多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

2020年01月

2020.1.24 普通に見れる 「記憶屋」鑑賞記

ラストレターは、正直あんまりだった。すでに書いてあるのだが、広瀬すずと、森七菜の好演なかりせば、80点台は難しかったかもしれない。その大半を占めるのが、姉のふりを、一度ならず二度も繰り返す妹・裕里の身勝手にあるし、また、それがそれほど深耕しなかった(乙坂との間も不倫や別方向に行くこともなく終わってしまう)ところにもやもやとしたものを感じたからである。

1/17同日公開となった、「記憶屋」は、優先順位をつけてしまった手前、「ラストレター」より後塵を拝してしまった。それでも、それほど大々的に評価が上がっているわけではないけれど、2週目の落ち着いた時間帯なら、とばかりに劇場に向かう。
松竹配給ということもあり、久しぶりの神戸国際松竹に。「ポイントたまってて無料で見れますが」のカウンター嬢の求めにややにんまりして、財布の中を減らさず鑑賞することに成功する。
2週目だからか、時間帯だからか、館内は実に閑散。それでも主役のファンらしい10代後半の女の子3人組が彩りを添える。20人弱の鑑賞で平均年齢は30代前半。オッサン・おばはん層が少なかったのが幸いしたとみられる。
ストーリーは、広島弁をしゃべる山田涼介演じる大学生・遼一と、後輩ながら、同郷の幼馴染・真希が一つ屋根の下ですでに同居しているかのようなびっくりするシーンで幕を開ける。当初「妹かな」とおもっていたから、この設定自体が斬新だった。だから最初、二人して学校に向かうシーンなんか、どう見てもきょうだいっぽく見えていたのでそこに実際のずれを感じずにはいられなかった。
そんな遼一に、悩みの種……なんかで済まない事態が訪れていた。将来の結婚を誓ったはずの彼女が、遼一の記憶をすべて失っているということなのだった。きれいさっぱりなくなっている彼女の動きを見て、遼一は都市伝説でもある「記憶屋」の存在にどんどんはまっていく。
その状況が、講義にも出てきてしまう。しかし、その考え方に興味を持った弁護士の高原と遼一は関係を持つことになる。
広島での真希の祖父との対面、別の強姦事件の被害者の存在、そして彼女が記憶屋に接触したという彼氏の証言……徐々に記憶屋の正体が明らかになっていく。果たして、記憶屋は誰だったのか?そして失った記憶を遼一は取り戻せるのか?

ファーストインプレッションは、なんと「ラストレター」より高い92点となった。
だって、どこにも脚本的な突っ込みを必要とする部分がなかったからである。例えば、「ああ、そりゃそうだよね」となった幼少期の真希の記憶がすっぽりないところとか、弁護士の秘書でもあった七海が遼一の依頼をすっかり失くしたところで「ああ、そういうことか」と気づかされるわけで(まあ、ここは関係のない、事務所で待っとけ、という高原の指示まで忘れたことになっているので無理筋な部分ではあるけど)、真実に迫っていく過程というものがそれほど急峻だったり、大どんでん返しだったり、がないあたりにすんなりとしたものを見出したからでもある。
幼なじみの真希が「そこまで」立ち入ってしまったところに彼女のわがままぶりが見て取れるわけなのだが、それはずっと一緒に居る時間が長かったからともいえるわけで、最後のカミングアウトからの遼一と真希の数分間の対峙はいい芝居だったと思う。
ストーリーの進め方はすごくうまいのだ。例えば記憶屋のプロファイルには、「彼は脳外科医かも」「緑のベンチに座っていたら……」という情報が記載されているのだが、高原は病院で緑の椅子に座っていたし、彼の主治医は脳外科医の福岡(杉本哲太)。ここでうまく誤認もさせてくれるのだ。
もともとはミステリー小説とされる原作。それを謎解きではなく、記憶屋の心情にも寄り添い、ヒューマンドラマっぽく見せ方を変えたところは監督さんの手腕だと思うし、そのちょっとした改変は原作未見層が大半である映画ファン層にもぴったり来ていたと思う。
そして時代考証もぴったり来ていた。15年前の幼女誘拐事件で使われたのはMPVの2次・後期型車。これの走っている時期は2003-2006。舞台の時間軸は2019.12なので、2004年発生。おお、車両とかで時代をしっかり描けているのは好感が持てる(当時のパトカーでマーク兇鮖箸辰燭△燭蠅皀櫂ぅ鵐塙發)。まあ、広島舞台だし、車両提供にMAZDAが関わっているから、悪役の乗る車両もこうなったんだろうけど、「長いお別れ」なんかがその時期には設定されていないナンバープレート車をホイホイ出してきてしまうのとは、大違いである。

