多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

2020年02月

2020.2.23 初インド映画 「プレーム兄貴、王になる」鑑賞記

知っている人も多かろうが、世界でいちばん映画を作り出しているのは、日本でも、中国でも、アメリカでもなく、今はインドである。→インド在住の日本人が詳細を記していただいてます。謹んでリンクを張らせていただきます。
しかも製作本数は半端ない!!日本のほぼ3倍(記事では600本弱と書かれているのだが、600近くも邦画+邦画アニメがあることに驚く)も作られるバイタリティはどこからくるのだろうか?
そんなインド映画も最近徐々に日本に進出している。なんといっても、「バーフバリ」の公開が転換点になっているんではないか、と思う。
その昔の「ムトゥー 踊るマハラジャ」あたりが黎明期なんだろうけど、今やちょくちょくと名作も公開されているから侮れない。未見で終わってしまったのだが「バジュランギおじさんと、小さな迷子」はいろいろな問題を内包させながら、そこに着地させる妙に感じ入った人が続出した。結局鑑賞を逃した当方にとって、その作品で主演していた彼の主演タイトルが見れるとなったら、見に行かなくてはならないとなったのだが、エンドロール最後のクレジットを見るまで、「新作だ」と信じて疑わなかった。ちなみにバジュランギも本作も、2015年作だった(5年前だったのね)。
劇場は驚くべきデータを提示した。ソロの女性のあまりの多さである。もしかすると、結構マッチョで、かっこいい主役に惚れている人(ファン)が来ているのかなと思ったりもする。30人強が鑑賞し、男女比はやや女性優位。平均年齢は40代後半とする。

即位式を間近に控えた皇太子が暗殺未遂で瀕死の重傷を負ってしまう。たまたま恋い焦がれていた王女様に逢いたいと向かっていた田舎役者が、実はこの皇太子に瓜二つ、ということで影武者を仰せつかってからの、王女との4日間の逢瀬と、それからのもろもろの兄弟間の確執などをうまく取り混ぜての作劇で、結構うならされた。
彼女は、久しぶりに会う替え玉に気が付かず、人格が少し変わったように感じて付き合いを始める。だが、そこにあったのは、人が変わったような(別人だから当然か)彼の態度と、真摯に分かり合おうとする情念だった。最初どう接していいかわからない彼にしたところで、彼女の慈しみと芯の強さにまさに惚れていくことになる。
この作品の凄いところは、影武者たるプレームが、決して本物の皇太子を越えようとしないのに、王女が(本人だからと)迫ってくるシーンである。二人は決して結ばれてはいけないということをうまく映像表現できているのだ。

得点は、93点とした。
「言葉で言わなくても瞳を見ればわかる」とかの結構決めてくれるセリフもあり、幼少期にあったある出来事がうまく活用されていたり、と、映画としての基本的なところも押さえつつ、ミュージカルスタイルでぐいぐい進めるのはインド映画の真骨頂。ただただ長いだけといわれるかもしれないが、全てに手当てできているからこの長さになったのかな、と考えたい。
偽物の出した兄弟の和解案は有効なのか、とか、全身打撲に脳腫瘍的な転落時の傷病が4日程度で治るあたりとかは突っ込み待ちなのかな、と思ったりもするのだが、さすが大団円・ハッピーエンドがボリウッドの不文律。オーラスはやや無理やりな感じがしてちょっぴり興ざめしたのだが、「ここまで身分を越えたラストは見たことない」になるので、びっくりできる。
ストーリーもいたって平易、登場人物の相関関係もそれほど難しくない。しっかり途上で説明や回想でわからしめてくれるのでどうしてそうなったのか、とかもわかる。冒頭の劇の内容が、実は二人の物語に似ているところはいい伏線になっていると思った。

2020.2.16 初「最終上映回鑑賞」 「天気の子」33回目鑑賞記

映画「君の名は。」は、国内上映記録は364日だそうだ。つまり、2016年8月26日から、翌2017年8月24日までが劇場公開された日であるとされている(それ以降は、いわゆる企画上映であり、間もなく挙行されるドリパスの上映も同様の扱い)。
この記録を「天気の子」は破ることはほぼ100%ないと断言できる。もちろん、「この世界の片隅に」の1000日オーバーなど望むべくもない。
ただ、私が言いたいのは、ここまで8カ月余り、追いかけられる映画というものはそうそうない。そして、関西はもとより、西日本でいったん最終上映となる当該作品の最終上映地が、近畿、しかも兵庫、さらに当方が行ける範囲内の劇場なら、出向かないという選択肢はない。

