多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

2019年02月

2019.2.11 結果的に選択ミスらず グルメシティ四条大宮店閉鎖当日訪問記

できる店あれば、閉める店あり。
ここ最近、商業施設の閉鎖/建て替えの頻度が上がってきているように思う。ダイエーに限らず、歴史のあるイトーヨーカドーや、旧ジャスコ店、地元に根差した店舗も報じられたり知らないだけで、次々に姿を消している。

事ダイエーに関して言えば、2019年にはわかっているだけでも、横浜西口(0239)、GC四条大宮(0816) 、GC八幡町(0527)、GC神崎川(0832)、ダイエー由来の店舗でもある、旧千葉長沼に旧SP横須賀も閉鎖の対象になっている。最近、九州の旧原店が閉めたのもツイート等で流れてきていた。

2019.2.11 に閉鎖が確定した横浜西口店。すでに何度も言っているように、ここ無くして、今のダイエーどっぷりの生活は考えられない。社会人一年生ながら、ダブルワークをしたいと支配人に直訴し、土日祝限定のレジ課員としての3年余り。当時の社員と昵懇になったことも含めて、自分の中ではあの頃の一種青春的な動きが思い出されて時々胸を熱くする。
ここまでの感情を発露させたのは一組の接客によるところが大きい。初老の夫妻だったと記憶しているのだが、何気ない当方の心配りにこちらが感激するような言葉をかけていただいた。それがいまだに私の心に憑りついて離れない。

だから、当方は当初の予定では、2/10・11に東上を計画。2/11は0239の最期をこの目に焼き付けようと考えていた。だが、手元不如意が発生。1月の沖縄でのちょっとした散財が影響して旅費のねん出がかなわなくなってしまった。
少しがっかりしたのだが、2/16に執り行われる、ダイエーファンの集い的な催しに企画/制作側で参画することが決定。2/11に打ち合わせをすることになったのだった。
ツイッターをしない方に一応告知。ダイエーファンでならす、若干20代前半の彼がどう熱弁を振るい、私がどうフォローするのか! 見たいと思ったら、現地集合よろしくっ!
京橋で打ち合わせすること一時間余り。「それはそうと、四条大宮、行くの?」と問う私に「はい」と言葉少ななフォロワー氏。私としては、この店舗にはそこまでの思い入れもないうえに、往復1000円越えの交通費をかけてまで見たいと思える店舗でもない。
それでも「閉鎖日に休みが取れ、いける範囲にある」とわかった時、「そう言うタイミングってなかなかないから」とばかりに私も一路京都に向かうことにした。

でも現在地は京橋。当初は大阪→梅田まで上がって阪急、というルートを取ろうと思ったが、目の前の京阪がいざなう。京都まで行ければ祇園四条で下車すれば、阪急・河原町から行ってもいいし、バスで流れる手もある。
どっちにしても、営業終了時刻とされる18時には余裕で間に合う時間帯。結局京阪→京都市バスで四条大宮まで流れてバスを降り、あとは徒歩で現地に向かう。
途中のラーメン店で喫食。午前営業終了寸前の飛び込みだったが、何とかクリアしていざ店舗へ。
だが、いわゆる閉店間際のラッシュ、という感じが見当たらない。生鮮もじっくり選べるほど残っているし、何より青果の残り具合は半端ない。それでも冷凍系はほぼ完売状態で、名残で選べるほど潤沢なラインアップではなかった。
ワンフロアで、ぐるっと回ったらおしまい。まだGC住吉(0634)の時の方が、入れ込みも、活気も商品量もあって、面白かったのだが、あと3時間余りは苦痛に思えた。なので、大宮駅至近のファミレスでケーキセットなどを食べて時間をつぶす。

17時を回ったので再び店舗へ。それでも残しきらないで売ろうというラストスパートをかけるには少し遅く感じられる。生鮮の棚は、この時点で何とか死滅状態。デイリー系の棚に集約されつつ、そこが主戦場に生まれ変わっている。デリカ/パン系は、比較的早めに売り切り対策を取っていたこともあり、この時点ではそれほど残っていなかった。
それでも店内の喧騒と、退場に気を使った当方たちは、17:30時点で購入を、ラスト5分前に店内ウォッチングをして一部空になった棚を納めて店外に出る。ここからは、いわゆる割引乱れうちの館内に、対峙する客の争奪戦という趣がふさわしい時間帯となっていく。それほどでもないと思っていた喧騒も、18時の時点でより一層高まりを見せる。そのころになると、店外ののぼりや一部の黄黒垂れ幕も回収。店外の掲示物まで引っぺがし始めたりしていた。
18:15ころには入店も禁止され、完全に売り尽くし体制に入った。18:45頃の退出客と同時に店員たちがぞろぞろと出てきて角店長のあいさつが一分程度行われる。

