多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

2019年04月

2019.4.26 怒涛の映画ラッシュの幕開け 「バースデーワンダーランド」 鑑賞記

2019年4月26日。
アメコミ界実写映画の筆頭と言ってもいい、複数ヒーロー・ヒロイン登場映画の総称「アベンジャーズ」の最終作に当たる「エンドゲーム」が封切られたその日。
劇場は、異様な雰囲気に包まれていた。日本では、いくら世界で興行挙げられても「コナン」や「ドラえもん」などに後塵を拝するという異様なガラパゴス状態。そもそもアメコミ映画自体が市民権を得られていない現状は10数年たった現在でも克服できているとは思えない。
勧善懲悪ですらない、「自分の信じた道を行く」ヒーローたちにヴィラン。だからこそ、その世界観を受け入れがたいのではないか、と思ったりもする。

そんな異様な劇場ロビーも、上映が始まってしまい、客が吸い込まれていくと潮を引いたような静寂が訪れる。そして、私は、勇躍、本日初日の「バースデー・ワンダーランド」に対峙することになるのだ。
当日上映3回目の16:45回。完全に観客がカウントで来てしまう入れ込みしか発生せず、やや不安を覚える。ソロは男女とも3人、女子ペア・カップル各1組、男性グループ3人。以上……

初日でこれである。もちろん、大本命のアベンジャーズは満席状態が朝から止まっていなかった様子。こういう、当たるかどうかわかりかねるアニメーションの単発ものは、いくら監督の知名度で客を引っ張ってこようとしても効果は薄いということだろう。
さてストーリー。前日に友人との気まずいことがあって、学校に行きたくなくなるアカネ。仮病を使ってのずる休みにも、お母さんは何も言わない。それどころか、明日の誕生日のプレゼントを骨董屋に頼んであるから、「自分で取って来い」というのである。この段階で疑問符が浮かびまくる。しかし、全てを総括した今なら、それがなぜなのかがわかってしまうのである。
チィの店に行くアカネだが、手形に思わず自分の手がはまって抜けなくなってしまう。そして、なんと、地下室から見たことのない人たちが姿を現すのである。
二人が言うことには、「手形がはまったあなたは緑の女神。ゆえに、我々とともに私たちの世界を救ってくれまいか」と懇願するのである。ちんぷんかんぷんなアカネをよそに開放的で進取な気性のチィは自分だけでも行くと言い出す始末。渋々ながら「冒険」に旅立つアカネとチィであった。
舞台転換の早い、ロードムービー的な感じでストーリーは流転を繰り返す。でも、そのときどきで時には笑いも起き、いい感じでストーリーが進んでいく。問題なのは「「よろいネズミ」の二人」の存在。

とある場所で鉢合わせしてしまう錬金術師・ヒポクラテスとザン・グ。猫の化身に魔法をかけられ、ハエにされてからのストーリー展開は、意外と笑うところだらけになって、中だるみをなくしてくれた。
それでも「雫切りの儀式」に王子が向かわないことには始まらない。ワンダーランドの中は切迫感こそ感じられないものの不穏な空気に包まれ始めていた。
だが、アカネの尽力もあって、魔法が解け、王子は儀式に勇躍向かうのだが……


この作品の採点は、かなり難航を極めている。ツイッターのファーストインプレッションは89点としたが、内包してある「メッセージ性」はかなりのものだと理解できる。例えば、「前のめりのイカリ」がアカネに仕込まれたことで、否が応でも前に進まざるを得なくなるアカネだったが、別れ間際に、「もうそんなものはどこにもない」とヒポクラテスに言われるのだ。きっかけは誰かの助言が必要であるにせよ、あとはすべて自分の意思で行ったことだ、ということに気づかされる。そして王子が自死しようとするシーンでも「お前らの世界で残酷なことなど無いというのか」といった趣旨のセリフも出てくる。エンタメ系だと思ったら大間違いだったのだ。
しかし、そう言ったやかましい論拠を封じて余りある映像美はただただ圧巻である。鶏頭村の入り口、モフモフすぎる羊たち、そして雫切りの儀式の神々しさ、美しさ……切った雫が鳥となってあちこちに飛んでいくさまは、もうただただ「これを見たかったのだ」と思わせるのに十分すぎる演出だった。
そして恐ろしすぎる伏線の数々。”緑の女神”はもう一人いて……前回の時にも救ってくれたのは、600年も前のこと……でも、この世界の一日=現実の1時間という最後の種明かしで、25年前アカネによく似た誰かさんがこの世界を救ったことになっている。そう。描かれた”緑の女神”のほくろがずぅっと気になっていたのだが……もしアカネのお母さんが37歳前後だったらビンゴ、なんじゃないかと思ったりもするのだが、タイトルコール前の敷物が、アカネにヒポクラテスが渡した敷物とぴったりだったので「そういうことかいなぁ」となったのにはかなり興奮した。

