多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

2020年07月

2020.7.26 これはヤバい! 「アルプススタンドのはしの方」鑑賞記

もはや、この作品は、最初から点数をかきたい。
94点だ。

だが、ソンジョソコラの94点とはわけが違う。その減点の対象のほとんどが、「聖地で撮れなかった」という部分だからだ。
「アルプススタンドのはしの方」。もし本当に、甲子園球場で撮っていたとしたら、これはもう、満点に限りなく近い内容だ。あの夏の日の一日、弱小校にはどだい到達することすら叶わない大舞台。そこで撮影できてはじめてこの作品は臨場感も含めて「ああ、甲子園なんだぁ」を実感できる。
ところが実際にロケ地に使ったのは、平塚市の球場(ロケ地としてエンドロールでも発表あり/場所はここ)。甲子園球場の臨場感をあの程度のエキストラで再現するのは難しく、ましてや、地方球場で撮ったというのがバレバレ。「アルプス」とは謳っているものの、「地方大会の決勝戦か?」と誤認してしまったほどだ。

だが、それ以外には減点をする部分が一切認められないのだ。
もともとは、演劇が原案。演劇部の女子部員で、野球のルールもよく知らない二人と、元野球部だったこともあり球場に行きたくなかった男子生徒、そして、秀才でこれまた野球の応援には及び腰なメガネっ娘。この4人が、甲子園のアルプススタンドで、人影の薄い端っこで応援するで無し、ただ試合状況をあーでもない、こーでもないというところから物語は始まる。

基本、二人での会話がストーリーを紡いでいく。演劇部の二人、トリガーになる茶道部の熱血応援教師、野球部員だった男子生徒が絡んでいき、その過程で優等生メガネっ娘が本心を隠して試合を見ている。「しょうがない」としか言わなかったメインの女子が、負い目を感じてついつい先手を取ってしまう演劇部の女子が、練習することに成果を見出せず中途半端で投げ出した男子生徒が、実は好きな彼がエースを張っているから見に来たことを知られたくない秀才女子が、試合が展開していくごとに会話によって一枚また一枚と本性があらわになっていき、8回裏の自校の攻撃の際に声を出して応援を始めることで事態が少し好転するあたりの流れるような作劇にうなってしまった。
人生は「しょうがなくなんかない」し、「諦める」ことでもない。目の前でやっている試合に真摯に向き合うことを自発的に始めることができて彼らに思いが伝わるのだ、と監督氏は言いたかったのだろう、と思う。8回、試合が動き出すタイミングで、この4人が化学変化を起こしていくのは原作踏襲だと思うが、だとすれば、この舞台劇の脚本そのものも見てみたいところだ(尚、パンフには記載ありとのこと。尚1200円www)。

高3の、彼らの心の中の、清いけれどどろどろしたものが一瞬にして昇華する瞬間の爽快感はここ最近作では味わったことのない、いわゆる「鈍器で頭を殴られたような」感覚だった。舞台劇で会話ばっかりなのにこんな作劇になるとは。
私自身、邦画でここまでの衝撃を受けたのは、「カメ止め」以来だ。あの作品が、ホラーを標榜しながら、安物臭漂う映像に終わったのだが、その裏を知るとここまでのものを作るのでもこれだけの入念な準備と人手がかかっていることを知らされる衝撃だった。だがこの作品は違う。知らず知らずのうちに赤の他人でなくなっていくのだ。あのスタンドにいる人たちすべてが。そして試合展開は明らかに不利であるのに応援したくなってしまうのだ……
あ、とここで気が付く。「のぼる小寺さん」と同様ではないか!!何度も落ちながらそれでも壁に向かう。「ガンバっ!」は確かに彼女にしてみてもグラウンドに居る選手たちにしても意味のないものかもしれない。だが、それが青春なのだ。「しょうがない」なんて諦観している場合ではないのだ。

