多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

2019年01月

2019.1.18 邦題詐欺にしてやられた 「喜望峰の風にのせて」鑑賞記

この映画を見るべく、またしても、シネ・リーブル神戸に出向く。
上映までの待ち時間の間に、Twitterで興味深い記事を見つけて通読する。
こちら。業界の内幕も垣間見られるが、今の邦題の付け方が圧倒的にダサいだけであり、「明日に向かって撃て」とか、センスを感じられる邦題もその昔は多かったのは間違いない。

この作品…喜望峰の風にのせて・・・も、原題はthe MARCY である。直訳すると「慈悲」なのだが、主人公がこの言葉を最後の日誌に書いていることがタイトルになっているのだ。なぜ似ても似つかぬ邦題なのか…原題を知らなかった時点の私としては、「困難はあれど、家族の元にたどり着く、感動の一作」と感じてしまっていた。

自分のちっぽけな会社は風前の灯火。一発逆転の「無寄港世界一周レース」に出るといい出す社長・ドナルド。出だしの時点で失敗感がプンプンする。挙句、作らせた船は不具合だらけ。8月出発が、冬季にかかる10月末にまで延び延びになってしまう。資金を得るべく、自宅まで担保に入れるほど。本来なら、そこまで突っ込むことはなかっただろうし、支援者も正直乗り気ではなかった。いまにして思えば、このあたりでフラグがちょっと立っていたのかもな、と思わずにはいられない。

何とか出港はしたものの、外洋に出るやいきなり不具合連発。虎の子の発電機まで浸水してしまうという新船のはずなのにトラブルにしか見舞われない。このあたりで、当初の目論見なんかは吹っ飛んでいる。遅々として前に進まない。だが、今と違ってGPSで探知されない1968年。ここで主人公は「ずる」をすることを思いついてしまう。

ハイ。この時点でここから先はおまけも同然。感動の大作になるべきが、罪の意識にさいなまれ続ける、陰鬱な内容に落ち込んでいく。しかも、「無寄港」なのにアルゼンチンのとある浜に上陸する”禁”を犯した時点で、距離や航路はどうあれ失格になっていて当然である。その事実をもってしても、もちろん、準備や心構えも含めて彼にはその資格がなかったのだ。
そこで辞める一手もあった。だが、本来(偽の申告をしている)いる場所と食い違う。結局航海を続ける選択をする。まさに「後悔」を続けるのだ。

得点は70点とした。
すべての元凶は、タイトルにある。仮に進めなくなっても、奇跡が起こって彼は家族の元に帰ってくる。そう言う予告だったし、そもそもずるをしたおかげで彼は「喜望峰の風」は受けていない。乗ってもいないものにのったというのは、タイトル詐欺といえなくはないだろうか?
百歩譲って、このタイトルにしたとしても、ハッピーエンドを想起させたのは逆効果である。「風にのせて」帰れました、何とか無事です、ということを主張する余韻を持たせている。「お、だったら、どんな艱難辛苦が彼を襲い、それを乗り越えたのか」とみたくなる人が思うのは当然だ。
年端もいかない子供3人を抱えた、残された家族に思いが至らないところもあまりにお粗末だ。家族愛があるのなら、一発逆転のような危険な賭けに出ること自体を踏みとどまるべきだった。すべてを簡単に考えたあげくに苦し紛れの嘘をついてしまう。それが結局自分をも蝕んでいくことになるのを分からなかったわけではあるまい。
洋上を運行する距離が少ないから、結果的に自分だけが残ってしまった(一人は制覇し帰港できている)のもアゲインストに映った。すべてが白日の下にさらされるのも時間の問題。死を選んだのは高潔だったからか、抱えきれずに逃げたのか…

もちろん、いい場面もある。最後半、極力セリフを排除して映像だけで状況を説明するシーンが連発する。映画的であるともいえるし、余韻は感じられる良い演出でもある。時間の経過もうかがえる、子どもたちの成長した姿も見せているところは悪くは見せない。
映画をエンタメ、すっきりする後味として味わいたい私としては、この作品は、タイトル詐欺な部分も含めて、「見なけりゃよかった」となってしまっている。こんな思いにさせた映画は何十本ぶりだろうか?なまじ内容がないわけではないから余計である。帰宅する足取りが重かったのは言うまでもない。

鉄道モチーフの映画で比較検討倶楽部 なぜ、「えちてつ」の方が評価高いのか?

