多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

2018年01月

解析厨歓喜!!な記事発見。書いていきますよ(5) まとめ

分刻みでどれだけの視聴者が画面にくぎ付けになっているか、を調べる指標としての「視聴質」という用語は、今回この記事で初めて知った。
→すでに4タイトル記事にしています。元記事はこちらを参照ください

これでわかることは、
・やはり10代の支持や受け方が絶妙なところがヒットの最大要因の一つであるとはっきりした
・見れば見るほど味わい深くなる作品であることに気がついた人たちのリピーター度が半端なかったこと
・高年齢層にも十分に訴求する内容であり、特に男性に向けたメッセージともとれる作風が後押し
・無駄がほぼなく、106分を一気に駆け抜けた爽快感が読了感に満たされていくこと
・CMとのコラボや、敢えてそれらしいものを投入することがむしろプラスになりえること
・女性にもっと共感できる作品だったら、千と千尋越えは確実だったこと

なぜこれほどの作品が「千と千尋」を越えられなかったのか、と考えた時に、どうしても当方が男性であるがゆえに、女性からの視点というものに気が付かないでいた。だが、エモーショナルにとらえていたのは男性が中心であり、10歳以下の子どもや女性にはいまいち響かなかったのではないか、と今回の記事は示している。
この記事の数値を使って少しだけ観客動員を加工してみる。1900万人のうちの男女比を視聴質比2.36:1.72がほぼ正しいとみると、男性は約1100万、女性が800万人となる。そして私の観客動員記録も意外なところで役に立つ。女性優位な回は意外に少なく、男性女性比なら2:1だったりしたことが多い。
ここがもし男女ほぼ同数で見ていたとするなら…2200万人。千と千尋にあと一歩だったし、それは、急激なフェードアウトによる鑑賞機会損失や年末年始の箱割失敗によるところが大きいともみている。

映画はどこまで行っても、エンターテインメントからは抜け出せない。いくらそこに感情が織り込まれ、涙腺を崩壊させたとしても、所詮は画面の向こう側の出来事である。
しかし、それに倍するスクリーンに向かわせる原動力を「君の名は。」は持っていた。だからこその1900万人越えであり、250億円越えなのだ。
実際、複数回観させられた映画に出会ったことがない、という人ですら、「そういう気持ちに憑りつかれた」からこそ、何度も座り、何度もクスッとさせられ、何度も泣き、何度も成りきり、何度も歌ってしまうのである。二桁などいわば当たり前。3桁鑑賞こそ、この映画を骨の髄まで楽しむ証といえなくもない。

地上波で満足した人も多いだろうが、逆に、この作品をスクリーンで見ていない=地上波放送が初見 だとしたら、それはものすごく損をしていることに違いない。かくいう私ですら、「よく踊らされたわ」と感じ、それまでの15年余り、無関心でいたアニメーション映画に振り向かせてくれただけで、この作品には頭が上がらない。

2018年も、この作品の記事で大半を占めるようになってしまっては、ほかの作品にも申し訳がない。今回の地上波視聴質解析は、この作品のバックボーンに触れた感じがして、本当によかった。

解析厨歓喜!!な記事発見。書いていきますよ(4)

さて、この「視聴質」記事の解析も最後のグラフに到達する。
→男女の差が如実に表れるグラフである。
使うグラフは、この記事の3番目のグラフ。

ここは結論としてさらっと3行程度のまとめしか記述されていない。個別の要素ごとの解析もあえて手抜きにしてしまっているかのようである。

開始直後から乖離は始まり、20分経っても男性優位で推移。なんとこのグラフが正しければ、21:55以降、女性の視聴質が男性のそれを上回ることは一度もないのである(場所はデートが終わり、スケッチを書き始めるところ)。
今回のこのグラフが指し示す結論は、恐ろしいリピーターたちの出現と大きく関係しているとみている。

2018.1のアポロシネマの上映回でも、男女比で言ったら確実に男性陣に軍配。2017年当時の鑑賞記を紐解いてみても、「ものの見事におっさんだらけ」(2017.8.18/35縄目)だったりしている。つまり、男性にとってかなり響く作品であったということが言える。
それもそのはず。スケッチを書き始めるころから、三葉の存在は描かれていないからである。彼女が居る、と思わせる描写は、あの!スマフォの交換日記が消えゆくシーン。しかもその時、「あいつの書いたメモだって…」としか言えず、三葉とは言っていない。
三葉の存在に気がつくのは、名簿を見た瞬間。だがこれ一度きり。しかも、数時間後に宿に入ってから「あいつの名前、なんだっけ?」と忘れてしまっている瀧がいる。
いずれにせよあのタイミングからは主役である瀧が出張り、彼目線でストーリーが紡がれる。名前を忘れたままなのは、実は口噛み酒を飲む直前まで引っ張っており、「こっちが妹で、こっちが俺」「あいつの半分」と、完全に名前を言えていない。口噛み酒トリップで、二葉が「あなたの名前は、みつは」と言うまでは、彼は彼女の名前を記憶できていなかったとみていい。

瀧の物語が大半を占める後半。特に三葉目線より、瀧目線のストーリーの方に感動できる部分が多い。カタワレ時もそうである。二人が入れ替わりから解ける、"5次元"の2013.10.4。二人は邂逅するのだが、その時に見せる瀧の表情の変化こそ、彼が今までやってきたことが報われ、我々にも安どの空気が流れる、屈指の雰囲気を作り出せたのだと思う。
突然のぶった切りCMの後、カタワレ時終焉と同時に瀧の慟哭が流される22:40以降、男性陣がまさにとらわれたかのような視聴につながる。瀧が追い求めていたもの、見つけたかったもの、言おうと思っていたこと。すべてが達成されないまま幸福な時間は終わりを告げる。最後のよすがでもあった名前も忘れていく。それに抗う瀧を見せることで、男性陣に瀧が憑依・瀧に成りきる位置にまで感じ入らせたのだと思う。