結構長く書いてしまったが、言いたいことは「俳優とかの演技より、しっかりと背景や小道具、演出ができているからそこそこに見ていられる」というところにあると思っている。山田/芳根両名は年齢なりの演技だし、何だったら、自然体で演じていたような雰囲気すら醸し出す。片意地張らない自然っぷりがいい味だった。高原役の佐々木蔵之介、脳外科医の杉本、そしてキーパーソンである田中泯と、脇役で見させられている部分も大きい。
はまらなかったラストレターよりよかった「記憶屋」。映画って、やっぱり見てみないとわからないものである。

2020.1.17 かすった程度 「ラストレター」鑑賞記

新海誠監督に、これ以上ないはなむけの言葉が添えられた、「ラストレター」の予告。
→こちら。
「これは傑作だわ」っとまで結構ハードルを上げた鑑賞になったわけだが、その想いは、あっさりと打ち消されてしまったのだった。
OS系ではどちらでもやっていたこともあり、開始の早かったミント神戸での初鑑賞。
60人程度が着席。カップルが15組程度、ソロは男性やや優位、男性グループも見に来るなど、この物語のはずなのに20代前後の男性層の鑑賞が意外に多く見受けられた。平均は40代前半、男女比は3:2で男性優位とした。
冒頭、小さい滝で戯れる女子高生2人と小学生が描かれる。未咲の忘れ形見・鮎美と本作の主人公でもある、裕里の娘・颯香と、その弟。青春の一ページのようなシーンだが、二人が同席しているのは、未咲の葬儀があったからだ。
大人になった裕里を演じるのは松たか子。遺影になっているのが、なんと大学時代の未咲というのだから、正直びっくりする。子供と一緒に写真すらとっていないとは、どういうことなのだろうか、と思うのだが、その理由もおいおいわかっていく。
未咲が本来出るべき同窓会の席上になぜか姿を現す裕里。だが、同窓生は全員未咲と誤認するのだ。そもそも「欠席します」と返信の手紙出せば済む話、行ったにしてもそこに理由があるとみられても仕方ない。そう。それが裕里の初恋の相手でもある乙坂鏡史郎との出会いを少し期待したからではないか、と思うのだが、まったくこの設定は少しもやもやっとする。何しろ、それが言われていないから余計だ。
そして、裕里であることにうすうす気が付きながら、乙坂は文通を始めるのだ。正確には、裕里からネタを振っているのだが、ここでも裕里は高校の時に行ったように未咲を詐称しているのだ。このあたりでもやもやはピークに達する。そんな茶番に付き合いたくもない。

高校の時に行った自分が好きになっていった「先輩」とのラブレターの交換。そしてそれは一切未咲には届いていない。そのシーンも言われていたのだが、結局若い乙坂は、裕里を受け入れなかったのだ。そこから二人の姉妹の歯車が狂っていく。
家庭を持ち、やや裕福な裕里と、子供は作ったが、自分の命を全うできなかった未咲。この名前の持つ意味あいにも注目である。
実家にラブレターが届けられるようになるころ、夏休み中に実家に逗留していた鮎美と颯香は、母・未咲を好きになっていた乙坂の返信を心待ちにするようになる。だが、結局は自分の昔話に終始する。

