多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 いろいろと埋めてまいりますのでお楽しみに。

2016年10月

粗製乱造が招く「終わりの始まり」・・・知ってたww

弱小で、箸にも棒にもかからない、アニメーション業界の周辺雑記人をしていたのは、90年代のころ。
この時代は、骨太な原作が多く、もちろん演じる側にも、描く側にも一つの腰を据えた態度・表情がうかがえていた。だからこそ、20%台続出の視聴率にもつながったわけだし、いまだに語り継がれる原作が多い。

それがこの頃のアニメーション作品と言ったらどうだ!!
ラノベがタイトルなもんだからやたらと長い。結果的に短縮系が幅を利かせてしまい「俺ガイル」「はがない」「ゆゆゆ」etc…わけがわからないよ(By Q-B)と言いたくもなろうというものだ。「北斗」「めぞん」と、頭のタイトルが短縮系で通じていたころが懐かしいww
何より予算がないのがばればれの製作現場が透けて見えるような作画や配役事情が、さらに見る気をそいでいく。もちろん、放送時間帯のあまりの悪さに録画視聴しかできない人たちばかり…イコールリアルタイムの視聴率は期待できないことでさらに予算が削られる悪循環。でも、作品を作らないと死んでしまう製作会社のジレンマ…。

ところが「納期に間に合わない」ことが常態化しつつあるというのだ。
まとめnaverより。まあ、いずれは「パンク」するだろうとは思っていたが…

実際、当方は、2010年以降の深夜時間帯に主戦場が移ったアニメーション業界は、縮小漸減を余儀なくされると踏んでいた。理由は、言わずもがな、で「そんな夜中に見たい作品ではない」という側面が大きかった。唯一そんな逆風をものともしなかったのが「魔法少女 まどか☆マギカ」であり、ここ最近では腐女子に人気の「おそ松さん」くらいだろう。

作っても見てもらえず、挙句の果てに制作サイドが「飛ばし始める」始末…今のアニメーション業界に限界が訪れているのは、誰の目にも明らかである。

では、もう少し質を上げる方向に向かうのか…それも微妙な状況だ。先ほども書いたが、作品をどんな形であれ作らないと死んでしまう状況、これすなわち、弱小メーカーの林立状態が引き起こした、アニメーション爆発期(当方の設定/昭和40年から45年ころ)の状況と似通っている。
その当時と全く違うのは、比較的安価で作れてしまう技術力の進歩。低予算でもそこそこのクオリティのものができてしまうので、枠さえ確保できれば名乗りを上げてしまう→ストックをほぼ持たないので需給がひっ迫→結局飛ばす ということが現実に起こってしまっている状態である。

放送を飛ばすのは、会社で言えば「不渡り」も同然のゆゆしき事態。それが一タイトルの特異現象でないところに今のアニメーション業界の「闇」を感じずにはいられない。
一度すべてをリセットして、などという論調も出てきているが、それが可能になるのには、銀行よろしく、メガ制作会社の台頭が待たれるところである。刻一刻と悪くなりつつあるアニメーション業界の現状。ジャパニメーションと持ち上げられたのも今は昔。薄給の作業員が命を削っている作品のあまりの評価のされなさなどは、異常を通り越そうとしている。

想い出の店舗訪問(7) CEOの遺産 旧SP福岡/旧横須賀店


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ダイエーという企業を、物心ついたころから、ずっと気にかけ続け、「物流の最先端」で、「店内」で関わり続けてきた当方の50年余り。
この中にあって、ただただびっくりする店舗訪問になったというのは、今回遡上にあげる旧SP福岡(0475)と、現在はイオンリテールストア所属の旧横須賀店(0425)である。

とはいうものの…実は、旧SP福岡については、2009年以前に訪問したこともあり、2013年に福岡県内の店舗巡りをしたときにも対象店舗にはしていなかった。
な・の・で、現状の店舗外観というものは当方のライブラリの中には存在しない。
→当方と違って、多方面から映像に残されている姿には感服。ご存知マックロードさんの当該店舗ブログで往時をしのんでください。ちなみに記事作成は2015年。

では、いつに来たのか?福岡店訪問時は、学生時代にさかのぼる(当然写真もレシートも残っていない、完全なる記憶の中だけの訪問/未訪問店を一店でも減らそうというのが当時の考え方であり、再度訪問は、するにしてもまたいずれ、と考えていたため後回しになってしまった→まさかの九州島内全店の移管)。クラブ活動の帰路、当店に立ち寄り、何気にスイッチが入ってしまい、惣菜系やら、ビールやら、むさぼるように買っていたことが思い起こされる。