その喪失感が男性の側に大きいから、二人が再会し、須賀神社の階段でお互いを認め合うシーンで男性陣は最大の視聴質を獲得するのである(3.45程度)。一方、女性陣の方はと言うと、最大視聴質は2.5で21:55。瀧がスケッチを書き始めるあたりである。これを以降越えることはなく、隕石激突直前の、転び、「これじゃ、名前、わかんないよ」のところでの急伸ですら、2.2に足りない程度。瀧に傾注しすきた部分が弊害として出てしまった嫌いもある。

もちろん女性陣に全く不評であるとの声は聞かれない。よって、このグラフだけで女性はいまいちの評価しか下していない、男性がかなりはまっている、と評するのは簡単すぎる結論だ。どこまで行っても、瀧と三葉の物語であり、三葉に追いつこうとする瀧の献身ぶりが胸を打つのである。
分刻みの解析は、意外な事実をもたらしてくれた。最後に大まとめをしてこの記事を終わらせたい。




解析厨歓喜!!な記事発見。書いていきますよ(3)

このサイトのデータの凄いところは、年代別/性別の視聴質データも集めているところである。
特に、このサイトは、Teen、つまり10代の視聴者の動向にかなり注目していたということである。

つづいての解析に入りたい。
→使うグラフは、この記事の2番目のグラフ。

視聴質が5とか、6とかになるというのは、「視聴質の平均値を1としたときに、極めて多い人数が、長時間にわたってテレビ画面を注視していた」ということと同意義なわけだが、1家庭でそんなに大量に子供がいるわけがない。しかし釘付けになっている子供たちが大勢いた、ということを示すデータとしては、これ以上の説得力あるものはない。そして一番面白いデータともいえる。

何となれば、「前前前世」がかかっているその瞬間が最高点であるところである(5.13)。まさに日本映画史上屈指の再会シーン「カタワレ時」よりも高いのである(5.11)。
現代のお子様たちの方が、音楽の持つエンタメ性や盛り上げ、感情のコントロールというものに柔軟に対応していることが浮き彫りになる。実のところ私は初見の段階で、音楽性の優位度については余り論じてこなかった。それが顕著になったのは、サントラを購入し、聴いていくうちに、「あ、これってかなりシーンに応じた作曲しているんじゃねえか」と気が付き、製作委員会にRADの所属事務所を発見し膝をたたき、歌詞を咀嚼して一層感慨にふけったのである。
音楽の持つ映像との相乗効果を若年層は早々に見抜き、だからこそ、初動の大量動員を可能にしたのだ。中年世代や映画に無関心層に訴求するにはどうしても時間がかかったわけだが、いったんそのからくりに気が付き、没入できたら、もう怖いものは何もない。そこにあるのは、キチ縄氏を筆頭にする、複数回観ても飽きない信者・君縄オタの出現を見るのである。

さらに面白いのは、ラストシーンの出会いが、彼らには案外に写っているところである。数値は示されていないがグラフから読み取っても4ポイント台には至っていない。二人が二人して泣きながら出会うあのシーンが、それほどでもない、というのである。ここも面白い考察ができようというものだ。
彼らにとって「素直な出会い」は、今までの苦労からすると、拍子抜けに映ったんではないか、と思うのだ。もちろん、大団円であり、それを否定する数値でもない。だが、全体的な盛り上がりとは裏腹に、瀧が慟哭するシーンよりも低く抑えられているところに、彼らの「そんなことあるわけない」が具現化したんではないか、と思うのだ。
もし彼らが、鬱エンド…秒速的なすれ違いで終わっていたとしたら…あるいは、それすらかなわず、出会えていなかったとしたら…評価はかなり変わっていただろう。「会える」エンドは当初からの設定のようなので、そうなることは微塵も確率としてなかったわけだが、当たり前のように映る大団円が意外に映らなかったのは、新海氏のそもそもの手法を知らなかったことによるところも大きいとみる。

このサイトの考察ではCMにも興味を示していたとある。クロスロード、白戸家入れ替わりバージョン、更に上白石萌音出演の政府広報。全体的にCMの際に席を立つのが当たり前な中にあって、数字が突出しているところはなかなかの解析である。
CMまでまともに見られる地上波初放送。10代のみかもしれないが、訴求出来たところは企画サイドの成功事例といえるだろう。

まだ書く。
この10代の視聴質グラフ考察でなくてはならないのが、山谷の半端のなさである。これについては何も書かれていない。ちなみに最低を記録しているのが、22:13ごろのCM。全世代数値で記録していない1ポイント台を大きく下回っている(0.8くらいか?)。
一般平均を大きく突き抜けるグラフがどうして現れるのか。それは、興味を持つ対象に対する関心の高さ/無さが如実に表れているから、と見ている。ストーリーが手の内に入っている10代も多いはずであり(あの観客動員で、逆に見ていない10代がどれほどいたのか、逆に調査したいところだ)、「そうそう、ここ、ここ」「あ―これ、アカンん奴や」「入れ替わってるどころか成りきってるぅぅ」にまでさせてしまった作品力のなせる業だと思っている。
年代別に迫ったことで、やはり、この作品は、若年層に親和性が高く、今までの陰鬱な作風とも違う側面が新鮮・斬新に映った結果が、大量動員を可能にしたのだということが言える。

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