高校生諸君は必見の映画として、本作を上げておきたい。

2020.7.26 山田・國村の二人の「ステップ」 ステップ鑑賞記

公開からこっち、口々に「いい」という評しか聞こえない、「アルプススタンドのはしの方」。
そんなことがあるかいな、と思いつつ、梅田ブルク7での2回を認める。ブルクでは、意外にも、シネ・リーブルで見るつもりだった「グランド・ジャーニー」も、「ステップ」もどちらもやっている。
そうと決まればこの3タイトル。グランド→ステップ→はしの方 とスケジューリングもできて、いざ劇場へ。

グランド・ジャーニーはちょっとしたあたりであった。
その勢いのままに、これまた評価の高い「ステップ」を見ることにする。山田孝之といえば、マルチな才能をほしいままにしている俳優であり、プロデューサーである。とくに「デイアンドナイト」にしっかり関われるほど、嗅覚というものはすぐれているとみていいと思う(WIKIにプロデュース実績が書かれてないのはいかがなものか?)。
色物俳優という見方が多い中で(ヨシヒコとか、全裸監督とか)、普通の山田孝之を見たい!と言う衝動もあって、一躍鑑賞したい作品のトップになっていた。

昼イチ回ということもあり、ブルクで久しぶりに見る△表記。無理もない。4番は満席95人。半数しか入れないとなったら、50人は無理。結局前の方に空席が目立った程度で40人弱の鑑賞となる。カップルがちょっと多め、ソロは、男性優位なれど女性もほどほど。平均年齢は40代後半とした。

観る前では、私自身は、山田孝之演じる武田の孤軍奮闘な子育て日記が全編にわたって展開されると思っていた。6章に渡って描くわけだが、生後1歳とちょっとで急死した妻にかわり子育てをする、一周忌からスタート。第一章は、そういうわけでいきなり2歳程度からスタートするのも納得と感じたのだが、そのラストの保育士の考え方に少しだけ違和感を感じてすっと醒めてしまった。
2章/3章は、小学校低学年の父子の葛藤が描かれる。小1の母の日の似顔絵のシークエンスは、娘・美紀の論破で私も感じ入らされた。その通りだし、彼女は嘘は言ってない。生身か写真かの違い、そして片親しかいない現実にさらされている彼女のセリフはすべてが重いのだ。
美紀の達観したものの考え方、あるいはより大人びて見える瞬間が、武田には危うく感じられたこともあっただろう。そして、横浜に居るおじいちゃんの存在は甘えられることにもつながっていく。
5章/6章と続く後半は、義父・村松との絡みが多くなる武田。とある料亭での会話や、病室でする武田の問いかけの場面は、説明に過ぎるきらいもあるが、それでも我々を納得させるに十分な内容の語りであった。

映画ブロガーのモンキーさんに言わせると、「マスクがびしょびしょになってしまった」そうなのだが……いや、私もウレタンマスクでしたが、正直ほぼ同じ状況になりましたぞw→「モンキー的映画のすすめ」記事はこちら
特に私的には後半の方により感涙ポイントがあったように思う。生にもがく前半より、死に向かっていく後半でより多く泣けたのは、やはり当方がその方向に片足突っ込んでいるからかな、と思ったりもするが、それもこれも、名優・國村隼の演技によるところが大きい。

というわけで得点は辛めの95点とした。なぜか?「泣ける」とわかっている作品だから、お涙頂戴に持っていくいやらしさが少々鼻につくからである。
子育て世代にはあるあるがあるし、当然義父を含めて高齢世代を送らなければならない世代にも深く刺さること請け合い。私は、卒業式の当日、美紀が「母が最後に残した」赤ペンの線に肉付けをしている「幹」をなぞったところで嗚咽を禁じえなかった(今書きながら、木の「幹」と名前の「美紀」がダブルミーニングじゃん!!!)のだ。原作なしでこの作劇だったら、確実に100点なんだけど、ね。
山田孝之の常識的な芝居は、むしろ色を出さないことに執着したかのよう。おかげで、後妻に収まる広末の自己主張しない演技も殺さないし、子どもたちのはっちゃけた天真爛漫な姿がより引き立つ。円熟味を増してき始めた山田氏の今後が非常に気になった作品だった。