得点は86点までとなり、案外な部類に映ってしまった。
広瀬すずと森七菜のダブルキャスト、そこに松たか子と、福山雅治がどう絡んでくるか、というところが世間の見立てであるし、実際姉妹の幼少期を今を時めく女優二人で演じるだろうな、ということは想像ついた。だが、まさか、次世代まで、同じキャストで乗り切ることにするとは思いもよらなかった。この部分はしてやられた、というか、設定の妙といわせていただく。
卒業生の答辞を、乙坂と二人で考えたこと、つまり、二人の想いの結実がこの作品のタイトルにもなっているのだが、それを娘にあてた遺書の形で手渡すとか、もっと他の想いはなかったのだろうか、とも思うし、また、乙坂も未咲がそんなに好きなら一緒になってしまえばよかったのに、と思わざるを得ない。未咲の結婚した相手もクズの見本みたいな男。これでは自殺しても仕方ない。
方や自殺、 方や未咲の幻影にとらわれて売れない小説家。一人家庭を持てている裕里だけが恵まれているようにも思うのだが、いくら初恋の人が目の前に現れたからといって、高校時代にやったことをまたやるのか、となったのは当然だ。大の大人が、なぜ姉を騙って手紙を出し続けたのか?
このあたりにストーリーに入り込めない隙間があったように思う。岩井監督らしく、登場人物に語らせるあたりは演出としては悪くないが、饒舌すぎるきらいのある阿藤(ちょい役ながら豊川悦司の存在感は捨て置けない)だとかはいらないとは思わないが、脇筋に過ぎると感じた。一方的にしゃべる阿藤。気圧される乙坂。クズなのに言っていることは正論であるところも少しだけイラッとする。
とはいえ、主演の女優二人の演技で、そう言ったマイナスの作劇は、すべてキャンセルされる。二人が義理の姉妹である現実編も、実際の姉妹だった回想編も、文句のつけようのない演技でびっくりする。なんといっても、今や業界大注目の森七菜の演技は、自然体すぎるだけでなく、そこにきっちり監督の要求たる感情をにじませてくれている。自由に演技をさせたからかな、と思わないでもないが、仮に姉妹がこの二人でなかったら、この作品はとんでもない低評価になっていたと思われる。
庵野氏は庵野氏だったし、しっかりと自分を出さない福山演じる乙坂の設定もそこまで悪いとは思わない。だが、「そんなバカな」となる欠陥の多さは、いかんともしがたい。途中で差出人が変わる=筆跡が変わったことも見抜けないとは、どう考えてもおかしい。高校の時の行動そのままが繰り返される……それも25年後に、である。物理的に楽しめなくしてしまっては、せっかくの設定も水の泡である。

高評価が多いのは、初恋ってものに過大なイメージや妄想を膨らましている層ではないか、と思う。相思相愛でも結ばれない、心の片隅に残ってしまう片想いのあの人。その設定は今まで五万と見てきたし、奇妙な三角関係がもたらす結末は時として誰得でもなくなってしまう。最後の答辞を未咲と鮎美が二人して読み合わせるシーンがあるのだが、そこに時代の継承を言いたいのだとしても、その原稿用紙だけでは物足りない、と感じるのだ。きっちりと前を向けているラストになっているかどうかもわかりづらい。
そりゃあ、沁みないわけではない。でも、こんな痛々しい初恋をしていない当方にしてみれば、姉と乙坂の間に入った裕里のわがままぶりがどうしても"許せない"と思ってしまう。そして25年経ってもまた同じことを乙坂にする。この女性は何なんでしょうね?

2020.1.12 熱い男たちの戦い 「フォードVSフェラーリ」鑑賞記

「ひつじのショーン UFOフィーバー!」の鑑賞記の〆に、こんなことを書いた。
去年の年始は「シュガーラッシュ:オンライン」でハズレを引いたわけだが、2020年は何とか踏みとどまった。2020年初の「大当たり」はどの作品になるのだろうか?