「かぞくいろ」と「えちてつ物語」を見おわった。
当方としても2018年の秋公開で、よく似た背景の映画であり、しかもローカル私鉄(両者とも第三セクターだが、成り立ちは違う)が舞台になっている映画。どちらも大規模公開には程遠く、それほどでもない売り上げにとどまったもようである。

さて、今回の「比較検討倶楽部」は、この2タイトルをキャスティングの妙を交えつつ、なぜ私が「えちてつ」の方を上位にあげたのかを論じていく。
「かぞくいろ」の晶、「えちてつ」のいづみ。二人が役割は違えども主役として出張っている。前者は、「肥薩おれんじ鉄道」の運転士(見習い→最終盤で正式採用)として、後者は「えちぜん鉄道」のアテンダント(行きがかり上→中盤で正式採用)として。
前者の理由付けがあまりに弱いところは気にかかる。仕事がない→義父と同じ職場に行くという選択肢のなさにあきれる。あの局面で、他の仕事を探せなかった理由というものが知りたい。後者は、東京での仕事もうまくいかず、自分はお笑いに向いていない、というところに「渡りに船」状態。だから、動機が不純であるとしても問題ないのである。
仕事の取り組み具合は、当然運転士と、運行に直接携わらないアテンダントでは異なっていて当然であり、ギャグっぽいところがあった後者の方が、映画的であり笑える。
家族関係についても両者ともに異なる形をとる。前者が、連れ子と母親、義父という奇妙な関係。後者は血のつながらない兄弟という設定だった。仕事的に絡まない後者と違い、現役の運転士である義父との関係も取りざたされる前者は、その関係性の濃さが逆にストーリーを澱ませてしまっている。
「かぞくいろ」に引っ張られてしまった前者が家族のつながりを執拗に描いたのとは逆に、「えちてつ物語」は、そのまま、えちぜん鉄道という会社の成り立ちや今の会社の立ち位置を解説している部分も大きかった。

ここまで論じて、主役について考えてみる。
「かぞくいろ」は、主役もわき役もそつなくこなす有村架純を据えて盤石の体制を取った…はずである。だが、当方的には、あまりに器用にこなしてしまっているところに若干の違和感を禁じ得ない。一方の「えちてつ物語」はぶっちゃけ芸人としても中途半端な横澤夏子をキャスティングするという”大博打”にでた。

だが、と思い直す。
あまり「いろ」のついていない役者で撮ることに傾注した後者が、芸の優劣は別にして、新鮮に映ったのとは裏腹に、見事に「いろ」のついた有村嬢で撮った前者にそれほどの感動を催さず、むしろ2時間が苦痛に思える作品にしてしまったところは否定できない。
「えちてつ」は横澤で撮る意味があった。それは・中途半端な芸人キャラ ・現実的に面白くない ・それほどまでにきれいでない という、奇跡的なキャラクターだったからに他ならない。だから、彼女がもしスカウトされたら…風な見方もできるから、面白いし、「マジでそうなるかも」と思わせるだけの真実味がある。
他方、「かぞくいろ」の方はどうか?国村隼的な運転士はどこの3セクにもいそうだが、果たして有村みたいな、虫も殺さないような女性が運転士として活躍できるのか…それも、正直言って最終盤で独り立ちしているシーンしかなく、そこに至るまでの葛藤とかに時間を割いたおかげで、運転士としての矜持であるとか、心構えであるとかが見えにくかった。最後の歩道橋のシーンがそれに当たるとしても、「そこで語るのか」と思わざるを得ない。

「かぞくいろ」だから鉄道・運転士の描写が薄く、「えちてつ物語」だから鉄道の描写やアテンダントの役割が丁寧に描かれている、と簡単に評してしまいがちだが、別に鉄道の運転士でなくてもよかった「かぞくいろ」の評価が落ちてしまうのは、仕方ないところだといえる。実際材料が多すぎたのに、亡き夫との回想シーンがこれでもかと流されたり、不倫相手との密会をする女教師の場面とか、そこまで書かなくても、という内容ばかりが目立ってしまっていた。ストレートな「えちてつ」が、主役の下手さは別にして上位に来てしまうのはそういうところからである。