2020.7.26 当たり3連発 「グランド・ジャーニー」鑑賞記

公開からこっち、口々に「いい」という評しか聞こえない、「アルプススタンドのはしの方」。
そんなことがあるかいな、と思いつつ、梅田ブルク7での2回を認める。ブルクでは、意外にも、シネ・リーブルで見るつもりだった「グランド・ジャーニー」も、「ステップ」もどちらもやっている。
そうと決まればこの3タイトル。グランド→ステップ→はしの方 とスケジューリングもできて、いざ劇場へ。

到着してみると、大きいお友達御用達的な、「劇場版 ひみつ×戦士 ファントミラージュ! 映画になってちょーだいします」が終わったところ。とは言っても見てもらうべき女児層の来訪も認められたのでほっとする。もちろん、見る気はありません(スケジュール上、この作品の朝イチ回は押さえられたのだが)w
ようやくのことで入場開始。7番は最上階なのだが、エスカレーターの長いこと。朝イチながらそこまで鑑賞しないかなと思いきや、カップル4組を含めて20人弱が鑑賞。平均は40代後半とした。

チラシとかを見ると、「少年が渡り鳥をうまく先導して、渡りを成功させる」という側面しか見当たらないし、「それを見させる」ことが第一義だから、どうしてもそれ以外のことはなおざりになっているんじゃないか、と思ってしまう。そうなった経緯とか、人間関係とかはどう描かれるのか?比重はどうか?その部分に期待半分でいたことは間違いない。
例えば、実の父親がいるのにもう一人の男性と関係を持つ母親。きっちり離婚しているわけではない、フランスらしい家庭事情がうかがえる。のちに息子ラブな母親に愛想をつかした形で男性は出ていってしまうのだが、このあたりの説明不足は、欧米人なら納得の一節なのだろう。
序盤で父親が公印を簡単に持ち出せてしまう、ざるな管理体制といい、渡りを始めるべく到着したノルウェーの司法当局の及び腰といい、見ていて、そんなに都合よくすべてがうまくまとまるんかいな?と思わずにはいられない。

だけれども、行きがかり上、息子・トマが群れを先導しなくてはならなくなった時、母の愛情はすべてに優先した。だから父親に毒づき、行方不明の息子の安否を気遣い、時に激しく動揺する。ひょんなことから動画が投稿されたことで居場所がわかった時の彼女の喜びようといったらない。
トマも、多くの人の手助けと、少しの悪事で持って、計画を完遂するわけだが、そこに主題はない。心が離れ離れになった一つの家族が、目標に向かって一致団結していき、絆を深めていく作品だった。

ツイッターのファーストインプレッションでは、94点とした。
トマの登場当初の顔つきと、エンディングの顔つきで、成長の度合いがうかがい知れる。彼は間違いなく、アッカをはじめとする雁たちの母親であった。湖面に浮かんで鳥たちと戯れたり、嵐ではぐれかかったアッカと再会したりするシーンは、否が応でも涙腺が反応してしまう。
何より、渡りを完遂した後の家族が抱き合うシーンも感動ものだ。「喜望峰の風にのせて」みたいな、タイトル詐欺にならなかっただけでも十分だったし、その後日談的な「ノルウェーに帰還する」渡りが人工的に成し遂げられた結末あればこそ、この作品は完成されたものになる。
群れの中に一羽だけ別の種類の雁を混ぜてあったのも、結果的に意図した方向に持っていけた。差別・区別に至らない(トマ自身は、アッカを溺愛していたようだが)人為的な渡りに別の種類の鳥の混入はむしろ好都合だっただろう。
正直ロードムービー的であり、「給油」「食料」という観点で見ると都合よく行きすぎたきらいはあるのだが、家族の再生の物語だから、そちらを詳しく描かなかったところに監督の矜持を感じ取った次第である。
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