OSシネマズハーバーランドで予告は見たことのあるこの映画。
パステル調の色彩も毒々しく、そして人物に寄りまくる構図にど派手なアクションシーン。 いきなりこれを何の情報もなく見せられたとしたら、「ウハ――――」となってしまうこと請け合いである。
→本予告。
公開直後に上がってくる映画評は、「堺雅人、やばい」が多勢を占める異常事態。これはどうあっても観なくてはなるまい、となって日曜日の同所に勇躍乗り込んだのである。
だが、昼前回なのに、総勢わずか10人強。「へ??」同じタイミングで入場していた「居眠り磐音」はそこそこ人を集めていたようだったが、こんなものなのか、と思わずにはいられなかった。
カップル3組、男性ペア一組以外は全員男性ソロ。久しぶりの当方が最年長記録を樹立して、平均年齢30代後半を掲示する。
映画の方だが、突然起こる人間発火現象がおさまりを見せて30年余り。それでもいまだに起こる残党たちの発火現象を取り締まる消防隊の面々の活躍が何と序盤に提示される。そのどれもがキャラのたっている人々なのだが、主役の松山ケンイチ演じるガロが出てきて一気にヒートアップ。そして敵対するバーニッシュの首領・リオが出てきてさっそく一対一の激しいバトルが展開する。
首領を捕まえたことで一躍有名人になるガロ。命の恩人でありその人のためなら何でもできると敬愛しているこの街の施政官・クレイから表彰もされる。だが、ピザ屋での一件以降、ガロの想いは少しずつ変わっていく。
そしてガロは、今まで敵対していたバーニッシュも同じ人間であることに気が付いていく。それでも火をつける当事者を野放しにしておくわけにはいかない。
だが、実はクレイこそ、この物語の最大最凶の”悪”だったことが物語が進んでいくにつれて明らかになっていく。ガロを救ったのも自作自演。そしてその方法しかないと強弁するクレイを始めて罵倒するガロだったが……
得点は92点になった。
まず、この展開は正直言って、見る人は選ぶし、しっかり把握して見られる人は数少ないと思われる。特に、「天元突破グレンラガン」「キルラキル」の世界観を好み、独特なカメラワークで迫るアクションシーンがたまらない、という人以外は、正直受け付けないんじゃないかと思っている。
では、その世界観がどうして一本の映画にできたのか?それは製作サイドに答えがあった。この作品、スマホゲーなどを展開する、XFLAGが単独出資して作っているものだからである。
→XFLAGのアニメ・映像事業関連のホームページ。
もしこれが「製作委員会」方式だとどうなっているか?まず出資をお願いすることが難しかろうし、もし仮にうまく立ち上がっても、今度は、金を出している企業の意向がどうしても反映されてしまう。曰く「もっと客の取れる作風にしろ」だの「声優はほかの人で」とかのごり押しなどもありえただろう。
それが一切ない一社スポンサーのアニメーション映画だから、ここまでの無茶ができるし、それが許されるのだ。
そうなってくると、減点されている8ポイントの理由もそれとなくわかってくる。特に設定の無茶苦茶さ加減であるとか、最後の強引なクライマックスであるとか。落ち着くべきところに落ち着いたとはいえ、納得のいく大団円、とは到底思えないラストになったところは残念な部分でもある。
だが、この作品が大きく加点されている部分は、ただの戦闘シーンに終わらせず、上がる楽曲でそれらを彩ったからである。特に物語が進むにつれてどんどんスケールアップしていくメカの大きさや派手さ、戦闘シーンのありえなさなどが目まぐるしく提示されてはあっという間に流されていく。
この作品と同様の作品を見た、とズバリ思ったのは「ニンジャバットマン」である。勢いがすごいだけで、緩急はついていたが中身はほぼなく、荒唐無稽な設定だけが浮き彫りになっていたあの作品と似ていると思ったのだった。とはいえ、この作品には、少しだけラブロマンス的な振りもあり、隊員たちのコミカルな掛け合い、共闘する事態になってもそれを笑いにしていく。様々な要素がちりばめられているところも欲張りすぎに映ったほどである。
傑出しているのは映像表現だけではない。今回は吹替えに3人の俳優が起用されているのだが、その三人とも外れていない演技を披露した。中でもクレイ役の堺雅人は、この作品の根幹をなす最重要人物であるだけにその仕事量も声量も半端なかったわけだが、覚醒した途端の演技に本当に鳥肌が立った。それまではおとなし目・抑制的な芝居だったのに、化けの皮が外れていくにしたがって声質すらも変わっていく。それがただひたすら恐ろしかった。
松山ケンイチは、出だしは、役作りがうまくいっていなかったからなのか、堅さが見られたが、こなれていくとこれまた力量以上のものを出してくれた。早乙女太一は、もともとが声量等を必要としない芝居役者であるがゆえに、序盤は消え入りそうな声になってしまっていたのだが、後半は、まさに残る二人に引っ張られるかのような演技になって場を盛り上げた。
つまるところ「堺雅人無双」な作品になってしまっているところは成功だったのかどうかは意見の分かれるところである。今年の一番、には到底上げられないし(尖っている部分は評価に値する)、かといって10傑から滑り落ちるほどでもない。勢いがすべて、それだけあれば見た観客を圧倒できるという自信の表れが如実に出たスクリーンになった。
