多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

2020年03月

2020.3.29 お腹いっぱいなフルコース映画 「サーホー」鑑賞記

予告を見たのが神戸国際松竹。その映像を見ただけで鳥肌が立ってしまい、これは見なければ、とばかりに、同僚にまで宣伝をしまくった本作。
しかし、コロナ感染のあおりを食らって、こんな大作なのに当該上映回は、日曜日の昼下がりなのに悲しいかな10人に満たないというありさま。映画の良さや見てもらう努力をしたとしても伝わらないもどかしさを上映前に感じた次第である。

一応、インド映画といえば、きらびやかな原色使い、いきなりのダンシングシーンとミュージカル、そして大団円というフォーマットが付いて回る。すべてがそうとは言えないだろうが、こういった勝利の方程式がないことには本国での受けもよくないんだそうだ。
ここ最近、インド映画の存在感が増してきているのは、「予算さえ付ければ、ハリウッドも顔負けの作品が作られる」くらいに映画産業が成熟しているからだろう。そして、30億ルピー=日本円で約45億もの巨費を投じて作った本作だからこそ、世界的にもヒットしたものと考えられるのだ。

本編始まる前にSPECIAL THANKS TO……と、恐らく製作に関わったプロダクションやスポンサーがこれでもか、というほど列記される。企業の数も半端なかったわけだが、ここまでの人たちが関わっているのだから、いやがうえにも期待感が湧きあがる。
ワージーという、犯罪都市のマフィアの棟梁が謀殺される事件が発生。当初から覇権争いのあった組織だけに、「誰が」やったのかはすぐに見当が付く次第にしてある。このあたりはうまく持ってきたと思う。
覆面捜査官という触れ込みで捜査側に入ってきたアショーク。だが実はこの時点で我々は騙されてしまっていたのだった。「ある時は○○、またある時は××、しかしてその実体は……!」とは、某有名探偵シリーズの決めゼリフなのだが、変装は全くしない(立場は時々で詐称する)主人公が、こういうスタイルで観客を翻弄する内容だとは気が付かなかったので、その設定だけでしてやられたりする。
華がどうしても必要なインド映画の中にあって、このストーリーに不要だけれども不可欠な女性の存在。一人の女性警官に一目ぼれするアショーク。ロマンスがないといけないとばかりに美女が絡むストーリーにしたのは骨太な全体像をぼやかせてしまっており、若干の戸惑いを隠せない。だって、彼女がキーパーソンでもないし、実際ストーリー上お邪魔虫なのだ。彼女を助けるといった目的が後半に出てくるのだが、無理やり感は半端ない。ラストシーンはその最たるものだろう。

ここまで、あまりいい目を見せれていないとお感じかも、だが、得点は95点となり、「十分お勧めできる」内容だとしておきたい。
ただ単なるマフィアと大泥棒との決戦映画ではない、サスペンス要素もちょっとしたラブロマンスも内包した内容。尺の長さやツッコミどころ満載なのはご愛敬。そう言ったマイナス面に目をつぶれば、主役であるブラバースの超人的な強さや、彼がどうしてここまでの行動に立ち入ったのかが思い知れる。なんといっても、ほぼCGであろうカーアクションも実物を使っているかのように感じるし、走行シーンに規制の緩いドバイのハイウェイが使われるなど、「金に糸目をつけなければ作られる」映像を堪能できることは間違いない。
大きく評価したのは、主人公の"最終的な立ち位置"がそこであったということ。首謀者は実はあの女性だったこと、そのお宝の内容も含めて、素晴らしい落としどころが見えたところである。
とはいうものの、込み入りすぎて一回見ただけで全体像を把握するのはなかなかに難しい。「ははあん。リピーターが続出したからヒットしたのかもな」と推測できるし、実際中毒性のある展開はおそらく何度見てもうならされるところだろうと思う。折角のインド映画もコロナウィルスには勝てなかった、というところか。

2020.3.29 「イーディ、83歳 はじめての山登り」 鑑賞記

ほかの地域ではすでに上映済みになっていた、本作「イーディ、83歳 はじめての山登り」。ようやく地元・神戸のシネ・リーブルでの公開がこの金曜日から始まった。
同所での予告から漂う、名作感。ただの婆が行きたいと思っていた山に登ることにどういったドラマが展開されるのか?そして、堅物でヘンコな婆さんの心情がどう変化するのか、を鑑賞するつもりだった。