つまり「誕生日プレゼントを取りに行け」とお母さんが言ったのは、「あなたも私と同じ体験をしていらっしゃい」というメッセージでもあったのだ。ワンダーランドを去る手前、手形をアカネが作ってしまったところにも、物語の継承がうかがえるし、実にいい畳みかけである。
ただ、ねえ。ロードムービー的であるから、ずぅっとノンストップで面白いとかドキドキが止まらない、とか言うレベルではない。脇筋も重要なのか書かなくてもよかったのか、がわかりづらい。特にザン・グ=王子、と気づかされるのが最終盤、なのは作劇的にもったいない。たしかに支払いに王宮の金製とみられるカップをもらってニンマリする武器商人のカットは、「こいつぁ間違いねえ」といえるところだが、ここらあたりは説明してほしかったところだ(逆に、「どうしてあんたが、こんなものを」と聞いていた方がザン・グの出自に迫れたところでもあっただろうに)。
ということで逡巡したが、採点は92点まで少しアップする。ここ最近、「皆まで書きませんよ」というスタイルの脚本や演出が多くなってきているように感じるのだが、この作品はより顕著だった。おかげで楽しめるとは言うものの、全てにおいて「さあ、みんなで考えよう!!」にしてしまっている箇所が多すぎるのはいただけない。ザン・グの正体バレが遅すぎる問題なんかはその典型である。
それでも決して駄作、とか「訳わかりません」というレベルではない。「前のめりのイカリ」の効用を言うまでもなく、一人の少女が一歩前に踏み出す力と勇気をもらえる作品であることも事実である。

初見終わって「2回目はないかなあ」と思っていたのだが、意外に心に残ったりしている。観るものが無くなり、うまく時間があったら、もう一度見てしっかりと頭の中に叩き込みたいところである。

2019.4.22 素材をうまく料理 「キングダム」鑑賞記

邦画のビッグバジェット作は、そうそうお目にかかれるものではない。いわゆるスイーツ映画の場合、よう使って数億円、10億以上なら完全に赤字覚悟である。
であるから、壮大な歴史ロマンを感じる、そして中国の成り立ちにもかかわる、最初の統一国家・秦の誕生物語でもある「キングダム」が、中国ロケも含めて、そこそこの予算でもって製作されたことは日本映画界にとっても、またそれを見てもらいたいと思う中国の興行界にしても、一つの転換点ともみられるのである。
一人の奴隷の青年が、みるみる武功を上げて成長していくさまを描いた漫画「キングダム」は、すでに既刊50巻オーバー。だが、今回の実写版は、秦国王・政との出会いから王都奪還までを描いたにとどまっている。分量からしても1/10程度。主人公・信の成長物語の端緒としてはこんなものなのかもしれない。

というわけでストーリーは、皆様ご存知の通り。漂と信という二人の奴隷の少年が抱く夢は「天下の大将軍」。だが、漂はなぜか王宮に"スカウト"される。その先で待っていた、漂の運命が、信を更なる高みへと連れていくことになる。
漂が今わの際に託した布地に描かれた場所に行くと、そこには漂とうり二つの人物が。彼こそが秦の国王である政その人だった。刺客を排除した信だったが、目の前の政をどうすべきか測りかねていた。そこへもう一人の従者である河了貂が現れる。かくして3人の逃避行が始まる。
落ち合う場所で腹心である昌文君と出会える一行。ここで「山の民」との共闘が議論される。山の民の城での政の一大演説は、昨今の情勢をも反映したものではないか、とさえ思う。「遺恨よりも未来」を問うた政の説得に山の民も動く。
かくして王都奪還が議論される。騎馬で王都に向かう彼ら。50名の手勢だけとはいいながら、すんなり王宮に入った一行の激しいバトルがそこに展開する。もちろん、いろいろなことはありこそすれ、政たちの勝利で終了する。このあたりの描写は、あまりに無理筋なのだが、そこは突っ込まないでおく。
異母兄弟のこぶしでの和解もあってラストシーン。いよいよ奴隷の青年からの飛躍が誓われるところで終幕となる。