観ていた人たちは50人ほど。一部、商業施設クラスタらしきバシャバシャ撮りまくっていた(フラッシュお構いなしなのには閉口したけど)御仁もいたようだが、平穏無事な閉店あいさつとなった。
Youtubeの当方チャンネルに動画を上げました(2019.2.15頃見られます)
ここから二人して阪急で梅田まで行き、ここで別れた。

閉鎖を見届けられた、という意味ではGC住吉以来。閉鎖日当日訪問も3店舗目となった。
本当のことなら、横浜西口で、その時を迎えたかったのだが、近畿の閉鎖店の"その時"に立ち会えたことも実は大きかったりする。同日、八王子(0190)跡地のマンションに入店するであろうことも発覚。大攻勢はこれからのダイエーで考えても望むべくもないが、「ダイエーは死なず、ただ消え去るのみ」というエンディングだけは避けなくてはいけないと思っている。

2019.2.10 やはり予告は伊達ではなかった ヴィクトリア女王最期の秘密 鑑賞記

劇場に足しげく通うようになったこともあるのだが、いわゆる大規模興行にかからない作品を上映してくれる劇場の存在が私の感性に大きな影響を与え続けている。
それがここ、シネ・リーブル神戸である。
最初のとっかかりは、実は『ニンジャバットマン』である。505席のアネックスにわずか6名、という稀有な体験もさせてもらったこともあるのだが、それ以降、マイシネコンが見たい作品をやらない場合はここを狙い撃ちしてみたりしている。
おかげで、知ってよかったといえる作品を何作か見させてもらった。「いつだってやめられる」はペーソスの効いたコメディだったし、「家へ帰ろう」は、堅意地の張った爺さんが解きほぐされていく過程が胸に刺さった。

予告の時点で「傑作」と見切れた作品のあたり度合いは、当方の自慢である。ここ最近では、「喜望峰」あたりが外れの部類になるのだが、これはそうでもしないとみてもらえないから仕方ないとみている。
そうした中で当方が「女王陛下のお気に入り」の前に見ておきたかったのが、「ヴィクトリア女王最期の秘密」である。原題は「Victoria and Abdul」。女王と下僕という立ち位置なのだが、予告の段階でそう感じさせないところがあって、これはどう見せてくれるのか、と思ってかなり気になっていた。

当初は賞味期限の短い「シティーハンター」の朝一回を押さえようと思っていたのだが、時間を勘違いして逃してしまう。で、次善の策としてこの作品を選んだのだが…

「 傑  作  で  す 」

なので、どうしても皆さんに紹介したいとばかりに、他の用事をすっ飛ばし(ヒトラー第三の男とかちいさな独裁者とか観るつもりだったが、もうお腹いっぱいになってしもうた)、急遽自宅に帰って熱の冷めないうちにレビューを書こうと思ったくらいの作品だった。

時は19世紀末期。インドを手中に収めた大英帝国だったが、そこに至るまでの艱難辛苦は描かれていない。ここで一人の敬虔なイスラム教徒に「記念の金貨を贈呈する受け渡し役」として白羽の矢が立つ。彼こそがアブドゥル。もう一人のモハメドとともにイギリスにわたる。
女王主催の晩さん会は、笑いを禁じ得ない絵巻物であった。彼女が中心で回る晩さん会。彼女が食べ終われば途中であっても下げられてしまうのはどういうマナーなんだろうか、と思わずにはいられない。ほかのゲストが丁寧に食べている肉ですら、手づかみでむさぼり付くというシーンは、本当に笑いを禁じ得ない。
そして、いよいよ本番。だが、目を合わせてはいけないという禁をアブドゥルは犯してしまう。しかし、そこにあったのは女王の側から送っていた視線であるという風にも受け取れる。
彼を気に入った女王は手元に置いておくことを決める。そして昼食会の時、彼は跪き、女王の靴にキスをするのである。

男性の側が、キスをする際に、女性のどこにキスをするかで気持ちがわかるというサイトがあった。→こちらこの行為自体は予定されたものではないし、あとでアブドゥルは叱責を受ける。だが、この結果、さらに信頼を受けることになっていく。
二人きりの執務室。彼は、インドに行ったことのない彼女に習慣や言葉を教えていく。だが、この下僕のあまりになれなれしい態度に取り巻きたちの焦燥感は募っていく。
この作品第一の山は、二人きりで別荘に赴いたとき。この時女王は、ただの一人のさびしがり屋の老婆になっていた。自分の素をさらけ出すことをいとわない女王、それを受け止めるアブドゥル。この芝居の良さにあろうことか、涙腺が反応する。それも厳し目に、だ。
こういうところで、にんげんを見せられると、私はどうも弱いようである。それまでが虚勢であったというわけではなく、女王といえども人間なのだと思い知り、その重圧の厳しさを見せないで過ごせていることに驚愕すると同時に、再婚しなかった彼女の心の闇を見出してしまった。しかし、この旅で、二人の関係は分かちがたいものになっていく。
そしてフィレンツェでの夜。アブドゥルが妻帯者であることを知った女王は、「帰れ」というが、それを受け入れないアブドゥル。インド人も信義に厚いところを見せつけてくれている。結果的に家族がイギリスに入ってくると、ますます取り巻きたちの攻撃は度を過ぎて強くなっていく。
だが、女王の態度は明確だった。「人種や生い立ちで差別するのか」「あなたたちと何が違う?」など、名言もそこら中に出てくる。そしてとうとうアブドゥルにナイトの爵位までつけるといい出したのだった。

