今日・8月6日は今年で69回目となる原爆忌の日でもある。世界で初めて原子爆弾の”実験場”にされた広島の人たちの無念さを思うとき、鬼畜米英、とまで言わなくても、戦争というものはこういう無意味な、そしてむごいことでも平気で出来てしまう精神構造にさせられるのだと感じずにはいられない。

その一日前に恐らく、天地がひっくり返ってしまうような告白をあの大新聞社が紙面で暴露、蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。
内容は、みなさんご存知の「従軍慰安婦がらみ」のもの。一人の証人の著作物をノンフィクションと断定し、裏どりも行わないまま、強制連行という文字が独り歩きし、それが積もり積もって「20万人もの慰安婦が強制連行」という、伝言ゲームもびっくりの変遷を経てしまったわけだが、その入り口にあたる資料がフィクションであり、でたらめであったことをこの期に及んで訂正したというのである。

もうすでに皆さんの方が情報を得ているので詳しくは書かない。
しかし、私が問いたいのは「なぜこのタイミングなのか」ということである。吉田清治というただのフィクション作家の言をまともに受け入れ、それがあたかも史実であったかのように書き綴ってきた新聞社。もちろん、これを真に受けている人たちだっていたことだろう。しかし、「間違ってました」ということを最初から…少なくとも、いろいろな検証書籍が出始めた20年ほど前から、この内容がでたらめであることに気が付いていたと考える方が妥当である。
要するに「謝罪するには遅きに失している」し、せっかく30年以上も嘘をつき通してきたのだから、廃刊するまでウソを守り続けていればよかったものを、どうして今年に「間違ってました、テヘペロ」なのかがわからないのである。

「過ちては即ち改むるに憚ること勿れ」は、論語にも記されている名文である。それができずに、今まで偉そうに政府批判をしてきた左傾新聞社の、思いもよらぬ”白旗”に、これには絶対裏が、罠がある、と思わずにはいられない。