得点は96点とかなりの高評価である。
実は、この作品に限らず、「また○○」という、キャスティングに異を唱える人たちが意外と多くいたりする。今作の主役たる、山賢人にしても、「いや、これってプロデューサーが連れてきたから」と監督が暴露するなど、「この人を使っておけば安心」という固定化された観念も意識してのことだと思う。
だが、それこそもういい歳したオッサンが相も変わらず学生服来ているわけではあるまいし、いい加減「また山」なんて言う見方は止めた方がいいと思ったりしている。それは私自身が、「羊と鋼の森」で見た彼が、一皮むけた、新境地に至っていることに気が付いたからである。
もう彼がスイーツ映画の常連に戻ることは考えにくい。俳優としてのキャリアを積むべき時期にあって、この作品と出会えたのは「運命」のような気さえする。ただただ怒ってばかり、口も悪いし態度も不遜。しかしそういう一本調子の役をぶれずに演じるってほかの作品とは違う側面がある。テンションの保ち方が実に難しいと感じるのだ。なので「上手い」とは感じないのだが「凄い」とは感じられるのだ。セリフが今様になっているところはご愛敬であるとはいえ、そう言う芝居ができるようになったということなのだ。
脇を固める俳優陣の中で、MVPを上げるとするならば、一にも二にも王騎役の大沢たかおを推す。彼の怪演は、漫画の王騎の設定そのまま。ゆっくりとした少し艶っぽい口調や、矛を振り回しての一網打尽だとか、ほかのきっちり芝居している人たちを見事に喰ってくれた。そして長澤まさみ嬢の妖艶ながら、一糸乱れぬ殺陣は、本作のアクションシーンの中でも傑出の出来であると断言する。
壮大な原作のとっかかりだけ。それでここまで予算もかけ、大々的にPRもしている。東宝実写陣の並々ならぬ意欲は買うし、一か月で即終了、というレベルで終わりそうもない。「コナン」といい、今年のGWは、劇場がかなりの活況を呈しそうである。


勘弁してくれよ・・・(リピート中)

ただでさえ、「モンキーパンチ氏 死去」ですこぉし陰欝な日々を過ごして、「まあ、今日、ルパン第一作の映画、追悼でやるから見るか」となって自宅に帰ってきたら…

 「小池一夫氏 死去」 

なんてツイッターが流れている。

「え?????」
だって、先生、前日には、モンキーパンチさんと協業したこともつぶやいておられたし、死期が近いことは常々ツイッターでも発信しておられたので、覚悟というか、「その日は近い」的には考えていた。
このつぶやきがまさかのラストになろうとは。
4/17に死去した旨のスタッフ(奥様?)によるとみられる投稿。

あの原作者でもあられる小池先生がツイッターをされていたことは、フォロワー氏の「いいね」がTLで流れてきたことで初めて知った。以来、当方も、積極的にフォローするまでではなかったものの、時々流れてくる先生の至言に耳を傾けることが多くなっていった。

悠々自適の生活の中で、先生が気にかけておられたのは、「一日」の大切さであろう。
過去ツイを見ていて射抜かれてしまったので、これをもってこの記事を〆たいと思う。

小池一夫‏ @koikekazuo ・ 4月9日
生きたように人は死ぬというけれど、そうではない人もいます。そして、死に方は選べないけれど、生き方は選べます。そうです、生き方は自分で選べるのです。今日も、良い生き方を選択したなあと思えるような一日だとイイですね。おはようございます。

令和に至ろうとするこの瞬間にでも亡くなってしまう命に思いをはせて。合掌。
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