大好評だったと思われる「半沢直樹」の最終回を何度となく録画したものを再生している。

主演の半沢が見せる、攻撃的な上目遣いの顔立ちは「倍返しだ」の名せりふと共に、いまや一部のアイコンとまで化している。
基本的に悪役、というか、半沢に敵対する勢力のことごとくが悪役化してしまっている。逆に半沢側についている人間は、家族は勿論、同僚であっても「虫も殺さないような」人間として描かれている。
その一方で、立ち回りを演じるときの半沢、そして敵対する勢力側は、まさに丁々発止の弁論を繰り広げる。どちらが善でどちらが悪か・・・。視聴者は、そのせめぎあいにわくわくするものを待ち、見事半沢が論破してやんやの喝采を浴びせるのである。

特に最終話。この半沢VS大和田常務の芝居は、はっきり言ってドラマ史上に残る名勝負と評されることはまちがいない。下っ端の一サラリーマンが、上層部の人間に土下座をさせる。確かに恨という感情も発露していたとはいえ、ここまでのことをさせてしまう・・・(まあ、普通だったら、誰かが止めますわね。たとえ大和田が特別背任に等しい行為をして半沢に暴かれたとは言っても、常務取締役の地位はあの時点でも健在だったわけであり、頭取にたしなめられてもやめなかったあたりに、半沢と自分は相容れないとする頭取の判断が働いた可能性もあるだけに、ラストの導出にも結びついたといえなくもない)
だから、すごいのだとは思えるのだが、こういった大仰な芝居をしている両名を見て、又、その「顔芸」を見ていてはっと気が付いた。

  ・・・「半沢直樹」って、現在によみがえった歌舞伎なのではないか、と。

実際、敵役だった香川照之は、知る人ぞ知る歌舞伎役者でもある(最近襲名したばかりではあるが、市川中車をも名乗る)。
あの狼狽する演技、半沢に追い詰められどんどん自我が崩壊していく様。自分はしたくないのに腰が、脚が、土下座をさせる方向に向かっていくあの過程・・・。一世一代の大立ち回りだといっても過言ではない。

勿論、泣きながら、感情を爆発させる堺雅人演じる半沢も当然負けてはいない。とはいえ、あの場面、土下座をしてしまったことでストーリー上は大和田の敗北、「判定負け」が確定したものの、演技としては、十分に勝利していた。その姿を見て、何の慰めも、分かち合おうとするそぶりも見せず会場を後にした半沢のスルー振りがすべてを得てしまったことで自分を見失う結果になったと思っている。

ガラッと人格的にも変わっていく堺の演じた半沢。ストーリーの荒唐無稽振りにこの人のエキセントリックな演技があればこそヒットしたものであることはいまさら私が言うまでもない。ただ感情を表にだし、分かりやすく記号化することで、善か悪かを見極めることは、いわば「隈取」によって善悪をはっきりさせる歌舞伎とまったく同じなのである。
時代劇では「悪役俳優」がその役割を担って来ていたが、現代劇ドラマでは、固定観念による善玉/悪玉の区別は付きにくくしてある。頭取役でもあった北大路欣也が実は相当の悪であることが最終回で分かるというのも、意外などんでん返しでもある。

ヒットの要因はもっと他にもあるだろうが、半沢が「歌舞伎スタイル」でヒットしたことは、今後、いろいろなところで言われると思う。
素人判断ですが、この論調、意外と正鵠を得ていると思うんですが、どうでっしゃろ?