シネ・リーブルには、昼前に余裕を持って来館。正直言ってOS系にも行きたいところだったのだが、今大作をやっている状況ではないから、こういった小品でも拾っていかないといけない状況でもある。
館内は、15人程度。婆さんが主役だからか、初老の女性ソロの方が一番多くやってこられた。平均は60歳前半。若手は30代男性ソロくらい。きれいに散らばっての鑑賞になった。

難病にかかり体が不自由になった夫を介護する老婆・イーディ。だが、突然彼は天寿を全うする。唯一の肉親でもある娘は、自分のことで精一杯で、厄介払いよろしく、母親を施設に預けてしまう。今まで世捨て人のように生活していたイーディ。当然誰とも打ち解けようとしない。
カフェでの何気ない会話から、父と行きたかった山に行こうと思い立ち、急遽荷造りまでして山近くの港町までやってくる。ちなみにその山とは、こちらである(スコットランドのこちら/英語版ですって、日本語の需要無いんで、当然ですかね。読みたければ翻訳してくださいね。尚、標高は731mであり、登山が熱心な山ではないようだ)。
ずぶの素人がそれこそ予備知識なしで山登りは無理である。しかも彼女は予定より早く着いてしまい、宿にあぶれてしまう。
結果、この街に来て最初に知り合ったジョニーの家に転がり込むのだが、彼がアウトドアショップのオーナーであり、しかもこの山に登るためのトレーナーをかってでるのだ。若い人からすれば、面倒くさい老人の相手をするのは、それこそ金目当てでないとやっていけないと思っていて不思議はない。実際悪態をついたことも一度や二度ではない。泥塗れのイーディの長靴を面倒くさそうに洗っている仕草でもそれがわかる。
だが、日にちが薬。自分のショップでいろいろ買わせることにも成功し、何度かトレーニングを重ねるうちにイーディの表情が明るくなり、笑いも出てくるから面白い。とは言うものの、やはり基礎的な体力の問題が飲み会の席上で明るみになる。
すっかり自信を失うイーディ。買ってきたものに囲まれたホテルの部屋で一念発起、「辞める」選択をしたときには驚いた。それを翻意させようと、芝居まで打つジョニーのいじらしさには少しほろっとさせられる。
だが、登山の当日になって、イーディは一人で行くといい出すのだ。少しフラグが立ったのか?と思ってしまったのは内緒だ。たしかに標高は低いが山には違いない。何が起こっても不思議のない(特に天候の急変)登山は、舐めたことをすると命に直結する。
ジョニーは結局自分の携帯を渡し、連絡が取りあえることで老婆の一人登山を容認してしまう。彼女はうまく目的を完遂できるのか?

得点は、93点をツイッターのファーストとしたが、この論点が湧き上がって、Yahooも☆4、ブログでは88点とやや評価を落とした。
今までの生活が、結婚からこっち一切の自由なしで過ごしてきたイーディ。それでも献身的に看病も介護もしてきたはずだし、一人娘も育て上げてきたはずだ。そんな彼女の登山チャレンジは、一種命がけであることも本人はどこまで理解していたのだろう?実際の登山行を見てみても、オールは流されたのに向こう岸に渡れたのは幸運でしかないし、その前段であるボートを水面まで動かすことすらままならない体力であることも軽視している。極めつけは二日目。夜間に動くことは危険極まりないのに、暴風雨に見舞われてからテント設営なんて、玄人でも難しかったはずだ。マタギの家に転がり込めてなかったら、確実に死んでいたところだ。
3日目も同様。結局どのタイミングでも命の危機にさらされているのに「一人でできる」と過信しているのだ。

彼女のチャレンジは確かに買える。普通だったら、身の丈に合わない登山など最初っからしようとも思わないし、仮にするにしても、先達のいうことは聞くものである。だが、彼女の悪い癖……自己流が出てきてしまう。こうなっては、いくら準備をしていても、すべてが灰燼と化してしまう。実際何度も死にかけているではないか!「始めるのに遅すぎることはない」と、カフェで言われて一念発起したわけだが、それが下手すると死に追いやっていた可能性もあるのだ。
何の準備もしていない老婆の登山チャレンジ。結果的にはいい結末だったが、あの後どうやって下山したのか、あるいは後日談的な娘との和解とかも描かれた方がよかったか?登ってハイおしまい、では、彼女の人格的成長がうかがえない。そこらあたりの手当ての無さが秀作といまいち押し切れないところだといえる。

