多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

2018年12月

本年もお世話になりました。

2018年は、意外にも、「マイナス」要因となる出来事がほとんどなく、それどころか、新海作品繋がりで知り合いが格段に増えたというところが大きい一年だったように思います。
Twitterも変動分はあるとはいえ200人のフォロワーに彩られているし、いまだに「キミコエ」「若おかみ」関連のファン層とは随時繋がりが発生している状況は続いている感じです。

かようなわけで「全面的にバラ色」であるとは言えませんが、少なくとも赤信号が少しだけ遠ざかったのかな、と思える一年でした。読者の皆様におかれましても、良い年をお迎えいただけるよう、微力ながら祈念いたしております。

2018.12.26 これは拾いもの。「フェリーニに恋して」鑑賞記

フェデリコ・フェリーニの名前くらいは、映画ファンになる前から知っていた。とはいえ、「名前だけ」であり、どんな映画を撮ったのかとか、どういう作風なのかとかは全く知らないままで過ごしてきている。
この映画のあらすじは、といえば、フェリーニ作品に感銘を受けた、世間知らずの少女が単身イタリアに渡り、そこで出会う様々な人間模様とどう向き合うのか、というところなのだが…こうも傑作だったとはびっくりした。

シングルマザーという家庭環境の中で育ったルーシーが初めて向かった会社の面接は、思っていたものとは違いルーシーは逃げ出してしまう。そこで出会った「フェリーニ」作品に、彼女は心を奪われていく。
「フェリーニに逢いたい」の想いを募らせるルーシー。しかし、意外にも、母には死期が迫っていた。「二人でローマに行こう」というのだが、病気を理由に断り「あなた一人で行きなさい」とむしろ迫る母親。幾日かの葛藤の末、彼女は一人旅だっていく。

そこからの女一人旅。彼女を待ち構えていたのは、それこそ世の中、しかも外国の荒波である。なぜかローマには行けずベロナと言う都市にいるルーシー。そこで夜歩いているさなか、芸術家のパーティーに誘われるルーシー。だが、そこで展開されていたのはまるでフェリーニが描く世界のような、いや、むしろ大いに意識した人たちで彩られていた。映画談義にも加わるルーシーだが、フェリーニに一途な彼女にとって、今のイタリア映画がどうなどとはわからないとしか答えようがない。
そして、彼女は運命的な出会いを、寄りにもよって「ロミオとジュリエットのバルコニー」ですることになる。あえて「ジュリエットの像」を何で出したのかな、と思ったら…右の胸に触ると恋愛成就、結婚できる、という伝説があるようで、それをやったかどうかまではしっかり見れていなかった。さらに付け加えるなら、あのバルコニーは、物語の後付け。それは知らなかったです(多分映画・ミュージカルの影響。でも史実まで変えてしまう映画の魔力)。
そこでのカフェでのワンシーン。影膳よろしく、母親の写真をカプチーノに添えるルーシー。そのあまりの「ネタ振り」にしてやられる。本人は「元気」な母しか想起していないのだが、我々観客には「そんな、縁起でもない・・・」となるシーンである。
そして別れようとするのだが…ここからの作劇はまさにイタリア映画。まさしく「恋人も濡れる街角」である。こんな自然なラブシーンはむしろ衝撃的ですらある。
だが、彼女の中にはフェリーニがいる。電話をかけるとすぐさまローマにやって来いという。逡巡するルーシーだが、彼女は出立しようとして…いや、ここのシーンが単なる流れではなく伏線になっているとは思いもよらなかった。
そしてまた彼女は間違える。結果事務所からはもうアポは取れないと最後通告。打ちひしがれる彼女を救った?のがベニスの青年だったのだが…この部分の性急さは、イタリアの「影」の部分をほうふつとさせる。駆け込んだ家から実家に電話をかけ、事実を知らされるルーシー。だが…泣きの演技はもう一つ。
でも収穫もあった。フェリーニの映画がきっかけで結婚?した夫妻の家だったのだ。そこで実家の住所を教えてもらうルーシー。ローマまでヒッチハイクを試みて成功。遂に実家を見つけるのだが…

