多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

2018年01月

解析厨歓喜!!な記事発見。書いていきますよ(2)

今の「視聴率」の数字ははっきり言ってあんまり信用ならない数字だと思っている。そもそもテレビが見られていない、テレビの価値・信用が著しく低下している現状において、たった一つの数字・・・せいぜい、瞬間最大とかそのくらい・・・が持つ意味合いはますますおかしくなっているからだ。例えば某局月9はここ最近初回最低視聴率を更新しまくっているそうだが、それがどこに原因するものなのか、がまだわかっていないところに痛さを感じる。
その点、このサイトの提示している数値は、サンプルが800世帯/関東のみに限定されるとしても、実際に視聴している人たちの動向が分刻みでわかるシステムなのだ。それも漫然とテレビがついているだけではなく、能動的に住人が見ているか見ていないかがわかるのだ。

ではまず第一段の解析に入りたい。
→使うグラフは、この記事の一番目のグラフ。
これがこのサイトの提唱する、「視聴質」というものの分刻みのグラフである。最大数値は、なんと、瀧ちゃんが目覚めたシーンあたりである(2.76)。次が「俺は…何を…」の付近(2.75)、そしてラストシーン(2.73)となる。
ここで注目してもらいたいのは、なんといっても、この一番注目を集めたシーンが、序盤の山として見られたところである。この後「東京やぁ」となってCM(Zkai「クロスロード」が流れる、新海ファンにとっては最初のボーナストラックw)になだれ込む。
逆に言うと、三葉の日常の時は、それほど大したグラフの振りにはなっていない。時刻は9時20分。ほかの対抗馬の内容にがっくり来て今まで君縄を問題視していなかった層が、たまたまチャンネルを合わせたとも考えられるが、一般の視聴者がタイミングよく会わせられるはずがない。
とはいえ、一般視聴者の側からすると、「来世は東京のイケメン男子にしてくださぁぁぃぃ」の念願がよもや叶ったのかぁ?となっても不思議はない。そもそも初見/入れ替わる、ということを知らない層が居てもおかしくない。
結局はつかみに当たる、三葉君や三葉そのものの生活にはあまり興味を示していなかったことがわかる。そして、やはり、東京を描く一人者の一人たる新海氏の芸術的な手法に息を飲む人が続出するのだ。
「前前前世」期間中、グラフは駄々下がりなのは特筆すべきところだろう。音楽がうるさいと感じ、特にこの作品が持つ、ミュージカル的な側面に肌が合わない人は少なからずいる。PVみたいに感じた、という人たちが作品に興味を持たなかった一因と言ってもいい。
そして、スケッチを書き始めるあたりから、グラフはまた右肩上がりをはじめ、その謎がクライマックスとなる図書館のシーンで2度目の山を迎えるのだ。
ここは、本来なら中だるみすべきところが、観客の目を奪わせ、「もしかすると三葉は死んだのではないか」と思わせる状況証拠をちりばめて、観客を不安にさせる、どうなるかかたずをのませる。これでマイナス方向に引きずり込むことができたわけである。
ガクッと落ち込む谷はすべてCMのなせる業であり、これがなかったら、このグラフはどうなっていたか、知りたいところである。そして、最大の落ち込みをしているのが皮肉にも、ペンが落ち、いなくなった三葉を探す瀧のシーンのところだというのが面白い。
実は、DVD/BDでは、ここでチャプターが途切れている(チャプター26から)。場面的には、分からないでもないが、あのシーンは本当に切るところを間違えたのか、と思いたくなった。
だが、カタワレ時/三葉の消失からラストシーンまでは、当方試算で平均2.35くらいと推定。特にラストシーンが高くて当たり前だが、3番目の山になったのは至極当然といえる。

以上、グラフ一番目と、カタワレ時からラストシーンに当たる詳細グラフである4番目を使って解析した。
いやあ、データを前に解析するのは面白い。楽しい。引き続き行っていく。

解析厨歓喜!!な記事発見。書いていきますよ(1)

この映画が公開されて足掛け3年。
こういっては何だが、この作品がここまで私の心に憑りつき、離れず、何か書かせてしまうのははっきり言って恐ろしい。
ついこの間も、「ご神体の水たまりの件」で一本かいたわけだが、これ自体も回答を探そうと思ったのは今年に入ってから。そうさせてしまう原動力があるということなのだ。

すでにツイッターでも、君縄関連のつぶやきや、君縄メイン垢の人たちとはツイの中だけにとどまらず、リアルにも付き合ったりしている(劇場で会う程度であり、公私ともに深く、とまでは至っていないが)。そんなアカウントの一つが、先だっての「君の名は。」地上波の詳細データをまとめたものをつぶやいてくれた。
それがこちら。もうね、私にしてみれば、この記事だけでご飯3杯は行けますよwwww