2020.3.22 「ラストディール」鑑賞記

久しぶりの洋画鑑賞になった。とは言いながら、北欧が舞台のこの作品も、「家族の結びつき」が絵画のオークションシーンよりも出張ってくる、タイトルとは雲泥の内容になったところは特筆すべきだと思う。

名画系しかしないシネ・リーブル神戸に再び来館。手元不如意なことと、来週から上映の婆さん映画のためにリソースを取っておくこともあって日曜日なのに一本だけの鑑賞となった。
今回は久しぶりのアネックスでの鑑賞。500席以上という、関西でも屈指の収容数を誇る場所だが、もともとがコンサートや芝居・講演用の場所であることもあり、また、座席もピッチが狭く窮屈である。
この作品鑑賞に至ったのは20人余り。ここではさすがに閉鎖空間、といえるほどのキツキツ状態でもなく、余裕のある入れ込みになっている。

「ラスト・ディール」と表題にするからには、最後のオークションでの取引がクライマックスで、その後、売れて大団円、を想定していたわけだが、「ほほう。そんな風にしか脚本書けませんかwww」といわれてしまうような内容になっていくので、表題だけを信じて見に行くと少し肩透かしを食らう。
老店主が守る絵画店に、娘の息子……孫が、職業訓練を受けたいとやってくるところからストーリーは動いていく。オークションをする画廊でふと見かけた普通の肖像画に心を奪われてしまう老店主。サインがないことから普通なら買うのをためらうところなのだが、今までの鑑識眼が生きたのか、「これは名のある峩々の手になるものだ」と結論付ける。
孫と一緒に画の勉強に博物館に行ったりもするのだが、二言目には「何万ユーロだ」とか、「20万ユーロはくだらない」と金の話ばかり。それでも評価の欲しい孫は、しぶしぶ作者探しに付き合うことになる。
ところが、そのイヤイヤが思わぬファインプレーを産み出す。裏書されていたわずかな手がかりから、所蔵されていた博物館を割り出し、それが、イリヤ・レーピンの手になる「キリスト」像であると断定できたのだった。
このレーピンなる画家は実在している(すでに死去している)が、キリスト像は、別人が描いたもの(クレジットにも記載あり)。それでも、サインがないだけであり本物だと断定した老店主は、金策に走り回ることになる。

得点は、やや甘めの91点とした。
中盤で早速のようにオークションの場面が展開される。「おいおい、もうクライマックスかよ」と感じてしまったほどである。もちろん、「落としてから、自分のものにするべく代金を払い、お客様の手に渡り、入金されるまでがオークションですよ」ということにしていくだろうとは思っていたのだが、こういう、目的が話の途中で達成されてしまった場合、えてして、その後は悲劇的であったり、完遂されないということは薄々感づくわけなのだが、その通りになっていく。
レーピンの絵のコレクターも、最初はタッチから本物と見て購入の意思を示すのだが、仕入れ先に問い合わせてサインがないなどの瑕疵を知り、購入を断念。落札価格が超高額だったこともあり、あちこちにした借金が重くのしかかってしまう。しかも、孫の進学資金まで手を付けてしまったことが母親にばれて、せっかく修復しかけていた父と子の関係も引くに引けないところまでに向かってしまった。
売れず、借金だけが残った彼が取ったのは、店を完全にたたむこと。それで1万ユーロをねん出し、しっかりと返すべきところには返していく。そしてある日彼はまさにぽっくりと逝ってしまうのだった。

画を巡って家族の間もぎくしゃくするのだが、遺品の整理の段階で、このレーピンのキリスト像は、孫に譲る、と遺言を残していたのだった(弁護士のところに赴いていたのはこのため)。家族の間の継承。画を生業にすることはかなわなくても、祖父の想い出が詰まった一枚。金だけではない思いが孫に伝わったことは余韻を醸し出してくれた。
決して大規模興行など無理な内容に題材。だからこの手の作品は一期一会、見れるときに見ないと一生出会うことはないといってもいいだろう。北欧の陰欝な天気のようなすっきりはっきりしない作風だったが、「これはこれでいい」と納得してしまうそんな一本だった。
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