フェデリコ・フェリーニは、1993年10月31日に死去している。心臓発作ということらしいのだが、私は、なぜ彼の家の玄関に花が刺さっていたのかの理由がその時はつかめていなかった。おそらく、彼女は死後・・・11月に入ってから訪れたとみているのだ。ちなみに映画冒頭、「ちょっと実話に基づいた」というような注釈があるのだが、それが証拠にルーシーがフェリーニに触れたのが1993年10月になっている。ベロナの青年と愛をはぐくんだのも数日あったはずだし、そもそも出発はいきなり電話してから数日間の猶予がある。
ちゃんとした日付の記述はないものの、そう考えると納得のいくラストシーンに仕立ててあるところが恐ろしく感じるのだ。
というわけで、94点の高得点。フェリーニをオマージュしまくった映像もそうだし、なんといってもそこに通底する彼の映像哲学をビシビシ感じ取る。「道」「甘い生活」あたりは作品の中でも、繰り返し出てくるのだが、こうした不朽の名作を新作に落とし込むやり方というのは斬新だし、なんといってもすそ野を広げるのに十分役立つ。芳醇なラストシーンに心の中で大喝さいを送っている私がいた。

「いやあ、映画って、ほんとにいいもんですよね」
某評論家の名言である。旧作と新作のコラボ、ただ監督に逢いに行きたいという行動力が恋愛につながる奇跡。いろいろ突っ込みどころ満載な点(行き先間違えすぎ問題)はおくとしても、映画一本の評価としては十分すぎるくらいある。でも、この作品も小粒な興行しか挙げられてないんだよね…

2018.12.26 「いつだってやめられる 7人の危ない教授たち」鑑賞記

映画鑑賞が完全に趣味化している当方。予告編を見て「やばい」「面白そう」といった作品を手当たり次第に見ていくと、時として、シリーズものの途中から見てしまうという失態をやらかしてしまう。

それがこの「いつだってやめられる」3部作だ。よもやの三部作とは思いもよらなかったし、前段があるにせよ、そんな大仰なストーリーにできるんかいな、と不安しか持ち上がらなかったが、まあ『ようやったんと違う?』という〆になっていた。
そうなると、きっかけとなった「合法麻薬の製造からマフィアに脅される一連の流れ」はどうしても見ておきたかったのだが…

こんなことがあるのだ。三部作と知ってか知らずか、ホンに地元のパルシネマしんこうえんさんが一週間限定でかけてくれるというのだ。もう行くしかなかろう、となってようやく水曜日に拝見となる。
場内は相も変わらずぽつりぽつり。それでも夕方回/ラストでは20人超の入場を果たす。

しかし、2作目基準で考えると「前日譚」に近い内容になるわけで、1−2−3と順繰りに見なかった当方としては、「ああ、あのシーンってここが元だったのね」といえるような内容になっている。
大学に暇を告げられるシーンはあまりのあっけなさに開いた口が塞がらない。しかも味方になるはずの指導教授は足を引っ張るおまけつき。実はこいつ、狡猾で感じの悪い人物だったのだが、完結編でもその片鱗を見せていた。知り合いの教授連が、無職、あるいは軽時給バイトで食いつないでいるのに腹を立てた主人公・ピエトロの編み出した、合法な(禁止薬物にされていない)ドラック製法。それはあまりに効きすぎてあっという間にハイセールスを連発するようになる。
「いつもどおりに生活せよ」なんて言われても、現金収入があっという間に積み上がればそれは土台無理な話。ちなみに一粒200ユーロという末端価格はべらぼう。しかし「30分で700ユーロ」というピエトロの言ったことは実現する。

だが、好事魔多し。3作目でピエトロを殺しにかかろうとしたマフィアのボス・ムレーナがここに絡んでくる。彼の人となりやなんでマフィアに身をやつしたかについては3作目で語られている。もちろん彼も悪党の一員、と思いきや、紳士協定でピエトロの彼女と合成麻薬との交換取引を迫ってくる。そこがなかなかよかったのだが、でぷっちょ教授の単独事故から一気に事態は急展開を迎えることになって行く。

採点に移る。
ずばり78点までである。当初の7人が出そろう部分の作劇は納得のいくところではあったが…どうにも話が込み入っていない。しかも危うく人を殺めそうになってしまうなど、この人たちのやっていることにどこまでの正義があるのか、はわかりにくいところである。ドタバタなのだが、その部分が強調されていた2作目や、さらに団結している時間が濃密だった3作目を上回ることはない。
1作目から見ていたとしても、評価はそんなに変わっていなかっただろう。そして惜しむらくは「この作品3部作でっせー」と声高に劇場でも宣伝されていなかったこと。「え?これでおしまい?」と思った人は少なくないはずだ。

私自身で言えば、順番はどうあれコンプリートできたから満足である。通しで見たとして、総合85には少し届かないかな、くらいの映画だったとしておきたい。
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