かくして、2020.2.16。「天気の子」に関してのメモリアルデーがまたしても刻まれることになった。
1917を見終わり、大久保駅の北口に。15分おきで出るバスは、それほど待たずに捕まえられた。陰欝な雨がしょぼつく中をバスはひた走り、「天郷」バス停で当方を下す。
時間はたっぷりあったので、敷地内ちょっと離れたところにある「ガスト」で腹ごしらえ。ここでフォロワー氏に連絡を取ると、身内の急病でキャンセルとの連絡が。
まあ、彼がどう動こうとも当方の意思に変わりはない。かくして33回目を目指すべくカナートホールに向かう。
時刻は開演30分前。だが、目の前でカップル二人組が相次いで購入に至っている。これは、と思い立って、当方も購入。11番目の整理券を得るに至る。その後も購入者は、ソロ/ペア/カップル/男性グループと引けも切らない。最終的に20人強の鑑賞となったわけだが、あの「1917」とほぼ同格の入れ込みというのに恐れ入った。男性やや優位/平均は30代後半になったのは、家族連れと、20代男性グループの来訪によるところが大きい。

もはや、書くべきところはほぼ見つからない(とはいえ、陽菜さんの服の相違をまた見つける……)のだが、それに倍する感情の勃興はそこかしこで出てきてしまうから仕方がない。ストーリーも全て手の内、何だったら、住職の語りはほぼ暗唱できる。両隣に誰もいないのをいいことに没入する。
そうなると「あの人のところに、行かせてくれよっ」からの一連の作劇に心を動かされてしまう。もう止まらない。止められない。
そしてグランドエスケープ。幾多のアニメーションの演出があるが、こんな感動的で、感情を持っていかれるものはそうそうない。「君の名は。」のカタワレ時は、逢えなくなる(喪失する)涙なのだが、逢える、離さない涙にここまで高ぶらされるとは……!!
そしていよいよラストシーン。
この作品のすべてが詰まっているからこそ、全身全霊を持って二人の想いを受け止めないといけないとわかっているから、このシーンは、今回、歯を食いしばり、まさに目に焼き付ける勢いで陽菜さんの可憐なセーラー服姿を記憶した。もちろん、涙腺は久しぶりに氾濫した状態で、である。
こんなに体力を使う映画だったとは。何度も同じ感想を述べているのでおかしく思われても仕方ないのだが、「大丈夫」の持っている破壊力が私のHPを無残にも削り取るからだろうと思っている。曲と映像のマッチングを目指したRAD・野田洋次郎の渾身の一作、それに応えた新海氏。二人のコラボだから、これ以上ないラストに仕上げられたのだと思う。
場内が明るくなっても、当方は腰をすぐに上げられない。名残惜しいからではない。ぐったりとして、本当に立てなかったのだ。こんな映像体験ができるのに、とりあえず東京方面に向かわないとスクリーンでみられないとは。残念な面持ちのまま、まだ降り続いている雨の中を駅に向かうバス停に向かって一人歩いていった。

2020.2.16 その映像を見たかっただけ 「1917 命をかけた伝令」鑑賞記

今の映像技術は大したものである。
1970年代後半にVFXを多用した「スターウォーズ」(当時は何の添え字もなく、あれがEP.4だと知るのは後々の話)を見せられて、度肝を抜かされてから40年以上。
もはや特殊効果と映画は切っても切れない間柄となっており、さほどそういった効果の必要ない邦画ですら、いくばくかのシーンで使われていることがエンドロールでも確認できる。
この映画……1917(以後このように記載)においては、アナログ的な特殊効果を前面に押し出した。つまり、「全編ワンカット」という壮大なうたい文句である。だが、私をはじめとして、ほとんどの映画通は、「そんな映画できるわけないやろ」と思ったに相違ない。
だいたい、「カメラを止めるな!」クラスのB級映画で、本当に資材も人員も割けない作品なら、そうせざるを得ないところだが、あれだけVFXにも人員が割けられ(エンドロールの特殊効果の人員の多さにぶったまげた)るのだから、そんなしょっぱい、B級映画みたいな無理難題をやる必要がどこにもないからである。
私がこの映画に惹かれたのは、実はそういった「どうやってワンカットのように見せているのかな?」という点に注視したかったからである。だって、基本的にストーリーはあってなきがごとし。起こったことが淡々と述べられるだけだろうし、だから人間ドラマにも発展しにくい。前線では派手な攻撃が展開されるだろうが、撤退したドイツ軍を追いかける形になっているのでせいぜい出くわすのは敗残兵レベル。つまり、捕虜になってしまうとか、敵の攻撃が激しすぎて前に進めなくなるといったマイナス要素はほとんど想定できないのだ。

