多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

2018年02月

「映画芸術」誌は自ら存在意義を失ったのか?

現物を購入して、はらわたが煮えくり返る思いを持ちながらブログを書こうと思ったが、ひとまず草稿という形で落ち着いた。

一番最初はツイッターで知ったこの案件。ライブドアニュースにもなっていた。
こちら。

乱暴な言い方を許してもらえるならば、いくら金を稼ごうとも、超名作であっても「アニメーション映画はあってなきがごとし」ということなのだろう。それはそれで納得いく説明とも受け取れる。何しろ、実写だけに限定してベストとワーストを決定してくれるのだ。あえて、表現方法も違う、土俵の異なるアニメーションがそこに割り込む余地はないといってもいい。
今の実写映画界、ドングリの背比べであり、お世辞にも名作や大作が出てきているわけではない。それが証拠に、2017年の邦画興行成績ではアニメーションが独占に近い状態。このサイトで邦画のランキングを作成すると、1位コナン/2位ドラえもん/3位銀魂/4位ポケモン/5位キミスイ/6位メアリ/7位妖怪ウォッチ/8位SAO/9位忍び/10位22年目 となる。1・2・4・6・7・8と、6作品がアニメーション。邦画実写トップの銀魂の興収は38.4億であり、全体4位だったコナンの68.9億の半分強しか稼げていない。アニメーション6作品で239億以上を売り上げている(2017年の「君の名は。」の興収は含まれていないが、もし2017年分で計算すると、ほぼ35~40億はあった計算になり、下手するとベスト3くらいの地位を獲得していたかもしれない/そうなると、ベスト3すべてがアニメという結果となってしまう)が、実写の4作品では122億程度。

これほどまでに水をあけられていても、アニメーションの影響力を無視しておきたいというのである。再度の記述になるが、日本の劇場でかかっている邦画アニメーションは、いいもわるいも評価の対象にならない"異質"なものだとこの雑誌は高らかに宣言してくれたことになる。
彼らの言い分も、心を落ち着けて聞けば、理解できなくもない。人間が動いて初めて映画と言える、スジ(ストーリー)とヌケ(映像)とドウサ(生身の演技)の3要素は必須だったわけで、今までの選定方式がむしろ間違っていた、と言いたいようなのだ。

とはいえ。
自分たちの価値観に相いれないものを排除するやり方って、すでに吐いて捨てるほど見てきている。F1のグリッドガールを止めることに例を上げるまでもなく、「声を上げたもの勝ち」という風潮が蔓延しているように思えて仕方ない。そして、そういう固定観念に凝り固まり、柔軟に物事を見られなくなっていく人たちを加齢を踏まえて「老害」などと呼ぶ。
彼らのアニメーション蔑視の考え方は、よくわかったつもりである。表現方法が違うだけにもかかわらず、同じ土俵に立たせてもらえない。所詮実写という狭いコミュニティーの中だけで優劣を決めてくれればいいわけであり、私としても、その考え方を変えさせようとか、不買しようと呼びかけるつもりはさらさらない。
だってその必要がないからである。映画芸術という雑誌タイトルであるのにすべての映画が対象でないということを宣言してしまったからである。
今回の件がこの雑誌にとって致命的なのは、今の日本の興行実績から言っても、アニメーションの量は半端ないからである。その昔の「東映マンガ祭り」くらいしかアニメ映画がなかったころはランクインできるほどのクオリティもなかったし、実写がまだまだ意気軒高だった時代である。90年代あたり…バブル崩壊以後から調子が狂い出して、今に至るわけだが、このあたりから、シリーズもの/ジブリ系が幅を利かせ始め、2001年の300億越え達成の「千と千尋」の出現を見るのである。それでもこの雑誌は、アニメーション映画にも目を配っていたはずである。

突然の路線変更が、なにに起因するものか、は正直わからない。もっとも、分かったところで、彼らが彼らの決めた道を行くことに否定も肯定もできない。「どうぞご勝手に」と言ったところだ。完全にものにするべく、本誌は購入するつもりだが、最初で最後の購入になるだろう。

2018.2.1 ビッチたちの狂演w 「スリービルボード」鑑賞記

まず先に結論を書かせていただく。
ずばり、「シロートにはお勧めできない」(ゴノレゴ 談)内容である。それは、胸糞シーンや唐突な暴力、「誰が」やったかがわかりにくくしてあるなど、その世界観がかなり暗く陰湿だからである。

もちろん、それは半分想起したうえで見に行ったところはある。何しろ、一応「アカデミーノミネート作品」だからである。アカデミー候補にあげられるというのならばよほどの練られた脚本やら、演出やらがあるんだろうな…
だが、実際には、「くそ野郎」やら、「ビッチ」やらが随所に出てくる、お世辞にもきれいな作品とは言えない。