2019.1.12 海外作品の重厚さ 「家へ帰ろう」鑑賞記

映画館で映画を見る。
2016年10月まで、「金出して映画館で見なくても」「地上波でやってくれるし」だった私だったわけだが、「これを見ないでどうする」的な作品にそれ以降、次から次に出会うことになってしまい、結果的に趣味のような形になってしまうという副次効果をもたらしている。
そして何より、今、記録が絶賛更新中なのである。28カ月連続劇場訪問、49週連続劇場訪問。つまり、2016年10月から月に一度は、2018年2月から毎週欠かさずどこかの劇場に足を運んでいるのだった。
広義的に見れば、1/6(日)に見た「君の名は。」も映画を見たという風には受けとれるのだが、施設そのものは「映画館」ではない。ブログ記事のことがあって、木/金と自宅にまっすぐに帰っていた(リズの静粛上映は行きたかったなぁ…)こともあり、土曜日の劇場訪問は一種待ったなしの状況になっていた。

で、選んだのがシネリーブル神戸の洋画だった。もうタイトルとか、予告編とかでビビッと来た作品は押さえる形にしていたのだったが、これも仕立てたスーツを友人の元に届けるというたったそれだけのネタがどこまで映像として展開するのかが焦点にもなっていた。
仕事終わりで、てくてくと向かう。16時過ぎに着いたのだが、私は驚愕の事実に接することになる。
「Fate/Heaven's Feel」の直近の上映会が、よもやの満席になっていたのを確認したからだった。→証拠画像。

100人やそこらの通常のスクリーンではない。神戸市内最多の座席数である505人収容のアネックスが、である。
あそこを満席にできるとは…ただただあんぐりだった。

2番で上映された「家へ帰ろう」は落ち着いたもの。30人弱でまあまあの入りである。中年以降のカップルがやや比率が多く、ソロは男性がかなり優位。平均は50歳前半とした。

アルゼンチンに居たユダヤ人の老人が、いえの処分でたまたま見つけた、自身が仕立てた友人のためのスーツを見つけるところから話はスタートする。祖国・ポーランドを口にするのもはばかられるほどの嫌悪感。のちにわかるが、ドイツにも相当な敵愾心を持っている。いわば、「未来志向」などとは微塵も感じていない某国の日本に対する考え方によく似ている。
自宅を発ち、ポーランドまでの道程。家の鍵を放り投げて、退路を断った演出はなかなか。
機内で知り合った青年とも最初はわだかまったままだったが、のちに協力者になってもらえる。次から次に人々が関わっていき、最後はポーランド・ワルシャワの女性の看護師が道案内人となる。
想い出の地に足を踏み入れる主人公。そこで奇跡の再会を果たすのだが…前段で某アニメ映画の「カタワレ時」的な演出をされていたものだから、そのラストシーンは涙腺崩壊待ったなし、となった。

ぶっちゃけると「ありきたりなロードムービー」である。主人公という芯は変わらず、周りを取り巻く関係者たちが次々に入れ替わっていく。タクシー運転手、アングラ市場のチケット手配師、マドリードの宿屋の主人、行きずりの文化人類学者・・・基本的にはどの人たちも主人公に優しく接している。
それでも私がこの作品で脳天に衝撃を与えられたのは、マドリードでの入国審査官と主人公のやり取りである。ユダヤ人である彼に投げかけられる忌避するような管理官の態度。だが、ここで主人公は自身の体験や今までの歴史に根付いていない彼の態度を見事に喝破する。老人の放つ独特のオーラ。映画「大誘拐」で見せた北林谷栄の演技をほうふつとさせてくれた。
堅っ苦しいばかりではなく、ドイツでの乗り換えの際、「足を踏まずに上陸したい」というわがままに対応した、文化人類学者のていあんにはどっと笑いも起こる。まるで子供、空気とかそういう次元は許せるのかよ、となったわけで、その後自身の生い立ちを語って自分の足で降りたつ演出は、わだかまりが解け、一つ上の感情が体現されていて、よかった。

得点だが、90点とする。
ユダヤ人の負ってきた様々な物事は、それを体験していない我々にしてみれば、「重い」ということしか伝わらない。当時のドイツ人がひどいことをしたのは伝わっても、実体験としてない我々にはやはり別世界の出来事である。それを伝えようとした入国管理官との対峙。文化人類学者のドイツ人に語った家族の終焉。ここにすべてが集約されているのではないか、と思う。
スーツをとどける、は実はそれほど重要ではない。彼が、数十年ぶりに"世界"に対峙したときに、今の自分は偏狭でとらわれ過ぎで、くだらない存在だったのだ、と気が付いていく過程こそが重要だったと思っている。
決して大規模興行にかからない小品だからこそ、見てあげるべきだと思える作品だった。
月別アーカイブ
livedoor 天気
「livedoor 天気」は提供を終了しました。
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
「Amazonライブリンク」は提供を終了しました。
  • ライブドアブログ