多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

2018年10月

比較検討だよ、若おかみ!(6) 広告宣伝の優劣

2018年も早いもので残り2か月になった。
しかし・・・よもや、9月末にここまでの作品…若おかみは小学生!に触れられるとは思ってもみなかった。

その一方、大ヒットを予感させるほどのスポットも打ち、援護射撃たる金曜ロードショーも万全、去年の轍は踏むまい、とファーストラン公開館数は同規模発進だった「未来のなんちゃら」は、残念ながら30億すら届かない成績に終わってしまったのが情けなかった。

今回は、そういうわけで事前の広告宣伝に関して比較検討させてもらうことにする。
広告宣伝の最たる目的は「知ってもらう」「見てほしいと思わせる」ことにあるとみている。だから、その劇場で上映する作品の予告編を流すわけだが、やみくもに流しているわけではない。アニメならそれっぽい作品、スイーツ映画なら同等の作品の予告編が流れることが多い。それは観客層の似通った別の作品を見てもらいたいからそういう構成になるのだと思っている。

テレビ版は結局一顧だにしなかった「若おかみ」だが、当然アニメ作品を放送する際に「劇場版もあるよ」はやっていたはずである。ところが、やはり児童文学/放送時間帯が日曜午前中ということで、いわゆるオタク層の守備範囲からも外れてしまった。とことん出だしで躓いた作品だったということが言える。
それでも、間違いなく、「未来」を越えうる作品力がそこにあった。それに気が付く人たちの「救わねばならぬ」が、SNSをきっかけに大きな輪になったこと、そして実体験としてそれで盛り返すことができるのだ、とわかったことが、今後の興行にもたらす影響は計り知れない。

SNSきっかけといえば「カメラを止めるな!」が好例だろうし、「この世界の片隅に」も同様の傾向が見て取れる。作品力があれば、広告宣伝は結果的に要らないといえるのが、3桁万人を動員した「カメ止め」であり、いまだに上映が続いている(意地ともいえるが)「片隅」ということにもなってしまう。しかし、本来なら、いずれの作品も、埋もれてしまっていたはず。それを拾い上げた市井の声すなわちSNSの発信力、受け取った側の行動力、そしてそれがまた発信することによる広がりは、確かに稀有な体験だし、まさに「広告宣伝とは」を問いかける事象として考えることができると思う。

2018.10.27 稀有な空間 「若おかみは小学生!」7回目鑑賞記

公開1か月でここまで興行が盛り返したのは、アニメーション映画としても特筆すべき事象だと思える。
と、前回の鑑賞記に書いた。
いろいろ調べて見ると、この手の作品が出現する確率はかなり低いようだ。つまり、この作品の良さに気付き、いまそのただなかにいる我々は、その稀有な体験を続けているのと同じだ。
こうした関係者の舞台挨拶などは関東/首都圏に偏りがちなのだが、なんと、塚口サンサン劇場で10/27にあるというではないか。当方もスタンバイせざるを得ない状況に陥ったとみている。

関西での初登壇ということでもあり、ここまで入れ込んだ作品のいわば「お祭り」「祝賀会」の様相すら呈している。なにより、プチョンでの受賞歴は、まさに「凱旋上映」とまで持ち上げてもしかるべきものだといえる。

私は、(フロート席を除き)満席の劇場で、この作品を見られるなどとつゆにも思っていなかった。たしかに名作だが、そこまでのポテンシャルは持ち合わせていないと感じていたからである。それが、関係者(監督と2名のP)登壇というエッセンスだけで満席が出来するのである。
これははっきり言って大事件である。この作品が持つ実力を我々は、過小評価しすぎていたようだ。

開場2時間以上前から塚口サンサン劇場に陣取る。地下一階の待合にも特設展示が恭しく掲げられている。
一応写真に納めながら、当方は時間をつぶす。開場30分前に地上に上がると、一台だけのネット発券機には長蛇の列。ほとんどがネット→クレジット決済で席を確保した人たちだろう。そしてそれを見るだけで劇場内部の年齢/性別構成がうかがい知れるような感じとなる。
当方は、後ろのほう…K列を予約していたこともあり、あえて早々に入場せず、もぎられていく人たちをカウント/人定していく。
今回は、圧倒的に男性優位なのだが、中心層が2極分化していると感じられた。つまり、30代にもピークが一つあり、50代が最も多く感じられたのである。平均年齢はそういうわけで40代後半。ほとんどが男性ソロなのだが、ツイでの知り合いなどグループで参戦している層も少なからずいた。女性は10人程度。

もはやストーリーなどを描くまでもない。笑って、泣いて、歌ってしんみりできる。94分があっという間だったのは、ひとえに音響のせいによるところも大きかったか。
エンドロールが終わり、計ったように拍手喝さいが4番シアターにこだまする。この瞬間を待ち望んでいた小生も率先してその輪に加わる。
登壇までに支配人のそそくさとした動きに、ちょいちょい入れるジャブに観客も失笑を禁じ得ない。そうこうするうちに準備も整い、司会+お三方の登壇となる。