最初「視聴質って、誤字載せてんじゃねぇよ」と、タイトル見て半笑いになっていたりしたのだが、この調査会社が設定する、VI値とAI値の掛け算が視聴質になって現れるようなのだ。
ざっくりいうと、VIは、「テレビの前にいる人数」で、AIは「テレビの方を向いている人数」ということができる。一家4人がテレビのある部屋にいるとVI=4。だが、一人は新聞、一人はゲーム、一人はスマホ、だとするとテレビをまともに見ているAI=1 となって、この瞬間のこの家庭の視聴質は4.0ということになる。いまどき、4人家族が4人ともテレビの前に勢ぞろい、なんてなかなかないシチュエーション。だから、この作品の場合でも、視聴質が高くて2.7台だったりするのである。
ちなみに記事によると、「君の名は。」の平均視聴質数は2.05。二人世帯がほぼ釘付けになった/テレビの前にはほぼ二人がかじりついていた と理解できる数値である。

さて、これから数回に分けてこの記事を解析しようと試みる。転載・引用の許可は、堂々と正面から挑み、勝ち取っている。
※上記経緯があったため、記事投稿/掲載に時間を取ってしまいました。なお、下書き投稿の日付にしてあります。

2018.1.14 38縄目@アポロシネマ

2日連続、2タイトル連続鑑賞。
また、私の劇場鑑賞記録に一つの記録が生まれた。
今まで、君縄だけで記録されていた様々な記録が「言の葉の庭」でも作られつつある。これはすごいことである。

タカオとユキノの魂の叫びは、じっとりと頬を濡らすのに十分すぎた。
そして本日ラストとなる「君の名は。」昼一回目上映になだれ込む。館内は、さらっと一杯状態。完全カウントはかなわなかったが、A列(最前列/もしかするとあの方かも…)にも観客がいる状態。最終的には70人強と見られる。
TV放送が「つい2、3週間か前に」(瀧 談)あったはずなのに、この入れ込み。これは好循環が巻き起こっていると推察する。円盤を購入せず、この地上波を待っていた人が、それを見て、「ウワ―、これって映画館で見ておくべき作品じゃなかったのか」と気づかされ、うまい具合にアベノでやってるじゃん→行ってみるベー、となっている客層が少なからずいると見られることだ。事実、前日の鑑賞回。前にいた家族連れのお子様は、ペンが落ちるときに「あっ」と声を上げた。これすなわち、ストーリーを理解していない=初見と確定できるのだ。

その鑑賞層。前上映の「言の葉の庭」からの連続視聴をしている層にプラス君縄からの鑑賞勢が加わった感じの人数になっている。家族連れも2組ほど。同姓ペアも10組程度。カップルも当然のようにいる。初老/中年/若年層のソロも男女比で言えば男性が優位。それだけ「囚われている」人が多数いることに安堵し、驚愕する。
実は、今回すべての鑑賞層の平均年齢は、30代後半までとなっている。つまり、若年層の鑑賞が無視できないほど来ているということである。これは少しだけ胸をなでおろすところである。
2016年の公開序盤は若者だらけだったといわれるのだが、その若者層の需要は一巡するとしぼんでしまう。ところが、そこから30代以降の壮年/中年/老年層に広がっていく。そこからがすごかった。多分にキチ縄化した人たちが動員を引っ張っていたんだろうと思う。そしてそれが2017年の年始の大量難民を発生させる原動力になったとみている。

もう書くべきところはどこにもない…と思っていたが…ついにこの疑問も回答を出すことができてしまったのだ!!
ていうか、まだあったのだ…
確認すべくいつもの大号泣はやや抑え気味になった。無理もない。この間、今までほとんど歯を食いしばり、号泣してしまって、スクリーンをまともに見れなくなっていたのだから。まあおうち帰って円盤確認するのがいいかと思いましたが、変に修正されていると困っちまうもんですからね。
そして円盤もこの箇所の修正はなし。よって、この仮説というか結論もゆるぎないものになったといっていい。

いまだに問題が出てくる箇所がある。しかも物理的にである。物理的な点は、それが現象的に唯一無二だから二つ描かれていると「どっちかが正でどっちかが虚」なのだ。ここに気が付くかどうか。そしてそれに挑戦しているかのような監督や演出陣がいる。物語の構成しかり、時系列しかり、三葉の生死しかり(当方は、いまだに三葉は死んでいない説を猛烈に支持しており、そうでないとこのストーリーは破たんする)。
だからこそ、名作なのだ。論議をさせるほどの作品であったのだ。通り一遍、誰に聞いても同じ意見しか出てこない金太郎あめ的な均質な内容の作品ではなかったのだ。

「君の名は。」論はいまだに完成を見ていない。それはこの作品が未完のものだからである。未完。誰の目にもラストシーンは二人の出会いで終わり、その前に流れた「離したりしないよ二度と離しはしないよ」という歌詞で二人のムスビは強固なものになったと思っている。だが、それで本当に終わりだろうか?まだ残してきたものはないのだろうか?
二人がお互いの名前を聞こうとするとき、すなわち、ラストシーンで「君の名は。」のタイトルが空に吸い込まれていくときに「次」が見えてしまう私は、やはり、君縄病に憑りつかれていると断言できる。


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