ようやくの最終回を迎えた。

というわけで前回の続きである。

記事が出てきた99年3月…雑誌なので取材完了は99年1月前後とみられる…当時、会社としてのダイエーは、まだまだ往年の輝きを維持していた。
株価でたどろうと思ったが、さすがにWEB上でも存在していない。ヤフーの10年足で、何とか2006年の価格が2000円台あたりまで行っていたことが確認できたくらいである。とはいえ、これは、産業再生機構入りがなり、いわゆる99%減資という"措置"後の話。古新聞でも捕まえて市場を確認しないことには始まらないといえるだろう。

では、記事の後半の中内CEOの発言を紐解いてみる。

『しかし、現在の会社の状況では、「ここで社長を交代したらどうか」という意見は社内から出てきにくいでしょう。』

会社の世代交代を促されての回答でもある。この当時、CEOはまだ76歳。もっとも、会社として斜陽を迎えている時期でもあり、この2年後にすべての役職から退いている。それどころか、記事が出た2月時点で、会長職に退いている(99年1月20に異動発表。副社長だった鳥羽氏が社長に)。産業再生機構入りしたのが2004年と、まさに坂道を転がり落ちるような状況下にあっても、未来を信じて疑わなかったといえるインタビューであり、このときに社長を退くことは想定していなかったのではないか、と思われる。時系列で物事を見ると非常に面白い考察もできるということだ。

記事の最後を締めくくったのは

     『もう心配はご無用です。』

いやいや、94年の4社合併時点で将来を危惧していた、一部識者や当方もいるんですけどねwwリストラもS&Bも全て後手後手。進取の気性があった会社やCEOのセンスとは真逆の経営スタイル。お金が回らなくなることを一切想定していなかったことは、CEO一生の不覚でもあろう。だから「(手は打ったから)心配はご無用」…。

この一言が今となってはむなしく聞こえる。2016年2月に、本当にこの店舗を作ったことを誇りに思っていたであろう、碑文谷(0284)をはじめ、名だたる旗艦店がイオンリテールに譲渡されてしまう。
それでも「心配するな」と言いきれたかどうか…。中内シンパは、もはや社内にはほとんどいないと目されるが、彼亡き10年は、ダイエーがダイエーで無くなった10年といえなくもない。

雑誌の大見出しを覆っている「ダイエーの出直し」。出直しとは、一からの再スタートを意味すると思うのだが、巨額赤字からの再スタートは、結果的に、グループ企業の切り売りと、本体のイオンによる買収で結了した感がある。
この記事が出た99年当時、ダイエーが株式市場からも、そして屋号自体も消える想定というものはどこにも感じられない。それどころか、「再生するに違いない」という思い込みすら感じられる。その根底にあるのは、悲壮感のないCEOの物言いに起因するのではないか、とさえ思う。

偉人とまで持ち上げる気はないがカリスマ性は、CEO以外、ほかの流通業界のトップリーダーにはない。過去記事は、ある意味、未来を想定できないからこそ、解析が面白かったりもするのである。