ケツカッチンではないので、時間いっぱい、というより、時間の許す限りの質疑応答が繰り広げられたわけだが、恐るべきことに、質問者の中に初見組がいるというではないか!! これには度肝を抜かれた。
質問内容は、「商品化」に関するものが多かった。サウンドトラックについては、DLEのPの発言を解釈すると、「サウンドボックス」的に売りたいのかな、と思うし、設定/原画集的なものも出したいというのは伝わったが、いつできるかの明言がないところに遅々としての進んでいなさぶりを感じ取る。
両親の死を盛り込んだことについては、意外にチーム内での混乱や原作者の心証を悪くしたという感じは受け取れず。ようするに「おとな向き」に改変したのに、広告宣伝は、ファミリー層向け、時間帯は「お子様連れを想起した午前回のみ」では乖離して当然である。
今回はSNSのせいで、助かってはいるが、次に同じようなことをしたら助からないこともありえると肝に銘じなければならないと思う。私としても「埋もれず正当に評価されてよかった」と胸をなでおろしているが、最初っから、子供向けっぽい戦略は失敗だったといわざるを得ない。

まあそれにしても監督氏の冒頓感はすごい。こんな人なんだろうな、と思っていたのだが、予想をはるかに上回るしゃべらなさぶりに「物言わず、行動で示すタイプ」と感じた。次回作がいつになるかは未定だが、できたら、オリジナルものに挑戦してもらいたいところである。

2018.10.25 長くなりますが ドキュメント太陽の牙ダグラム

今回の鑑賞記はマジで短く終わらせるつもりはない。実際、この作品に出会えたことが、私の現在のパーソナリティーにも、多大な影響を与えている作品だからだ。
その端緒から話を始めないといけない。幼少期から、そこそこの頭脳をもっていたとされる小生。中学入試に失敗したのを挽回すべく、進学塾に知り合いから紹介された家庭教師(彼の下宿に通うスタイル)と、マジで勉強漬けだった。
その家庭教師が、今でいうところの「オタク」だったのだ。記憶は定かではないが、確か阪大の医学部に在籍していたはずである。
その彼が、私に教える手を止めてまで見ていたのが、テレビシリーズの「太陽の牙ダグラム」だった。当時私は中学生。アニメで言えば勧善懲悪ものがまだ幅を効かしていた時代で、新進気鋭の日本サンライズがメーカーとして飛躍を遂げようとしていた時代である。
彼の視聴を邪魔するまでもなく、当方も見るわけだが、そのストーリーの骨太ぶりに目を丸くする。あらすじを一言で言い表せることなど不可能なほど入り組んでいる。また、登場人物が多いこと。メカであるダグラムの格闘シーンより、人間ドラマの方に重きがおかれているのがはっきり解る。

この作品に触れたことで、アニメーションの見方も変えられた。時々で放つ人物たちの台詞は、正鵠を射ていると同時に、ものの見方の二面性を激しく問いかける。予告編の後にいう、「真実は見えるか?」は、まさしく、この作品の複雑さを、人物たちの正義を、見た人に疑念を呼び起こす素晴らしいコピーだと思う。

実は、テレビシリーズは、結局完走できず、「あー、見たな」レベルでしかないのだが、今でももし見たい、リメイク希望を出せと言われたら、真っ先にこの作品があがってくる。それくらい印象に残り、私の心の片隅にいつまでも取りついて離れない作品なのだ。

と、昔話を長々とさせてもらった。なので、例えリファインしていない画質であっても、スクリーンで見られるとなったら、見ないで済ませる選択肢はなかった。
そして最終回にあたる10/25に、塚口サンサン劇場に出向いたのである。
劇場はものの見事に男だらけ。それでも15人程度は座ってくれる。平均は40代後半。実はこれが意外だった。ほぼ35年前の作品なので、当時見ていた層が懐かしさのあまり見に来たとしても、10歳前後では内容が把握できていなかった可能性が大きい(今でこそ、真の悪役はラコックだと認識しているが、それを分からせるような描写は顕著ではなかった)。当時20歳前後で、50歳代前半が最多鑑賞層になると見込んでいたから、この年齢層には驚いた。

肝心の内容だが・・・
「あの時は、こんな作画で色めき立ったんだな」というのが率直な感想である。もちろん当時はセル画全盛期。動く部分だけが濃淡違っていたり(例えば口元だけが色違い)、作画崩壊なんていう今のレベルがかわいく思えるほどひどかったり、なんといっても爆発シーンのちゃっちいこと。直前に「ガルパン総集編」を見てきているからかもしれないが、時代の変遷というものをまざまざと見せつけられる。
一番隔世の感を印象付けたのは、音楽部分だ。80年代なのだ、劇伴も。これで一気に「時代物」という感じを新たにしてしまう。
所詮は総集編の域を出ず、しかも、元ネタは、75話分。実は、これを越えるオリジナル作品をサンライズは作っていないそうだ。75話となると、元は20分計算でも1500分!! それを大胆に80分余りにまとめたのだから、強引にならざるを得ない。しかも、序盤のクーデターのシーンにかなりの時間が費やされていたこともあり、デイジーの出演シーンに至っては、ほぼ30秒ほどでしかなかったのがかわいそうすぎる。
無理やり一本にまとめる、という力技。映画にもできるほどだったから、そこそこに成績も上がったのだろうが、これが初見な層には、評価を上げようもないのではないか、と思う。
ただ、この作品については、当方の心のよりどころでもある、「銀河漂流 バイファム」と並ぶ傑作であるとの評価を変えるつもりはない。日本サンライズという会社が今でも生き残っているのは、こうした名作を輩出し、いまだに支持を失っていないからに他ならないとみる。
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