それでも、当方が朝一からこれを見ようと思ったのにはわけがある。13:50スタートのとある映画の前哨戦ならばぴったりだからだ。
かくして、8時過ぎに自宅を出て、8:45頃に大久保駅に降り立つ。向かうはイオンシネマ明石。久しぶりの訪問である。
しかし、朝一の入場方法がよくわからず、ウロウロしてしまう。実際には、一番手前の1番館/1Fから映画館直通のエレベーターを利用するのだが、9時にならないとオープンしないという不便ぶり。しかも、駐車場などから向かえる人はいち早く入場できていたようで、実際9時2分くらいに着いた6階フロアにはすでに長蛇の列が。
1917は、結局20人余りというしょぼさで上映を迎えた。やはり戦争映画ということもあって、壮年/老年系の男性ソロが圧倒的。何組かカップルは認められたが、女性ソロは一人か二人だけ。平均年齢は50代前半とする。まあ、大半は、某韓国映画に殺到していたようなのだが、当方はよほどのことがない限りそこには至らない。

さて得点だ。
93点をつけたのだが、実際、映像を見せられると、「上手くワンカット風に作っているな」と思わせるだけの編集ぶりで、そこは大きくプラス評価を与えたいと思う。「どうやってワンカット風にしているのか」といえば、主人公が、どうあれ一瞬物陰に隠れるときがカットのタイミングである。一番わかりやすかったのは、敵塹壕の中でトラップが発動したときである。それ以外でも、森を抜けるときに太めの幹の後ろを主人公が通ったり、川のシーンでは岩陰を流れていったり。パノラマ的にカメラをくるりと回した時も主人公が見切れる一瞬があるのだが、そうしたタイミングになっているはずだ。もっと邪推すると、あくまでそういう演出にしてあるだけで、カット入りまくりで作っているかもしれない(つまり編集やVFXで一連の動きと見せかけているだけかもしれない)。
実話をもとに構成したという企画も大きく買える。基本的に主人公から目を離さないカメラのおかげで、臨場感はあるし、カットをシームレスに見せることで本当にワンカットと偽装させるところとかはうまくやったと思っている。
映画を見慣れていない人が見ると本当にワンカットかと感じてしまうような映像演出は大成功しているのだが、所詮は攻撃中止命令をとどける一日を描いたもの。ストーリーやメッセージ性などに深いものがあるわけではない。また、この作品にそういったものを求めてもいけないと思う。
ただ、奇妙な映像体験は得られる。常に付きまとうカメラは、まるで記録映画を撮っているかのよう。至近距離のカメラを一切気にせず自然体で演技するのはなかなかに難しかったはずだが、それを全く感じさせなかったのは特筆に値する。予告でもさんざん使われた、草原を数百メートル疾駆する主人公のシーンは「待ってました」といえる最後のクライマックスだし、前進する味方の兵隊とぶつかり倒されても起き上がって目的を完遂しようとする姿に感動はする。でも、総じて起こるイベントは想定の範囲内で、華やかさも、激しさも、厳しさもそれほどない。
途中でバディを失う局面は「そういうことだったのね」だし、そのシーンに前後して採取したとある飲み物がすごい伏線(いうても、感動までには程遠い)になっていたところは、意外といえば意外だった。
緊迫感、緊張感、そして達成感。すべては得られる2時間余りなので見て損はないが、かといって何かが持って帰られる作品でもない。おすすめはかなり難しいと思っている。
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