多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

2016年09月

キジも鳴かずば撃たれまい 長谷川豊氏の場合

同様のことわざには「藪をつついて蛇を出す」(いわゆる藪蛇、ですな)、「口は災いの門」「鳴く虫は捕えられる」とかがある。

要するに「いらんこと言ったばっかりに自らに災難が降りかかる」ということになるわけだが、まさに「鳴かずば」あちこちから一斉射撃を受けることもなかったことだろう。

ちなみに、この方を擁護と言うか、論点を鋭く見抜き、バッシングを是としない応援団も現れたのだが、この程度では、むしろ本人の評判も落ちてしまうのではないかと危惧することしきりである。

今は修正されているブログタイトルも、煽情的でよろしくなかった。確かに「ちゃんとしてない自堕落な奴は死ね」なんて書かれたら、嫌悪感を感じて画面を閉じるか、「よし、見たろ」となって読んでくれるかの二択になる。とにかくタイトルのおかげで読んでくれた人が急増したのは間違いない。
そして、「冷静に」読めば、言っていることの何割か・・特に糖尿病など、腎機能を痛めてしまう自分の"過失"が起因している人工透析患者が、病気・自分では説明のつかない腎不全が原因している透析患者と同列で語るのはおかしいでしょ? と言ったあたりは、自己管理能力のない奴は透析を受けるべきではないという風に表現してしまったために炎上することになったわけで、言い方を変えれば、問題提起で済んでいたはずである。

つまり、「物は言いようで角が立つ」を実体化してしまったのが今回の氏のブログであり、せっかくの提案…全員一律に病気をとらえることの難しさと、今後の社会保障がこのままでは持たないことへの危機感…が埋もれてしまったのである。

たまぁに正論を吐くことがある、とちょっと持ち上げたりもした氏のブログだが、今回の騒動以来、書いている筆致が自己破滅すら想起させる、投げやり感満載になっている。自身の論理にどこまでの信ぴょう性と確実さを持っているのかは、定かではないが、ここまで事態がこじれてしまった以上、一声だけではなく、ワーワー泣き叫んで、少なくとも、自身が最も言いたかったこと…社会保障問題の危機…を表現する場を持たないと、バッシング→レギュラー降板 の負の連鎖は止めようがなくなってしまうと思う。

言葉を生業にしている人の舌禍事件。傍から見ていると面白い、、いやむしろ「そうならないようにするのが務めだろう」とも思うのだが、ここまで自分を卑下してまで売り込まなくてはならない(ちょっと考えて推敲してれば、ここまでの大炎上には至っていないはず)"裏"を考えてしまう。ともあれ、まだまだ続きそうな予感である。

この訃報は正直きつい…

人の生死は、本当に避けて通れない。
そして、その死があまりにあっけないもの…予告なしの交通事故死なら、なおさらである。

一本の訃報記事で、思わず目を疑った。
それがこちら。突然のリンク切れもありますのでご了承を・・・

当方がテント氏を知るきっかけになったのは、それこそ『ツチノコ』のように神出鬼没で、なんかのテレビ番組だったと思う。その芸風は、一言で言えば自己陶酔型。周りの反応や、評価というものには一切見向きもしない。かたくななまでの、一種ストイックとまで言える一貫性を貫いていた。

動画もいろいろ残っているが、ネタもやっているこれをチョイス。


鬼才・上岡龍太郎をして、「出てくるのが10年早かった」とその芸を絶賛するほどの才能の持ち主。ピン芸人ながら、レギュラー取りやあくせくとした営業回りを好まなかったことも、幻/突然現れるツチノコ芸人と呼ばれている所以でもある。

65歳の生涯。自由気ままに、大した功績も残していないという面では、ほかのそこらへんにいる芸人とは変わらない。だが、あまりのインパクトの強さに度肝を抜かれる人も大勢いることだろう。老獪な境地に至った時の芸もみたかったが、それはかなわぬ夢となった。本当に"惜しい"人を亡くしたものである。合掌。

読書感想文…あるフリーアナウンサーのブログを読んで

「BLOGOS」に参入しているブロガーは結構いるわけだし、今回の件についても、基本的に炎上する気満々な筆致と、ドヤ顔での言い切り、極論が議論を呼べばいいというまさに炎上マーケティングさながらの物言いがここまでの事態を引き起こしたと考えている。

さて、人工透析せざるを得ない、腎不全という病気全体をDISったかのような当該ブログなのだが(当初とはタイトル等加筆もされているので、過激さ度合い…「死んでしまえ」、とか言うものいいが拝めなくなってはいるが、ほぼ掲載当初のままだそうだ)、当方は「ホーン」程度で放っていた。
なんとなれば、この文面をよく読めば、現在の社会保障制度の弱点を見事にあぶりだしているところもあるからである。
もちろん筆致があまりに過激になってしまっているところは本人もやや反省しているようであり、怒りに任せて、というよりは、「今のところ医者にほぼ掛かっていない健康体の人」なら怒って当然でしょう、という擁護も予想しての物言いだったと推定する。

『果たして、ぜいたく・医師の忠告を無視した挙句透析を受けなければならない人と、先天的・病的要因によって腎機能が失われたために行う透析がイコールで結ばれている現状は、歪んでいるだろう?!』

これが読み取れない人たちの多さには、書いた本人も驚いたのではなかろうか。

とはいうものの、氏にも落ち度はいくらでも出てくる。ソースがわずかに聞き取りによる何人かのインタビュー止まりであること、よほど怒った感情のままにつづってしまって、推敲や、不都合な表現に思いが至らなかったところなどである。

せっかくの問題提起も、暴言同然では、説得力も半減、いや、まったくなくなってしまう。それどころか、今回の炎上事態で、またぞろ"炎上の達人"的な称号を戴くことになりはしないか、と危惧することしきりである。
言葉を職業にしている人が炎上させるのは、天性のものなのか、それとも、我々はそれに載せられてしまっているのか…
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