多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

2017年08月

アニメ映画比較検討倶楽部(2) 「君の名は。」vs「打ち上げ花火」

「君の名は。」の一年後に公開された、「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」(以下、「花火」)。
原作はテレビドラマであり、1時間の尺に納まっていた45分程度。アニメーション映画になった時には、90分もの長丁場になっている。
ドラマではタイムリープは一回だけ。だが、アニメーション版では、数回やり直している。最終的に何とももやもや感の残るラストシーンは、リア充・「君縄分多し」とみていたカップルたちを絶望の淵に叩き落とす効果を生んだ模様である。

私自身は「どうせシャフトだし、どうせ新房さんだし」と思っていたので、ファンタジーに振った部分はあるだろうし、スパッと竹を割ったような結論にするとは思えなかった。「if」が根底にある作品だから、今はどんなタイミングの「if」なのかを分からせながらストーリーを進めていくだろうな、と思っていたが、あそこまで何度もタイムリープするとは思っていなかった。

都合が悪くなったらやり直し…まるでゲームのような世界ではないか!!しかも直前のセーブポイントまでは戻ってくれる。そんな子供じみた世界観だったわけである。そりゃ、大の大人/リア充にしてみれば頼りない、面白くない、と感じるのは当然といえよう。

その一方で、「君の名は。」は、死に直面していたかもしれない三葉を瀧が助けようとする局面の入れ替わりこそが重要である。今までの入れ替わりはネタフリ、2016年10月22日と2013年10月4日が奇跡的に交差する、そして、カタワレ時で感動の、そしてありえない奇跡の出会いを果たすのである。

「花火」では、ナズナが海中から拾った綺麗な球がキーアイテムとして描かれている。ところが、「君の名は。」では、入れ替わりが起こる理由も、タイミングも、きっかけとなるアイテムの存在も明示されていない。せいぜい私は2013年10月3日に三葉から瀧に組紐が渡り、同い年になったタイミングで初めて入れ替わりが起こった、という解析を示しているが、これとて独自分析の域を出ない。

「君の名は。」がヒットしたのは、単純に「二人がどうあれ再会できた」からに他ならない。名前は忘れていても、二人は常に「ずっと誰かを探していた」ままでコンクリートジャングル・東京で生活していた。岐阜・高山からほど近い大都会・名古屋の存在など忘れているかのような三葉の「東京一択」の姿勢はいぶかるところでもあるが、仮に彼女がどこにいたって「俺が必ずもう一度逢いに行くって」という瀧の情念にはかなわないとみる。
「花火」は、主人公たちが中一になったとしても、みている我々が自分自身を置き換えるように、そこまでタイムスリップすることはなかなかに難しい。それこそ中二病でも発症していそうな、一番とんがった時代。恋愛というものの発露がそろそろと顔を出し始める多感な時期にあって、アニメーションならではといえるような演出(ミュージカルスタイルだったり、最後のツーショットだったり)が軒を連ねたところはよかったのだが、いかんせん、序盤でやらかしているので、それらがすべて「?」とされてしまうのは如何ともしがたい。

原作のチョイスはよかったものの、作劇や納得のいく読了感が得にくかったのは間違いない「花火」。健闘はするだろうが、30の大台が目指せるかどうかに留まるのではないかと推察する。

アニメ映画比較検討倶楽部(1) 「君の名は。」vs「メアリ」

ジブリで実績のあった米林監督作品であった『メアリと魔女の花』。しかし、予告の時点で、爆死臭しか感じ取れないという、とんでもない作品と看破できてしまった。
何しろ、自分でここまで言い放つのである。「君縄」が第2の繁忙期を迎えた今年初頭にこんなハードルを上げた予告を見せつけられて、「それでそこまで言って大丈夫なの?」と他人ながら心配したものである。


結果はかくのごとし、だったわけだが、大ヒットした「君の名は。」と比べる方がどうかしている、という声も聞こえてきそうである。
描いている主題も、対象年齢層も、もちろん言いたいことも全て異なっている。だからこそ、の比較検討倶楽部なのである。

