多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

2017年03月

「君の名は。」を深掘る (18)年表との相違点を探る その2

導入部は、まるですべての出来事が時間通りに流れているかのように記述することで、初見者を煙に巻いたうまい演出・ストーリー建て。実際自分でも年表もどきを作ってみたら、あら不思議。こんな風に物語って作っていくんだな、を実感することになる。

時系列がしっかりとまとまっている「君縄年表」。→これがそれ。出典/作成者などは現時点では不明なので、分かり次第正式にリンクを張らせてもらう。

ところがこれとて「完全完璧」なものではない、ということがいろいろと浮かび上がる。
というわけで、この画像そのものを訂正するわけにはいかないが、当方と意見が食い違っている部分や完全に間違っている部分をとりあえず上げていこうと思っている。

・2016年10月3日にデートしたことになっていることをどう考えればいいのか?
三葉の書いた「明日は奥寺先輩と東京デート」となっている記事の作成日は実は2016年の10月2日なのだ。そうなると、当方の結論でもあった「デートの日付は10月2日日曜日でないと、周りが休日めいていないことや待ち合わせ場所の四ツ谷駅の雰囲気/そして何より小説の記述と整合性が取れない」こととずれが生じてしまっている。

そんなバカな…と思いなおして、ここで少しだけ面白い仮説を提示してみる。
・仮説
このデート自体も「あんた今、夢を見とるな」で囲まれている出来事。三葉が「明日=10月3日」に設定した、デートをするという事実だけが生きていると考えると、日付などはどうでもよくなってしまう。

現に、瀧と奥寺先輩がデートをしているのは、まごう事なき日曜日・・・学校は休みの日である。10/3は世間一般には平日の月曜であり、仮に瀧と先輩がたまたま学校が休みであったとしても、平日にデートを設定するとは考えにくい。とはいえ、もし10/2が日曜日だとわかって三葉が設定したのだとすると「3年ずれている・しかも未来」に気が付いていてもおかしくない。
すべてを丸く収める魔法の言葉、それが「夢」である。一葉に言われて突然のように着地した2016年10月3日 月曜日から図書館に至るまでの長ぁい時間が「夢の中の出来事」とすると、何もかもが都合よくまとまっていく。そして夢の中の出来事なのでいろいろと間違って記述もされていく。先輩はともかく、司まで学校を休んでいること/新幹線の座席配置・アナウンス(都市部を抜けているのに、「停車駅は、品川、・・・」と言われている)/味噌カツ弁当の日付(15.10.9の表記で確定しました)/本来到着しないホームに滑り込む『ひだ』/動かないはずのマスコット/特徴的な元の被災地の地形を言い当てられない地元民/10月中旬に半袖でラーメンを食べる瀧/中継がないはずの野球がテレビで、それも夕方近くに流れている などなど。

もちろん、10月2日にご神体に行った瀧の入った三葉と元に戻る形で「翌日デート」の方がすんなりストーリーとしては流れる。10月3日がデートの日だと理解しているからこそ「三葉がデートの日に上京する」という行動にもつながる。つまりこの年表通りの方がつじつまはあっている部分が多いのだ。曜日の部分を除いて・・・
検証結果:
三葉の残したアプリの記事「東京生活10」タイトルの2016.10.2作成のメモをどう取り扱うかがカギ。当初の結論は、日曜日にデートしたと考えたので2016.10.2がデート日だとしていたが、アプリ記事を優先し、「翌日の10月3日」にデートした=年表とほぼ同一 とする。つまり「デート=10/2」と以後考えない。
ただし、実際には、デートの事実も、いや、飛騨に向かい図書館で一葉に声をかけられるまで「夢の中にいた」とすれば、デートの日が休日であるかどうかなどはどうでもよくなる。