実際、ここまで、90点台後半の「有無を言わせぬ大当たり」作は出てきていない。ショーン84/シンカリオン91/寅77。ぶっちゃけ、ハズレ・合わなかった作品ばかりだ。
とはいえ、1/17初日の「ラストレター」は初日に見たいと思っているし、それ以降も結構あたりといえる作品が続いている。楽しみであることに違いはない。

そんな中にあって、今回、わざわざ東京まで行き、ブロガー主催の「語る会」に出向いてまで映画に対して語ろうとしたその根底にあるのは、「どんな猛者がこの世の中に居るのか」を確認する意図もあった。映画脳にまで冒されていない当方が、今回知りえた方の中で、かなりの猛者な方に出会えたのはちょっとした収穫でもあった。

一夜を、秋葉原ではなく、神田のワンカラ店で過ごした小生は、結局何するとなくなってしまって、昼行バスで帰阪することにした。オケも15曲程度しか歌わず、寝ることには向いていないカラオケ店なので、かなり苦労したが、それでも、8時台の大阪行きを捕まえて帰ることにした。

大阪には定刻よりやや早めで到着。唾をつけていた「フォードVSフェラーリ」には十分に間に合う時間帯だ。
久しぶりのTOHO梅田の2番。よくよく鑑賞記を見ると、「天気の子」応援上映の際に使ったきりである。今回は、やや左寄りの席に陣取った。館内は6割程度/300人弱が参集。3連休ということもあり、日曜の夜回でもそこそこに集まってくれたようだ。
最初、予告を見た段階では、「王者・フェラーリを倒す泥臭い野郎の葛藤劇」という意味合いしか見いだせず、そこまで鑑賞の対象にしようとは思わなかった。しかし、どうにもおかしい、と気が付き、公開3日目にして鑑賞と相成った。
大筋では、一大企業・フォードが、レース界の王者であるフェラーリの買収に失敗し、敵愾心を燃やしてレースに参入するといったバックグラウンドがある中で、マットデイモン演じる、カスタムカー売りの元レーサーと、クリスチャンベール演じる、つぶれかけの整備工場経営者でありドライバーという二人がフォードに踊らされつつも一応の目的を達成するという内容だった。
この作品で言われているのは、ミクロ的に見れば、ドライバー兼設計者とまとめ上げるプロデューサーという関係なのだが、フォードという勧進元が関わることで、この二人の間にも不協和音が漂うことになる。
その最たるものが、フォードの123フィニッシュが決まるときの同時チェッカーという提案を受け入れるかどうか、と言ったところに現れている。「お前が決めればいい」というデイモン。そして、「チームとしての勝利」を選択するベール。だが、それは結果的に踊らされ、いいように利用されただけという結末にもやもやとしたものを感じ取ってしまう。
こういった、よそからの力に惑わされてしまう後半より、中盤のレースシーンの、ドライバーに託する指示の場面で、私は冗談抜きで落涙してしまったのだ。そこには、7000回転まで上げてもいい、という指示と、「お前の好きなようにやれ」と同等の言葉が黒板に書かれていたのだ。そこにあるのは、マシンを一番よく知っている彼だから、彼が一番ポテンシャルを引き出せる、そして勝てると踏んだデイモンの名采配とも受け取れるし、それが言えるほどの信頼関係がそこにあることがきっちり描写できていたからである。マジで泣けるとは思っていなかったのだが、これは正直反則である。
家族の描かれ方も若干説明に過ぎるところもあったが、ドライブの最中の夫婦喧嘩などは冗長であっても二人がわかり合える描写としては必要だったと思いたい。
得点は94点。最高峰でもある95以上には少しだけ及ばなかったが、2020年の「初当たり」であることは間違いない。そこにある男性同士の友情は言うに及ばず、すべてのことに真摯に向き合っている二人だからこそ成し得た高見でもあると思う。その部分で言えば、テクニカル的な描写がくどいくらいあってもおかしくなかったのだが、それを極力押さえて人間ドラマに仕立てた手腕はすごいと思う。
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