。

一方、事実に即した掘り下げも行っている。→『やしきたかじん妻・家鋪さくらの正体が 真 っ 黒 す ぎ る !!! イタリア人と二重婚状態・過去のブログが発掘され2ch大騒ぎ・ノンフィクション「殉愛」を書いた百田尚樹がツイッターで必死に弁明』は、まさに「鬼女」といわれる、ネット住民(奥様方が多いので既婚女性→既女→鬼女)の底力を見せつけることになる。このスレ通りだとすると、本当にヤヴァイことになりかねないのである。このまとめの中での時系列は、非常に興味深い。また、百田氏が激怒しているツイッターが出てくるに至って、これは真実の可能性もあるのではないか、と思わざるを得ない(黙ってスルーできなかった=事実だったから、と判断されて弁明できるのだろうか/知っていて書いたとするならこれはこれでヤバい)。

と、悪い情報ばかりを上げてみた。では、本に書いてあることはでたらめなのか?そうとはいえまいが、最初から、本にする意図があったのかどうか、がキーポイントであろう。
旧姓・森田さくら氏の、決然とした行動の数々。例えば、死後すぐに(本の中では、1分ほどひとしきり泣いた後に、立ち直り、的な記述になっている)、「今から、やらなければならないことをやります」と宣言し、気丈にふるまっている。ほとんど感情を吐露したことのない立ち居振る舞いも特筆ものだ。一種芝居がかっている、イタリア帰国を断念するシーンなど、ドラマでもここまでの演出ができる人はそうそうおるまい。

もちろん、「百田氏が作ったノンフィクション」なので多少の演出もあろう。事実を淡々と書き留めるだけの書籍など売れるはずがない。しかし、最初から『たかじんの最期、書籍化決定www』と、彼女が想起していたとするなら、どうだろう?本来の夫婦での看病をも凌駕する献身的な行動を発揮できたのも、そして、詳細な記録としてとどめておいたのも、最後に「ほぼ遺言同様」のメモにしたがって、ほかの幾つものオファーを差し置いて百田氏を指名してきたのも、すべてつながっているとするならば・・・あり得ない話ではないと思う。

この本が、「未亡人の視点」で描かれているため、一部の関係者が悪者のように描かれている部分がある。ほぼ真実なのだろうが、悪く書かれ過ぎているきらいも否定できない。百田氏が彼らに取材して証言を得ているところがないあたりにも、不満を抱かざるを得ない。一種、違和感を覚えているこの部分は大切にしておきたい。

読了→参戦しますww「殉愛」騒動(1)まずは読書感想文w

ちょっと遅くなったが、実質数時間で読み切ってしまった。百田氏らしい筆致もあるのだが、実質的には、のちの夫婦となる、カップルのダイアローグが大半を占めており、実際の文字数としてはそれほど多くなかったのではないか、と推察する。少なくとも、「海賊と呼ばれた男」並の量はないことは間違いない。

私もいろいろと小説なり、読んできたつもりだが、この本ほど「泣く」という表現に満ち溢れているものはないといってもいいだろう。特に亡くなってからは、関係者が弔問に訪れるシーンがあるのだが、一行おきといってもいいくらいに「泣」の漢字が存在するのである。物語の途上でも、たかじんの生来の浮気癖に怒りに燃えて泣く、愛情を感じて泣く、病気の進行に対して号泣する…。ある一人の男・・・「やしきたかじん」の終末期を看取った立場からの回顧録/記録からのドキュメンタリーということになるのだが、読了しても「信じられない」という思いがいっぱいである。