当時まさにバリバリの現役だったCEO(中内功氏/功の正式な漢字は力の部分が刀)をして、「おれはここに、"戦艦大和"をつくるんや」(ダイエーグループ 35年の記録 148ページ)と言わしめた旧SP福岡店。
その実に20年後の1991年4月25日に開業したのがダイエー横須賀店(0425)である。
SP福岡が「戦艦大和」なら、横須賀店は今風に言うと、イージス艦、とでもいおうか。あるいは昔風なら重巡か。
それくらい、威容をもってそびえたつ店舗は、数ある店舗を見てきた当方としても、印象深いものがある。

実は、1991年は、当方が社会人一年生の時代。今ほどローンも厳しくなく、すんなりと新車のローンも通り、P10を購入。それを駆って当店に勇躍訪問したのが初めてであるが、その時の活気と異様なまでの盛り上がり度合いは、巨額の負債があった企業とは思えない規模だった。

結果的に「イオン」化の道を歩んでしまったわけだが、看板はかけ変わっても、CEOが残したこのデザインは、建築関連の賞を取ったことでもわかる通り、未来に通じるものであるに違いない。
横須賀_01

横須賀_02



想い出の店舗訪問(6) 思い出深さではナンバーワン 横浜西口店


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ほぼ50年という長きにわたり生きてきている当方だが、一番関わりを持ち続けているのが、正社員で入ってもいないダイエーという現実がある。
大学時代は、ちょうど体を鍛える部分もあって、当時の神戸流通センターで、荷物の仕分け作業を行っていた。小分けの検品ではなく、トラックから、ソーターと呼ばれる仕分け機で分けられる、滑り台から落ちてくる段ボールを受け取り、所定の場所に運ぶという単純作業を繰り返していた。
仕分け機スタイルで流れるのは、壊れ物以外。特に「混載」と呼ばれる行き先がごちゃ混ぜになっているばら積みのトラックから、延々段ボールが流れてくる。衣料品であれば、結構ぎっしり詰まっているものもあり、それを素早く投げるように台車に搭載する連係プレーでさばいていく。ほぼ25年ほど前の仕分けの現場である。
そして、大学生活が5年目に突入。ようやく就職が目の前に至った時に、店舗での販売に目が向いた。そこで当方が指名したのは、またしてもダイエーの店舗、それも、新店でもある出屋敷店(0407/閉鎖)であった。このクラスの店舗ですら、家電の取り扱いがあった=フルラインの品ぞろえをまだまだ諦めていなかったわけだが、当方は、家電系のメーカーに勤めたかったこともあり、ここで知識を蓄えたかったのだが…
配属はなんと出納包装課。小難しい呼び名だが、「レジ係」である。正直当初はかなりへこんだのを覚えている。それでも、まだ当時はCEOがご存命のころ。ダイエーシンパになりつつあった当時としては、「まあ、働けるだけましか」程度でオープンを迎えた。
ところが、このレジ打ちの仕事が、私にとっては一種の「天職か」と思ってしまった時期もあるくらい、面白くなってしまったのである。同期の間で「時速何人」、つまり一時間の間に何人レジを通過できるか、を競うことなどをやったりして、スピードアップ、そして過不足(誤差ですね)を出さない確実な操作をやり続けていた。

就職先は、川崎市。寮は横浜市の緑区にあった。たまの買い物に出かけるのも、バスで一本で出て行ける横浜のダイエー一本やりだった。そこで「店長直行便」という意見具申の場をたびたび活用することで、当方に興味を持っていただいた当時の支配人と、懇意に営業中も話すことなどをしていた。そうこうするうちに、はしゃぎ過ぎた社会人一年生の懐がピンチに。「土日だけですけどレジっていけますか?」と窮状を訴えると、意外にもすんなりオッケー。そして、またしても土日だけとはいえレジ打ちができる環境を整えてしまったのである。

実は、いまだに心をとらえて離さないのが、ここ横浜西口店(0239)である。今までレジ担当としてやってきたのは、勤務店4店舗/応援数か所に及ぶが、お客さんの質が良かったのも幸いしているのかもしれないが、ここでの様々な出会いがいまだにダイエーという企業につかず離れずいる理由と言っても過言ではない。
横浜西口


店舗コードが指し示すように、黎明期に近い店舗である(オープンは1972年4月5日。ちなみに旧サンコーの店舗の譲り受けであるらしい)。それでもいまだに存在し続けているのは奇跡でもある。
その理由は、2011.3.11に起こった東日本大震災である。
→Youtubeに映像あり!! ここまでとは…


マンションの下層階が店舗(食料品メイン)であり、こここそ、当方の"主戦場"でもあった。崩壊に至らなかったことを素直に喜びたいところである。
→2015.7 の店舗訪問記録記事から。

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