しかも未解決事件はそのままに「別」の悪を退治しに行こうとする人物たちは、それこそ他にやることがあるだろうに、と思わずにはいられない。初動捜査のいい加減さを主人公が断罪する場面もあったが、真剣な謝罪とは受け取られなかった。

さて、そろそろ本題に入る。
この作品を絶賛している人もいる。それはそれで構わない。だが、私はどうにも、もろ手を上げて賛成、とは言えないのだ。
何しろ、主人公の傍若無人ぶりが痛々しいのだ。そもそも、自分の娘が殺されたことをあえて広告にするなどということがどういう結果をもたらすのか、わかっていなかったわけではあるまい。まして、署長は病気。余命いくばくもない末期がんならなおさらだ。
クレームをつけに行った歯医者のところにも押しかけ逆襲する、説得に行った神父までも論破してしまう(まあ、これはこじつけ以外の何物でもなく、神父の苦虫潰しぶりが印象的)。広告を燃やされたと知るや、警察署を襲撃する…ことによると、かなりの罪状になるのではないか、とさえ思うのだ。
もっと恐ろしいのは、ヘイトたっぷりのマザコン警官。今までの悪行から考えてもとっくの昔にバッヂを奪われているはず。そして、とうとう殺人未遂すれすれの暴行事件を起こしてようやく職を解かれる。その後の彼の数奇な人生は…考えようによっては、改心できた、と見て取れるし、良心が残っていた、とも考えられる。
でも、町は、すべてのことを飲みこんでいく。まるですべてを知っていて、誰も手出ししないかのように。そこにこの物語の矛盾している部分を見つけ出すのだ。
「真犯人を探せ」と息巻く当の本人が次々に犯罪を犯していく。そして、結果、この物語の中では真犯人は見つからなかった。導出に至る経過も徒労に終わるかに思われたが、「成敗しに行く」方向にかじを切る。それでも、その決意もドライブするにしたがって冷めていく。そして終幕…

はっきり言って、読了感はあまりない、というのが実際である。胸糞悪いというか、誰も救われないというか…小さい町で起こった凄惨なレイプ事件が未解決に終わること自体が稀有なことであり、その犯人の影すらも感じられなかったところにこの作品の闇の深さを感じ取る。
もちろん、誤認してしまう人物の登場は、唐突感もあり、また、"自白"からそう思わせる効果は絶大だった。そして、私はそういうあり来たりのわかりやすいサインは、「それを疑うべき」と思っていた。だが、それまでのストーリーから、ここは素直に演出したのか、と思ったので「もしかしたら」と思ってしまっていた。新署長の二言目を聞くまでは。

とにかく、「皆さんに見てもらいたい」とはなかなかにお勧めしがたい。いくら主人公たる、少女の母親に寄り添うといったって、このメンヘラぶりでは、あの小人ではないが、愛想をつかしてしまうのも無理からぬところである。
くどいようだが、私が「君縄」を大絶賛しているのとは裏腹にクソ呼ばわりする人もいる。映画というものは、その人が抱えている問題点を浮かび上がらせたり、共感できる人が絶賛するのであって、そこまで思えない人がいても不思議ではない。
言いたいことがわからない、までの駄作ではないが、きっちりとした物語の収束という意味でも、あのエンディングは、いかようにでも受け取れるものであり、もう一つとしておきたい。点数は、75点が精いっぱいだ。

2018.1.31 兵庫県下店舗訪問(番外編) 旧GC住吉店

2017年1月31日。
この日が命日である店舗がある。
ダイエーグルメシティ 住吉店(0634)である。

→最終日の訪問記をここに記す。(1) (2)

閉鎖からちょうど一年。GC灘店(0404)を終えて、東進しているさなかに跡地がどうなっているのか思い立ち、急遽2号線を右折し、現地に向かう。

結果はご覧の通り。

GC住吉跡地01

GC住吉跡地02


そして、2017/1/31の訪問記の時に狂喜乱舞してとったあのマーク。結局現存していると確認が取れたのはこの一枚だけだった。
旧GC住吉地票


それでも実際、満足であった。ひょっとすると、このマーク、残る可能性も否定できないからである(ほかは、敷地内にあり、撤去の際にゴミに埋もれたであろうが、ここは、歩道との境界線であり、歩道をやり替えるときに撤去されるかどうかが微妙なだけで、残る可能性がやや高いから)。
ちなみに場所は、敷地南東の角。跡地訪問される方がいるかどうかは知らないが、一応ご参考までに。
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