ここからは、ちょっと長文になるがお付き合いいただきたい。

常識的に考えて、「犬好き」という接点だけで、ここまでの出会いというものが存在するのだろうか、そして、出会ってすぐどころか、出会う前から、たかじん氏はこの女性にシンパシーを感じていたきらいがある。一般人同士でもなかなかそんなうまい話は転がっていないのに、芸能人・若ぶって見せても所詮は60台の老人と、いい感じの女性になりつつある30台とがここまでの仲になりえるものなのだろうか…。
それを思うと、口さがない週刊誌の「遺産目当て」と書かれてしまうのは、一般的な見解そのものであり、むしろ、取材しないで書こうとするなら(取材しないで憶測で書いてしまう)、この結論が導き出されて当然である。
ところが、この女性がたかじんからは金銭的なものを一切受け取っていないことが明らかにされている。資産としての不動産は相続の対象になっているようだが、預貯金等は寄付に回っている。生前に一種の支度金としての300万円についても手を付けたという記述はない。金にはむしろ執着していなかった面がクローズアップされている。

そして、彼女が「この人についていく」と決定づけたのが、出会ってから2か月足らずのことである(イタリアへ帰らないことを決然と決めた/この行為に私は戦慄した。詳しくは本の中で)。もちろん、そこには彼が末期の食道がんであることを知ったから、ということもあるのかもしれない。しかし、なぜ彼女はそんな、貧乏くじといってもいい立ち位置を受け入れたのだろうか…事ここに至って、そこまでの心情の変化まで深く掘り下げて書いてほしかったところだが、ややあいまいな記述で止まってしまっている。

ここからは時系列を追っての闘病生活が赤裸々に記されているのだが、ここまで詳細に文にできるのは、奥さんが詳細なメモを残していたからに他ならない。そして、それが可能だったのは、たかじんの資金力があればこその芸当であるといえる。24時間付き添いの、看護婦も真っ青の献身的な看病。病院関係者のだれもが「素晴らしい」と口をそろえているというのも驚きである。ここまで自己犠牲を発揮できる、しかも打算的でない・・・もし彼女がどこぞの国の国籍の人だったら、ここまでのことができようはずもない。

私もさすがに感情を抑えきれなくなる場面に幾度か遭遇してしまい、正直ヤバかった。とくに百田氏がたかじんから高く評価され、ほとんど交遊もなかったにもかかわらず、「友情をつなぐ」というメモが紹介されるシーンである(冒頭のプロローグの部分/金スマなどでも、再現フィルム上で明らかにもされていた)。百田氏の性格も何も、すべて画面から吸収し、この男とならいい仕事ができる、と評価される。物書きとして、ここまでのことを書かれて男気に感じないはずがなかろう。
最後に残したたかじんのメッセージも胸を打つ(エピローグ内)。女遊びと放蕩に明け暮れていた新地の帝王の前に現れた、愛の天使。しかし、それを知るのには遅すぎた。死の直前にそれに気が付き、人生の無常を悟る。太く短くが身上だったはずなのに、こんなことになるなんて・・・。彼ほどの名声に財産を築いた人間であっても、本当の「愛」は手に入っていなかったのだ、と知らされるわけであり、我々にも愛とは何かを問いただす一文でもある。

一部のバッシング報道に対しては、当方は一応「擁護派」として名を連ねたいと思っている。感情の起伏の激しかった現役/壮年期に色々と人間関係でこじらせた人たちがバッシングに回っている模様であり、物語の中でも、マネージャーもどきの役割の人やら、前妻の娘やらも出てくる。仮に未亡人の言うことが嘘であり、真実でないというのなら、手記でも何でも出せばいいだけのことであり、それをしないでワアワアいうのは単に貶めているだけではないか、と思わざるを得ない。もちろん、それをする=金になる わけで、お互い様ではないのか、といいたくもなる。

肉親の看病ということはしたことがない当方。2年前のGWに母親が急性心筋梗塞で倒れた時も、それほど献身的に何かしてやれたという記憶はない。親子ですらこんな状態なのに、血を分けてもいない、赤の他人がここまでのことができるようになる・・・。愛というものは一種恐ろしい「魔法」のような気がしている。
まず第一弾はここまで。次は、いろいろあることないことかかれていることに対する当方の反論を書いていきたい。



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