いよいよ、九州/北海道の分離に続き、関東・近畿の主要29店舗を手放す瞬間が刻一刻と近づきつつある。

もし創業者の中内功氏(功の正確な漢字は力の部分が刀/以下CEO)がご存命であったのなら、自らの作った企業が切り刻まれる姿を正気で見守れているのか…。私がCEOの立場なら、そうなる前に手を打っていただろうし、そもそも94年の大合併は、行っていなかったと考えている。

ただ、歴史にタラレバはない。当時のCEOの考え方は「規模を大きくしていかないと=止まってしまったら企業が死ぬ」という規模重視と、本業に結びつくものなら何でも手を出していた異業種への拡大路線で回そうとしていた。しかし、結果的にシナジー効果を生み出す前にすべてがとん挫したことが"ダイエー消滅"の第一歩である。

このインタビューのあと数年を経ずして、産業再生機構入り=会社として倒産しなかっただけまし、という屈辱を味わうことになるのだが、98年当時のCEOの言葉には、一応"力"は感じられる。ただ、当然のことながら、聞き手の絶妙な突っ込みに防戦一方になる場面もあり、わずか3ページながら、読み砕いていくと非常に面白く感じている。

すべてを掲載するわけにはいかないので、気になったCEOの回答部分を書き出してみる。『』内は記事よりの抜粋である。

『我々が考えた「商業の工業化」とは、チェーンストアそれ自体を、百貨店や老舗とは違ったインダストリーとして追及することです。チェーンストアの最終目的は(中略)自社製品であるPB、SBを作って、それを売ることにあるのです。』

この発言の根底にあるのは、「うちの(チェーン)店でしかないものを売る」ということを言っているのであり、まさに第2次「Savings」が勢いを増しつつある時代のことである。メーカー品と違い、常に売り出し的な価格で店頭におけるPBの役割を、CEOが認識していたからこその発言である。くしくも、親会社になっているイオンは、店内ほぼ全カテゴリーでPBがかなりの棚を占めている。CEOをあえて擁護するなら、自身のなしえなかった"偉業"は、親会社が粛々と実現しているということである。

『我々は現金で売って現金で支払う現金主義を取り、企業間信用を一切利用していない。手形は一枚も切っていません。』

ほほぉ、と納得する発言である。そう。不渡りを出せばあっという間に企業は頓挫する。今までの土地本位主義が生み出してきていた、担保価値の上昇が、手形を不必要にさせていたというところは興味深い。事実、確かに借金はあったが、それなりの入りの部分もあった。会社が産業再生機構に入っての再建という選択肢を選んだのは、銀行側に「(回収できる方を)選ばされた」結果と今から思えば、あの時、強行に打って出た銀行サイドの思惑も透けて見える。

スクラップアンドビルドに関しては、
『むこう三,四年で五十店舗ほどの閉鎖を考えており、すでに三十店ほど閉鎖した。』
『我々としてはハイパーマートを二一世紀の業態として考えていきたい。』

・・・ここは残念ながら、CEOの見込み違いになってしまった部分である。確かに二十一世紀をにらんだ業態ではあったし、現に「ラ・ムー」や「ディオ」などを展開する大黒天物産の店舗は、往年のダイエーのハイパーをほうふつとさせるもの。だが、ここに大きな差が存在する。安く売る店舗にお金をかけてしまったのがダイエーである。いくつかラ・ムーにも買い物に立ち寄ってみたが、その安普請ぶりには驚かされる。「だから一気の多店舗展開も可能だったのか…」と気が付くわけだが、どうも「箱から入っていく」思想がCEOにはあったのかもしれない。ちなんでおくと、意外にも、ハイパー店舗で作られ閉鎖した後に、同業他社が入っていく例が結構ある。それだけ、「つぶさずに使える」、いわば城を他社に与えたわけだから、体力が落ちて行って当然である。

というわけで、ほぼ1.5ページ強を読み進めてきたわけだが、次回で最終回としたい。