私の言いたいことはただ一点。
 「メアリもヒットしていたかもしれない/君縄も駄作で終わっていたかもしれない」

というところだ。
お転婆で何やってもうまく行かない、おまけにそばかすに赤毛と劣等感まるだしのメアリをもっともっと不細工に描けていたら、最終盤の晴れ晴れとした表情が少しは生きてくる。変な暗喩も抑え気味にしていれば、わかりにくい伏線も排除できたはずだし、変身実験がもたらす闇をもっと書くべきだったかもしれない。
ここまで書いてみて、もうお気づきだろう。「設定が不十分」なのだ。魔法大学のくだりの半分は、夏井先生ではないが、「書かなくても済んだ話」だろうと思う。力を入れて描写するところを間違っているのだ。それほど原作が薄く、説明が必要だったとしても、ここまで凡庸に「時間つぶし」のように映像を無駄遣いすることが何を意味するのか、監督はわかっていらっしゃらないのではないか、と思う。
一方、「君の名は。」の場合、説明らしい説明は極力省いている。入れ替わりの理由、入れ替わる日が同じ日付、連続で入れ替わっていないなどなど。入れ替わっても、日常生活が不自由なくできているし、携帯が新機種になっていることにも気が付かない。出だし30分で二人は入れ替わる、事しか提示していないのだ。それが恋愛にムスビついていくという、新海マジック。むやみに説明を、記述をしてこなかったがゆえに、物語に引き込まれてしまったのだ。
説明を省くのみならず、時系列を捻じ曲げてでも前に進む(序盤の瀧ちゃん→三葉君誕生の部分はこういうストーリー建てにしてある。当方ブログから)。解析されることを見越してあえてこういうストーリー建てにしたのかもしれないが、とにかくそつがない。

ここまで見てもらうとわかるように、魔法大学の描写にかけた時間を、もっと他のところに費やす、「塩沢トキ」では悪役に徹しきれない(湯婆婆クラスのキャラデザでないと厳しかったよね)などなど、あのシークエンス全体のお化粧ぶりでニワカやお子様はごまかされ、我々は退屈で不要に映ってしまうのである。
それに比べて、「君の名は。」は、むしろもっと書かないとちんぷんかんぷんで置いてけぼりを食らいそうになるくらいスピード感があった。なので説明しすぎなくらい書いてくれないと困る層は、ポカーンになってしまい、評価が落ちてしまうのだ。

あえて観客の心情にゆだねた新海氏と、薄めの原作を何とかしようとした米林氏。原作選択の段階で勝負あった、と言いたいところである。




                                                                

久々始動!!比較検討倶楽部(プロローグ) アニメーション映画でやってみる

おお、懐かしい企画の登場である。
「あまちゃん」の大ヒットと、その前後に放送された朝の連ドラ解析の企画でもあった「比較検討倶楽部」。
→そう!!あまちゃんの放送って、2014年なんですね。「あまロス」なんていう流行語も生まれたりした、能年玲奈(現在の"のん")嬢の将来が嘱望された一大ヒットドラマでもあった。
当時の「比較検討倶楽部」の記事を列挙しておきます。 その1 その2 その3 その4 その5

「あまちゃん」を挟んだ前後の連ドラ(前が「純と愛」、後が「ごちそうさん」。東出と杏が結ばれるきっかけにもなった)を遡上に上げたわけだが、掲載当時、かなりのヒット数を記録していたと思っている。

そんなわけで、久しぶりの「比較検討倶楽部」。お気に入りのタイトルの復活を祝いたいところである。

もちろん、遡上に上げるのは、近年作品では大ヒットした「君の名は。」。対する作品は、ジブリ本流の「メアリと魔女の花」、「打ち上げ花火」、スイーツ映画の部類といえる「君の膵臓を食べたい」たちをいろいろな方向から比較していきたいと思う。
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