結局勲章を授与することで取り巻きたちの反乱は収まったが、その日から体調を崩して最期看取られながら息を引き取る。ここの作劇も十分泣かせる。二人して向かったもう一人の方は、無念の死を遂げたわけだが、彼がアブドゥルを売らなかったところは凛とした思いを受け止められた。だが、女王という庇護が無くなって彼らは帰国を余儀なくされる。渡されたペンダントが唯一の形見のようになってイギリスを去りながらも、タージマハルそばに建てられた銅像にまたしてもキスをして「陛下」と慕うアブドゥルで幕を閉じる。

もうここで宣言してしまう。
今のところこの作品が本年の暫定一位である。Yahooレビューはもう一つの様相を呈しているが、この作品が投げかける「反レイシズム」「ホワイトウォッシュ」思想にはかなり共感できるものがある。晩年のヴィクトリア女王が、このインド人青年と交流することでかくも豊かなその時期を迎えられたことを史実に基づいて描いている。出自や学歴にとらわれず、人を見た女王、結果出世していくアブドゥル。彼が嘘(インド大反乱はムスリムが主要因だったりしたことなど)を付いてまで取り入ろうとしたとは思えないのだが、あの寸劇から少し女王と距離を置くことになったあたりからの流れは少しだけよどみを感じさせてくれた。
死は避けて通れない。外で立ち尽くし、その瞬間に立ち会えなかったアブドゥルの芝居は、愛しい人の別れに際して流す涙であり、我々にもストレートに伝わってくる。
ツイでのファーストは96点だが97点に一ポイント上昇。大英帝国の女帝も人間であり、しかも聡明であった。取り巻きたちが愚鈍すぎてあほらしくも見えるわけだが、有色人種に向けられる差別はこんなものではなかったはずである。
真の交流。それが描かれる時代になったということなのだろうか。この作品が提示する重さは並大抵のものではないはずである。

辞めてもらわないと筋が通らないけど辞めてほしくない複雑な心境

映画ブログみたいになっても仕方ないので、別の内容の記事も書かせてもらう。
さて、野党議員の金絡みの醜聞は、ぶっちゃけ今に始まったことではない。もう例を上げるのもうっとおしくなるくらい、多すぎる。
ただ、今回の件は、額の大小はむしろ問題ではなく、影響力の大きい"ドン"クラスの大物議員の失策なので、本当であれば蜂の巣をつついたような騒ぎになっていないとおかしい。

そう。ネットや一部夕刊紙で話題になった辻元清美議員の寄付金疑惑(モリカケと違うところはもう疑惑ではなくホンモノだったということ)についてである。
相手は在日の弁護士。外国人の議員への寄付行為は政治資金規正法に触れる「犯罪」である。

舌鋒鋭く、与党議員の違法行為には攻撃の手を緩めなかった御仁だが、いざ自身の身に降りかかると、のらりくらり。同僚でもあり、同等の違反行為をして大臣の座を自ら辞した前なんとかさんの例を引かれても「私は辞めへんで(意訳)」と開き直る始末。

寄付行為そのものを問うているのではなく、相手を見極めて受け取れば済む話。どうせ外国人との認識がなかったとか、少額だから大勢に影響ないとか言ってかわしたいつもりだろうが、我々国民からしてみれば、大なり小なりこういった悪さをしているのでは、と思わせる野党議員の金の汚さが浮き彫りになることばかりである。
私にしたって、彼女が野党にいることで十分与党が引き立つので、止めてもらう必要はないと思っているし、与党を攻撃しようものなら返す刀でバッサリ切られるであろうことは本人も自覚しているだろう。今は嵐が過ぎ去るのを待つばかりでお口にチャックを決め込んでいることだろう。

だからこそ「辞めないと野党の支持率が地に落ちる」ところまで行かないとわかってもらえないと思う。ことほど左様に立件民主党(誤字ではない定期)は役者ぞろいなので、本当は辞めていただきたくはないのである。
こんな面白いおもちゃは、壊れるまで遊びつくさないと面白くない。セメントいて~~~
月別アーカイブ
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