◎宿の名称は完全に間違っている。
せっかく『飛騨探訪』の日付は間違っていないのに、ここで間違うとは残念である。
シーンは、図書館から宿に入った直後。宿の全景と、中央あたりに看板が見える。
確かに「五郎岳」が赤文字で描かれているのでこれが目立ってしまって宿の名称だと勘違いしたのだろうが、これは俗に言う「スポンサー看板」。現にその上には「清酒」と書かれている。つまり、「清酒五郎岳」という広告だったのだ。
もちろん、その下に宿の名前は書かれている。それは「飛騨山荘」。やや薄めに書かれていて存在感はあまりないが、間違いない。正面にはこれまた薄ぼけた文字で「民宿 飛騨山荘」とある。
検証結果:
五郎岳は、清酒のブランド名(架空)。飛騨山荘が宿の正式名称。

・大人になっても風鈴は鳴っている。ということは…
瀧と三葉は、お互いの魂が風鈴を鳴らし続けている。彗星落下日には警告の意味として、ご神体と町にいる二人を引き合わせるかのように存在を知らせたり、ご神体の上のクレーターを駆け回るときは、すれ違った瞬間に組紐のビジュアルとともに思いっきり風鈴がなる。
近くにいようが遠くに居ようが、存在が確認できるようであれば、常に鳴らせる体制が整っていたとみるべきである。だから、歩道橋ですれ違った時にものの見事に鳴るのである。
では、代々木駅で見た後ろ髪を結った女性はどうなのか?この年表上では「本人」という形で紹介されている。だが…もし本当に彼女=三葉であれば、鳴るべき風鈴が鳴らないとおかしいのだ。いや、本当に本人ならなってほしかったのだ。
ならなかった、ということで当方は他人の空似を採用したわけなのだが、物語の常道として、こういった、妄想というか既視感にとらわれ続ける主人公を描くことはよくある手法である。ありきたりの蝶々結びの髪結い。三葉とは似ても似つかない別の誰かだからこそ、風鈴は鳴らなかったとする。
検証結果:
せっかくの効果音…風鈴の正確さを信じたい。代々木で見つけたのは三葉ではない

2017.3.19 「義務だと思う」18縄目@TOHOシネマズ伊丹

映画館に足を運ぶ。
その昔は、非常に腰が重かったと記憶している。
それが証拠に、10数年もスクリーンに対峙してこなかったわけだし、また、血沸き肉躍る作品には出会えていない。晩年のジブリ作品は、あのヒダリマキ監督のせいで腐臭が漂い、最終作と言われる「風立ちぬ」でも、やりたいことが散漫としているだけにとどまらず、主人公にずぶの素人を配役するというミスをやらかし、一気に見る気が失せた。

映画断ちが長かったから、こつ然と現れた作品に心を奪われてしまったのか…「いや」。
今まで複数回同一映画を見ることなどほとんどなかった層が、2回/3回/10回/20回…3桁になんなんとする層もおり、極めつけは400回オーバーのこの方…。リピーターを生み出しやすい構図の映画とはいえ、二桁鑑賞が当たり前となってしまうような作品を新海氏は生み出せる能力があったということなのだ。本当に我々は、彼の力量を今まで過小評価しすぎだったと反省するしかない。

それにしても、今更ながらのこの人の「君縄愛」にはもう平伏するしかない。名取で行われたティーチインにも参加、もちろん銀座で行われている展示会にも。TOHOシネマズでの履歴ザッピング動画がほぼほぼ君縄だらけなのも笑ってしまう。
そこまで彼を突き動かしたものは何だったのか…公開終了したら、本当に一度対談の場を設けてお話ししたいところである。

7週連続劇場訪問がかかる3月19日。その週の金曜日で上映終了するTOHOシネマズ伊丹。系列シネコンで上映終了の告知を一番最初に出したのが2月の終わりで、その時は3/9終了予定。撤回は間違いなく「させられた」に等しいと思われるのだが、懲りずに2回目も出してきた。→公式サイト・劇場情報では、新規上映の追加はあるものの、終了告知に関してはしていない模様。そして「まさか」の3/24以降も上映するという話(ただし朝一なので、完全に用事はなくなったわ)

