多趣味・マツキヨの落書き帳

2013年(平成25年/皇紀2673年)1月、タイトル含めて大幅刷新いたしました。 現在、ダイエー店舗訪問記録/映画鑑賞記/即席麺試食記/ラーメン店訪問記がメイン記事となっております。画像/引用/リンク等は、ご随意に。

2020年11月

2020.11.28-29 東の聖地で見るキミコエ 「きみの声をとどけたい」15回目鑑賞記

こちらも、初見の鑑賞記を見ていただこう。
こちら。

「君の名は。」から始まった映画鑑賞という趣味は、レビューを書くということをも生み出した。とはいえ、文筆活動に断絶があった当時、相応の表現力の蓄積がなくなってしまっていた。なかなかに映画の全体像や言いたかったことの抽出、ストーリーに対する優劣や整合性の有無などをズバリ言い当てることはできないでいた時期でもある。

16タイトル目、という表記もあるのだが、この作品を知り、追いかけ、「やっているとなったら、交通費もいとわずはせ参じる」身体に、数年前の私ならなっていただろうか?

11人しか参集しない劇場の中に、やはりこの人……石川学氏の姿を確認する。
私が関西からやってくる時には、必ずといっていいほど彼の姿を見つけられるのだ。確かに自分が脚本を書いた作品だから、思い入れもひとしおなのはわかる。そうまでして追いかけるべき作品であることも理解できる。だが、他のスタッフたちはどうだろうか?
こんなことを言っては何だが、自分たちのデビューした映画にあまり注意を払っていない「NowOnAir」の6人には少しだけがっかりしている。そりゃ興行成績はキネマ旬報に無視されるくらいしかないし、だから「失敗作だ」と思っているのかもしれない。公開一年目の応援上映の寂しさがすべてを物語っている。
それでも、この作品は彼女たちの青春の一ページであり、私に推しを見出した貴重な作品であり、繋がりが大きく生まれた作品でもある。この作品にだけは、全身全霊をもって対峙しているのはそういう理由があるからだ。

「さよ朝」の大号泣大会のせいで、ところどころの泣きべそポイントはほぼスルーで過ごしてしまう。あのクライマックスシーンですら、前半まではスクリーンを正視できていた。だが、紫音の泣き顔と、泣きながら歌う声に一気に引き込まれてしまう。涙腺が思い出したかのように決壊するに至ったのだ。

「さよ朝」と「キミコエ」の入りの差は、明らかに知名度の差だ。だが、それでも名作だからかけ続けてくれるトリウッド。東の聖地で見る「キミコエ」は格別なものになった。

2020.11.28-29 「さよならの朝に約束の花をかざろう」 5回目鑑賞記

さよ朝こと、「さよならの朝に約束の花をかざろう」。この作品に最初に触れたのは、2018年の2月だった。
→大絶賛の初見鑑賞記はこちら。

折に触れ「どこかで公開している」となったら、はせ参じるくらいにこの作品のシンパではある。その大半を占めるのが、マキアを通り過ぎていく幾人もの人たちの想いをどこまで彼女が受け止められたのか、というところである。

死なない部族であるイオルフ。彼らが死ぬとすれば、ケガなどでの外傷が起因のものと考えることができるのだが、マキアは、生まれ故郷の惨状に未来をはかなんで自死しようとしていたのだ。自殺自体をあの一族が忌避していたとは思えないが、それでも後のエリアルの泣き声に踏みとどまり、彼を育てるべく、骸になった生みの親から引きはがすシーンは、この作品の持つ重さを十二分に表してくれている。
幼少期の名シーンは、なんといっても、「私、泣かないね」「僕が母さんを護るっ」という雨に打たれてお互い誓い合うシーンだ。青年期は同い年になりつつある二人の関係が微妙になるのは仕方ないし、さらに進んでいけば、母親という存在に思えなくなっていって当然である。
そしてクライマックス。ここは川井憲次の音楽が感情のすべてを持っていってしまう。生と死には「血」がつきものである、という大テーマがこんな風に表現されたら、滂沱の涙をダラダラと流し続けるしかない。

そして死に別れるマキアとエリアル。ラストのマキアの大号泣は、いくら泣くなといわれても私も泣かずにはいられない。一斉に湧き上がるたんぽぽの綿毛が美麗すぎる。
「ウィアートル」の染み入り具合は本当にすごい。rionosさんは、他にも劇伴を担当されたりもしているが、このテーマソングだけは、歌い続けていきたいと思う。

25人余りが参集した「さよ朝」。やはり、名作は人を呼ぶのだ、と改めて感じた。

2020.11.28-29 GoToキャンペーン初利用(6) トリウッドで三連発 「泣きたい私は猫をかぶる」鑑賞記

AFS相模原を終わらせれば、もはや向かうはトリウッドだけ。相模原→町田から、小田急線で下北沢に向かう。
小田急の町田駅で、2時間ぶりにキッチンDIVEの弁当にあり付く。移動で中身はやや動きまくっていたが、汁やソースは漏れない構造の、結構経費のかかっている容器にまず感動した。
選んだのは、やや大きめのハンバーグ+メンチカツ+唐揚げ1個の乗った300円(税別)弁当。野菜など副菜は望むべくもないが、ボリュームだけを考えるなら、この価格で提供できることに感動を禁じえない。
買いたかったカレーに付いてもDMでのやり取りは、誠実そのもの。まあ、そうであるべきだから、また行きたくもなるってなもんである。

トリウッドには当初予定通り、12時過ぎに到着。オープンしようとしているタイミングでの来訪となった。
間に合ったからには、ということで「泣きたい私は猫をかぶる」も見ることにする。

NETFLIX向け作品ということで、スクリーンで見られないのではないか、と思っていたのだが、一部の劇場が上映に動いてくれたおかげで劇場で見られることは何物にも代えがたい。女性ソロ1名、男性ソロ4名、カップル3組。ぎりぎり一桁は免れたようだ。
中学生の恋愛のこじれで、「猫になって好きな人の元に」なんていう、ファンタジー満載の方向からしか描かない作品かな、と思いきや、再婚問題や男子生徒がわの実家の問題、「実は」という意外な人物(猫)の登場など、とにかく材料はてんこ盛り。これでもか、という盛り込み具合が、全てプラスに振れているわけではなく、前に進んでいるようで何かを取りこぼしたような、しっくりしない作劇を見せられる。
中盤から後半にかけては、元に戻すためのシークエンスが大半を占めるから、テンポもよくようやく話のスピードも乗ってくる。だが、それでも苦しい設定とかにとらわれてしまう。日の出君の腕だけ猫化とか、お面屋の悪に徹せない部分とか、本来欲しい説明がない。問題点だらけと言わざるを得ない。
それでも「ペンギン・ハイウェイ」を作ったスタジオ。映像部分は、十分鑑賞に耐える(超絶美麗ではない)。ということで90点まで、とする。
「猫をかぶる」と、猫の面をかぶることをかけた設定は、なかなかいい着眼点だと思うし、自分を見せなくしようとした猫化と、素直になれない人たちの群像劇は悪くないのだが、一本の映画にまとめるのは無理があったかな、と思う。
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