正直言って、今回の「美味しんぼ」の、過激表現案件は、一漫画原作者が、義憤に駆られてしでかした、ミスリード的な内容になってしまっていることは、普通の日本人なら気づきそうなものである。

そもそも、私が前回指摘したように、「大手のマスコミも知らないような情報をこのひとだけが知っている」と言うトンデモ事実、元町長の「みんな言わないだけです」と言うせりふを県民総出で否定する有様(同調する意見が全く聞こえてこないのはどういうわけなのだろうか・・・)を見るにつけ、完全に福島を悪者にしようとしていることがうかがえる。

くどいようだが、福島県と福島県民は「被害者」である。また、瓦礫を焼却した大阪府ははっきり行って協力者でもあるはずなのに、被曝したと喧伝される有様である(しかも、岩手の宮古ででてしまった瓦礫であり、汚染の度合いはとんでもなく低いはず)。
そして、鼻血の原因を放射線被曝と結論付ける描写も前回号では描かれており、最終的に福島に人は住めない、とする結論を海原雄山がつぶやくラストで締められている。

そして、この記事を書いた人も気づいていたのだが、「この作品はフィクションです」と言うキャンプションが見当たらないのである。
→今回の記事起こしに利用した内容はこちら
こうなってくると、原作者が勝手に思い描いた(一方的な反・原発派やそういうイデオロギーに染まっている人にしか取材していない点や、一般市井からの意見や取材が全くないという、新聞記者にあるまじき取材姿勢)事実であってもなくても、糾弾されることは分かっていながら描かざるを得ない状況に追い込まれていた、と見るのが正しい判断だと思う。それは、あえて火中の栗を拾おうとした原作者の捨て身の取材・・・とは言っても、原作者自身が思い描く内容を補完する「お仲間」からの意見の聴取で済ませていることからも明らか・・・からもうかがい知れる。→漫画に登場する実在の人物の主義主張に関しては、おなじみ、coffee氏のブログに詳しい。

なぜ、こういう事態に陥ってしまったのか・・・。まあ、どちらか一方に偏った内容にしないと、問題は書ききれない、(仕方無しに)反原発に軸足を置いて書いたことは理解できる。ただ、前回も当方は書いたのだが、あえて今、福島の(虚偽の/一面的な)真実を書くことに原作者として凄いメリットでもあるのか・・・。こうなることが分かっていて、「鼻血ごときでとやかく言うやつは更なる展開に発狂する」などと言う、挑発めいた内容のブログをしたためて、国民から快哉の声が上がるとでも思っていたのだろうか・・・。

福島のみならず、大阪まで騒動に巻き込む、新しい「延焼商法」。実際、スピリッツはばか売れらしい。こんなやり方でしか読者を獲得できなくなってしまったのでは、廃刊せよ、なんて声が上がってきても擁護できない。そもそも、この題材をテーマにすえること自体、問題視していない発売元(小学館)も一種「グル」であるとするのは言い過ぎとはいえまい。売れればどんな内容でもいいのか?この内容が真実でなかったとき、どう落とし前をつけるつもりなのか・・・。

福島県民から集団訴訟でも起こされて、「それでも俺が調べたのは真実だ」と、ガリレオよろしく、法廷でつぶやく原作者の姿が思い浮かぶ。