パステル調の色彩も毒々しく、そして人物に寄りまくる構図にど派手なアクションシーン。 いきなりこれを何の情報もなく見せられたとしたら、「ウハ――――」となってしまうこと請け合いである。
→本予告。
公開直後に上がってくる映画評は、「堺雅人、やばい」が多勢を占める異常事態。これはどうあっても観なくてはなるまい、となって日曜日の同所に勇躍乗り込んだのである。
だが、昼前回なのに、総勢わずか10人強。「へ??」同じタイミングで入場していた「居眠り磐音」はそこそこ人を集めていたようだったが、こんなものなのか、と思わずにはいられなかった。
カップル3組、男性ペア一組以外は全員男性ソロ。久しぶりの当方が最年長記録を樹立して、平均年齢30代後半を掲示する。
映画の方だが、突然起こる人間発火現象がおさまりを見せて30年余り。それでもいまだに起こる残党たちの発火現象を取り締まる消防隊の面々の活躍が何と序盤に提示される。そのどれもがキャラのたっている人々なのだが、主役の松山ケンイチ演じるガロが出てきて一気にヒートアップ。そして敵対するバーニッシュの首領・リオが出てきてさっそく一対一の激しいバトルが展開する。
首領を捕まえたことで一躍有名人になるガロ。命の恩人でありその人のためなら何でもできると敬愛しているこの街の施政官・クレイから表彰もされる。だが、ピザ屋での一件以降、ガロの想いは少しずつ変わっていく。
そしてガロは、今まで敵対していたバーニッシュも同じ人間であることに気が付いていく。それでも火をつける当事者を野放しにしておくわけにはいかない。
だが、実はクレイこそ、この物語の最大最凶の”悪”だったことが物語が進んでいくにつれて明らかになっていく。ガロを救ったのも自作自演。そしてその方法しかないと強弁するクレイを始めて罵倒するガロだったが……
得点は92点になった。
まず、この展開は正直言って、見る人は選ぶし、しっかり把握して見られる人は数少ないと思われる。特に、「天元突破グレンラガン」「キルラキル」の世界観を好み、独特なカメラワークで迫るアクションシーンがたまらない、という人以外は、正直受け付けないんじゃないかと思っている。
では、その世界観がどうして一本の映画にできたのか?それは製作サイドに答えがあった。この作品、スマホゲーなどを展開する、XFLAGが単独出資して作っているものだからである。
→XFLAGのアニメ・映像事業関連のホームページ。
もしこれが「製作委員会」方式だとどうなっているか?まず出資をお願いすることが難しかろうし、もし仮にうまく立ち上がっても、今度は、金を出している企業の意向がどうしても反映されてしまう。曰く「もっと客の取れる作風にしろ」だの「声優はほかの人で」とかのごり押しなどもありえただろう。
それが一切ない一社スポンサーのアニメーション映画だから、ここまでの無茶ができるし、それが許されるのだ。
そうなってくると、減点されている8ポイントの理由もそれとなくわかってくる。特に設定の無茶苦茶さ加減であるとか、最後の強引なクライマックスであるとか。落ち着くべきところに落ち着いたとはいえ、納得のいく大団円、とは到底思えないラストになったところは残念な部分でもある。
だが、この作品が大きく加点されている部分は、ただの戦闘シーンに終わらせず、上がる楽曲でそれらを彩ったからである。特に物語が進むにつれてどんどんスケールアップしていくメカの大きさや派手さ、戦闘シーンのありえなさなどが目まぐるしく提示されてはあっという間に流されていく。
この作品と同様の作品を見た、とズバリ思ったのは「ニンジャバットマン」である。勢いがすごいだけで、緩急はついていたが中身はほぼなく、荒唐無稽な設定だけが浮き彫りになっていたあの作品と似ていると思ったのだった。とはいえ、この作品には、少しだけラブロマンス的な振りもあり、隊員たちのコミカルな掛け合い、共闘する事態になってもそれを笑いにしていく。様々な要素がちりばめられているところも欲張りすぎに映ったほどである。
傑出しているのは映像表現だけではない。今回は吹替えに3人の俳優が起用されているのだが、その三人とも外れていない演技を披露した。中でもクレイ役の堺雅人は、この作品の根幹をなす最重要人物であるだけにその仕事量も声量も半端なかったわけだが、覚醒した途端の演技に本当に鳥肌が立った。それまではおとなし目・抑制的な芝居だったのに、化けの皮が外れていくにしたがって声質すらも変わっていく。それがただひたすら恐ろしかった。
松山ケンイチは、出だしは、役作りがうまくいっていなかったからなのか、堅さが見られたが、こなれていくとこれまた力量以上のものを出してくれた。早乙女太一は、もともとが声量等を必要としない芝居役者であるがゆえに、序盤は消え入りそうな声になってしまっていたのだが、後半は、まさに残る二人に引っ張られるかのような演技になって場を盛り上げた。
つまるところ「堺雅人無双」な作品になってしまっているところは成功だったのかどうかは意見の分かれるところである。今年の一番、には到底上げられないし(尖っている部分は評価に値する)、かといって10傑から滑り落ちるほどでもない。勢いがすべて、それだけあれば見た観客を圧倒できるという自信の表れが如実に出たスクリーンになった。