実質3万5000席程度しか設定されておらず、その大半が早朝やレイト枠/日に一回。「それだけ名作ならどんな時間帯でも見に来るよ、なぁ??」と観客を試しているかのような少しなめた時間・箱割。実際、記録もかかっているこの状況で、ここまで不遇な仕打ちもないものである。
ところが「終了する」からと開き直ったのか、伊丹は意外にも、300席クラスの当該シネコンでは大型の部類に入るスクリーンを提供(2番目の大きさ)。しかも何気にプレミアシート(追加料金不要)もある/しかも劇場のど真ん中www
ヨシッと、勇躍予約。仕事おわりだと、ギリギリ間に合うので、残務処理は偉い人に任せて電車に飛び乗る。

果たして、スクリーン4は、100人弱ながら、当方を狂喜乱舞させる内容。家族連れの大量の訪問である。当方試算では半数以上。よって、確実に平均年齢は下がる。中高年の来訪は数えるほど。若年層のカップル系もやや少なめ。ソロ客の比率も2割弱となる。男女比はやや女性優位に推移したが、左隣は男同士の親子。息子さんがかぶりつくように凝視していたのが印象的だった。平均年齢は、そんなわけで20代後半から30代前半に。

もう完全にルーチンワークになっている涙腺崩壊場面。そりゃ、この熱演だから「声優アワード主演賞をどっちも取るわ」と言いたくなる。もっとも、二人が二人とも声優が主戦場ではないだけに、若干微妙なことになってしまったりもしているのだが。まあ、声の出演=声優に限定される時代でもなくなってきているし、声優アワード上でもタレントなどが取っていることもありなので、まあ順当な選考と言える。

三葉が右手を握りしめむせび泣くシーン。「いつか消えてなくなる 君のすべてを この目に焼き付けておくことは」で上映終了を想起した私の涙腺が最終段階に…だが、直後の「一番かっこいい三葉」を見て、「もう権利なんかじゃない 義務だと思うんだ」で、私も立ち直れる。
だが本当にそろそろ「いつか消えてなくなる」その日が近づいてきていることは間違いない。事実、このシネコンではこの金曜日が最終上映日である。
時間帯や交通費を考えれば、敢えて伊丹まで足を延ばすことは普通の映画ならしていない。最後を見届けたいという思いが私を突き動かしている。完全に私の中で何かが蠢き、それに憑りつかれているかのようになってしまっているのだ。
ここまで魂をえぐられるかのような作品が今後出てくるのだろうか?場内が明るくなっても、余韻がすごすぎてすぐさま立ち上がれない自分に少しだけ驚く。そして、改めて、こう思う。
「私は、いや、日本国民は、とんでもない映画に巡り合ったのかもしれない」。

「君の名は。」を深掘る (17)年表との相違点を探る その1

劇場で本当に「いつか消えてなくなる」日をひしひしと感じつつ、3月も中盤を迎えている。
当方のこの作品における解析記事である『「君の名は。」を深掘る』も、よく書けて2タイトルくらいだろうと思っている。

とにもかくにも、このほぼ半年、ひとつの作品にここまで没入できたことに改めて感謝したい。それは、監督のみならず、演者や映像スタッフ、音楽担当のRADWIMPS/野田洋次郎氏などなど。この作品に関わったすべての人たちに御礼申し上げたい気持ちでいっぱいである。だからこその二桁鑑賞、といえなくもない。

さて、以前は、とある一人のブロガーの考え方に反旗を翻したり、ちょっとおかしいとDISったりもしたものだが、そんな後ろ向きの行動を起こさずとも、時系列がしっかりとまとまっている「君縄年表」を見つけてしまった。
これがそれ。出典/作成者などは現時点では不明なので、分かり次第正式にリンクを張らせてもらう。

今までの解析記事は、こういった外部資料にのっとって書いていないことは、最初から読んでいただいている方ならお気づきのことだと思う。逆に言うとこの年表が発見できたことで、自身の解析がどの程度正確なのかを補完する資料にはなりうると判断している。

