なんでも「あまちゃんロストシンドローム」なる現象がここ最近取りざたされている。
スポーツ報知の記事にもある<リンクはbiglobeより>

今までの朝の連続テレビ小説において、「終わってしまわないで〜〜〜」と視聴者が懇願する作品は、私の知る限り存在しない。逆に「こんなクソぬるい原作ならとっとと打ち切ってしまえ」という声のほうを聞いたことがあるくらいである。

そのあまちゃんも残すところ後3回。水曜日の放送では、とんでもない音痴扱いされていた鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)が『何十回に一度の』思いもよらない歌声を披露し、さらに、死をイメージする楽曲を上手くアレンジすることまで成し遂げる奇跡を披露。当方も思わずうなった(実際のところ、「本当は歌えていたのではないか」疑惑も浮上したが<木曜放送分にて暴露>、真相は闇の中である)。

最終週に華やかなイベントで盛り上げつつ、大団円を迎えようとしているあまちゃん。しかし、ご承知の通り、前作「純と愛」では、本当にどんよりとした雰囲気しか漂っていない最終週であった。

開業直前のホテルは台風の直撃を受け、見るも無残な状態に。それでも開業祝に、と元ホテルの社長や大阪の安宿の関係者などが激励に訪れる。しかし、そういった心のこもったお祝いにも素直に応じられない純。勿論愛は寝たきり/意識不明のまま。周りでは結婚話や復縁などが取りざたされるが、純の中に祝福という感情は一向にわいてこない。それでも、認知症を患っている母親の一言でスイッチが入り、再起を誓って・・・終了、なのである。

「梅ちゃん」からこっち、朝ドラにははまってしまったほうだがこの2作品は、どちらもドラマだと思っている。そして正直、「純と愛」はよりドラマ的であるがゆえに、もう少しいい終わり方があってもよかったのではないか、とさえ思っていた(愛の意識レベルがもうちょっと上がってくれただけでも次に繋がっただろうし、もっと言えば最終回でそれを提示しなくてもよかったように思う)。
ところがあまちゃんでは、今までの伏線や歴史をことごとく回収している。忠兵衛の登場と退場にも理由があるし、大吉と安部の復縁も、又、春子と正宗も元の鞘に収まり(この事象は最終週ではないが)、なんといっても、ユイが「潮騒のメモリーズ」として活動を再開するなど、プラスのことしか提示されていない。

実は、宮藤官九郎氏があえて「純と愛」を逆オマージュしたのではないか、とかんぐってしまうのである。純と愛では台風による破壊で立ち直れなくなったものの、復活を心に誓ったところでエンドマークを迎えたわけだが「それは皆さんの心の中でネ♪」と視聴者に預けてしまう手法をとった。ところがあまちゃんでは、津波に襲われ、復活など程遠い「海女cafe」を、地元の力で復活させ、大女優の来訪というバックアップこそあれ、人まで呼んでしまう。しかも大盛況。真逆という言葉がこれほどぴったりはまる最終週比較もないものである。

こんなに楽しい、わくわくする展開が、最終週にもある。そりゃ、見続けている人が「あまロス」になるのは致し方ないって感じでしょうか・・・。