多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

2020年09月

ヴァイオレットちゃんを考察する(2) 時折見せる「余白」の効果

何度も何度も見ていると、この映画では恐ろしいばかりの映像表現で迫る箇所があまりに多くて、全てを描き出しきれない。
中でも、クラウディアがギルベルトがいるであろう部屋をノックし、「開いてるよ」と声をかけた瞬間、背景が90度傾き、それが正常に戻るような演出をした。この一瞬だけとっても「ウワっっっ」と思わずにはいられない。

だが、こんなわかりやすい演出ばかりではない。
ヴァイオレットが、市長と会談する場面。海をバックに自己紹介、並びに「海の賛歌」に対する意見を述べる際には、中心に位置しているのに、次の瞬間、ヴァイオレットは右に一気によって、背景の海が主張するシーンになるのだ。
まだある。ギルベルトが代筆を頼まれる際には、今度は懇願している子どもは左隅に追いやられ、画面の大半は、田舎道だけが映されるシーンがある。これもスクリーンの大半が「余白」で埋められるシーンだ。

実は、この映像の意味がつかみかねている。
「余白」を演出することで何を表現しようとしているのかがわからないのだ。
「わからない」で終わらせるつもりはないが、今のところは私の知能では解明不可能である。

「ヴァイオレットちゃん」を考察する (1)わずか4年の出来事をどう見るか?

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の物語は、一応劇場版すなわち完結編の公開、ほぼすべての人が思い描いたであろうエンディングをもって大団円となった。
だからこそ、いろいろと考えさせられるところも出てくるのである。
特に彼女の年齢不詳ぶりは群を抜いている。

特に原作も、テレビ版のストーリーも何もかも知らない完全初見派がヴァイオレットの立ち居振る舞いを見たら、20歳過ぎの淑女を思い浮かべるだろう。ところが、彼女は、劇場版でのセリフにもあるように、18歳でCH郵便社を辞めている。
さあ。そうなると、テレビ版の13話分、外伝ではイザベラの家庭教師の3カ月→3年後のテイラーの来訪となり、いろいろとおかしな部分も出てくるのである。
そもそも、ヴァイオレットは4年の間に成長した、というような記述がほとんどない。戦争が終わる直前にギルベルトと逢い、兵器としては使えるはずの彼女がギルベルトのところに来てからの何か月かがわからない。そして、すでに3話あたりでヴァイオレットの成長は止まったように描かれている。時間経過にはそれほど気にかけている様子がないのだ。
だから、彼女のみた感じ、しかも淑女らしい立ち居振舞いが、「兵器」であり、無表情、物もそれほど知らない彼女には、相応の時間経たないと実現できないと思ってしまう。「え?18歳で辞めたってことは、あの風貌で14,5歳ってこと?しかもあそこまで成長できるものなのか?」となる。
もちろん、彼女の年齢は、ストーリーからするとそれほど大きな位置を占めるものではない。だが、彼女の設定だけが突出していることは違和感でしかない。

2020.9.27 もはや止められない。「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」 3回目鑑賞記

また、始まってしまった……
「一作品のことしか考えられない」病が……

「君の名は。」「天気の子」「若おかみは小学生!」「ヴァイオレットエヴァーガーデン外伝」「きみの声をとどけたい」……複数回、それも一般の人から見たら「アホちゃうか」といえる回数鑑賞させられる作品はそうそう出てこない。よくて年に一本程度だ。

そしてここまで、それほどどぎつく心に憑りつく作品は正直言って見なくて済んでいた。だが、やはり、この作品は何もかもが違っていた。
そこにあるのは、ヴァイオレットの持つ、いわば負の感情(表現できないだけで本来持っている人間の感情)があの瞬間に昇華し、逢うことによってすべてをまるくおさめる=彼女の「しあわせ」がようやく具現化することに涙するのである。追い求めていた彼に逢えて初めて、彼女の”心の旅”は完遂するのである。

3回目もOSシネマズ神戸ハーバーランドの朝イチ回。だが、観客の構成が初日とはうって変わった。
女性ペアの大量発生である。初日(ナイト回)はソロ男性だらけ/男女比も3:1くらいだったのが、男女比だけなら1:1にまで伸長したのだ。女性の観客を獲得し始めたのは大きい。確実に彼女たちは拡散してくれるからである。平均年齢も30代前半と、20代や10代後半客の比率の高さが平均年齢を押し下げている。

回数見るごとに、この作品の恐ろしいまでの表現方法の数々に見入る。開始一秒。振り子時計からクウォーツ時計に音を移行して表現することで、瞬時に時代を飛ばす。それだけではない。ラスト直前。同じ道を歩くヴァイオレットを映像(それを見ている観客)は上空から抜き去る。彼女が過去のものになったことの暗喩であると同時に「歩いていく」先のほの暗さとともに「何かがあるその先」を追い求める京アニの意志というものを感じ取る。燃えて一時は何もなくなったかに見えた会社は、それでも歩みを止めない、と読めるのだ。これが感動しないわけがなかろう。

3回は観た。だが、絶妙のタイミングで流れる「みちしるべ」の破壊力にしてやられている。
→公式pvはこちら。もちろん、現在の号泣ソングの筆頭だ。

テレビ版を見た時はそれほどでもなかったこの曲。この映画版でその真価が発揮された時にえも言われる感動と彼女のこれまでが一気にフラッシュバックする。この一瞬のために彼女は「あいしてる」を追い求めていたのだ。

もう一曲の「WILL」も名曲だ。朗々と歌える曲に出会えたので、これも十八番化決定である。
さて、久しぶりの「考察」案件なので、そろそろとこの作品も語っていくことにする。
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