というわけで、当方の「深掘る」記事と"答え合わせ"をしてみようと思う。ここは敬意を表して、年表に記載されている通りに見ていく。
・ご神体の形成時期(4)ご神体にまつわる二つの謎+(8)小ネタ集内の神社設立年次に関わる事項
この年表では、第一の落下でも湖ができた、としている。もちろんこれは小説の書き方に依っている。そして人が棲みつき、神社もできる。そしてそのあともう一度落下し、人が死に、丸い糸守湖ができた、というスタンスを取っている。
ではご神体の「岩のようなもの」は何なのだろうか?そして何より重要なのは、この年表での「第一の湖」がどこにも存在していないことにある。
と書いて少しだけ気になる描写が脳裏に浮かぶ。2016年10月22日にご神体を訪問した瀧は、腰まで水に浸かって「あの世」たるご神体に近づいている。そう。この年表で言うところの「第一の湖」こそ、このご神体ではないのか、という仮説である。
だが、これはやや苦しい説とせざるを得ない。言わずと知れたことだが、水は高いところから低いところに流れ、出口がない/排水能力が弱いと水たまりになり、大きくなると池や湖になっていく。クレーターのようになっているから、一度入った水は、地中に沁み込む以外はたまっていっただろうと判断できるが、この「ご神体=第一の湖」ができるほどの水量がどこからも発生しえないというところが残念な結果をもたらすのである。
もちろん、この年表によるところの紀元前400年あたりに何らかの別の天変地異のおかげでご神体のあった窪地は湖化したことは考えようによってはあり得る。
いずれにしても、「2回過去に落ち、2013年が3回目」という事実は変えようがない。またこの年表では「すべてティアマト彗星による仕業」で片づけているが、記事にもしたように「そんな奴おれへんやろぅ」と言いたくなるのは間違いない。
検証結果:△(第一の落下でも湖ができていたことをどう判断するかによりけり)
・序盤の日付の考え方(1)序盤から噴出する謎に迫る
これは、当方が一番最初に考えていた「9月5日が同時に入れ替わりの始まった日」という見方を覆させられた(5回目鑑賞時) 証拠でもあり、これだけをもってしても、こういった外部資料を参照せずに記事を書いていたことがうかがい知れるというものである。
結果的にこの年表とは整合性が取れていることにもなるわけだが、ここに至るまで当方は結構時間がかかってしまったのは少しだけ残念でもあった。
検証結果:×→○(同一日付という概念があったので、序盤の進ませ方がおかしいと途中で気が付く)
・ご神体での奉納日(3)「10月2日」を俯瞰する
曜日一致で考えると、どうしても9月の訪問になってしまう「ご神体」へ向かった日付。この年表はズバリ、2013年10月2日に行ったことになっている。
「学校休んでまで?!」ということもあるのだが、皆さんにだって「休まないと仕方ない行事」というものは存在するはずである。まして、神職。この日がどうしても奉納日であると設定されていたなら仕方のないことだと思う。
ただ、問題は、翌日がデートの日付けになっている=平日な点。当方は、デートが日曜日に設定されていると信じて疑わなかったので、同一日付移行に軸足を振っていたが、「翌日デート説」に転向する。ただし、「それは夢の中の出来事」という都合のいい解釈あればこそ。
検証結果:△(同一日付移行説を断念。デートは10/3だが、休日っぽい描写=夢の中、という都合の良さを採用)
・飛騨探訪の日付(7)飛騨旅行の日程はこれで決まり
もちろん、状況証拠からだけであり、いわゆる「駅弁の日付」というミス項目や、宿で瀧が三葉の残した、スマフォアプリ上の日記を確認する際に一瞬出てくる日付との整合性は取りようがない。
だが、2泊3日/金土日の旅程であることは確かであり、高木の動画日付がそれを確定させるにふさわしい。
検証結果:◎(当初からこの結論を動かしたことは無い。独自検証で導いたところは自慢してもいい)

細かい時間に関するところもいろいろ書かれていて、読んでいてためにもなる。
まず第一弾はここまで。次は「気になる点」をいろいろと書いていくことにする。
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