オープニングから、壮絶美しい映像で幕あける。
日本のアニメーションの粋を集めた、と言いたくなる、彗星の落下画面。だが、これこそが、すべての始まりである。

このままあらすじを書いてしまいそうになるので、導入部だけに止めておく。
それでは、どうだったのか?











参りました……………………………






50の大台が目前の小生にとって、青春群像劇は正直かったるいかな、と思っていた。男女が入れ替わる、なんていうのも、ドラマの常套手段(今作の様に頻繁に入れ替わる、というのはなかったですがね)。どこで感動しろっていうんだい…

斜に構えていた小生は、前半のエンジンが温まっていく感じをふつふつと感じながら、そこで一気に"あの!!"名曲…もう、あのグループさんは、この作品に足を向けて寝られない、どころか、崇め奉らないといけないでしょうな…で畳みかける。この序盤から中盤に至る構成の良さには度肝を抜かれた。

中盤は、衝撃の事実を知った瀧が起こす行動によって、徐々に周囲が変わっていく、という経過を見せていく。そして、授業で、組紐作りで、ご神体訪問で張り巡らせた伏線をことごとく回収/発展させていく。
そもそも映画タイトルと「たそがれ時」まで絡めてくるとはだれがいったい予想しただろうか!!
監督がこの言葉に魅入られて作ったことがありありとわかるわけだ。日本語の表現力の豊かさをアニメーションにしてしまう。まさにザ・日本のコンビネーションが決まった瞬間でもある。

後半は、ちょっとあり得ない"歴史改変"が肝となっているわけだが、それは正直そのあとに起こりえるラストシーン導出のための舞台装置にすぎない。今作の最大の見どころは、後半30分のうちの5分程度…クレーターの上での二人の会話に集約されているとみている。

いつもなら、当方は、あらすじも書きながら、評することが多いのだが、実は、あらすじを書いて行ってしまうと、矛盾する点がいろいろ出てくるところに気が付いた。特に時系列がかなり混濁し始める中盤以降は、変に確定事項かのように書いてしまうと、あれ?と首をかしげるところが出てくるのだ。
もちろんストーリーが破たんしているわけでもなく、むしろしっかりと練られている。だからこそ、一回の視聴で何もかも分かったかのようにあらすじを書いたりはできない、というところがある。

ラストシーンの芳醇な味わい。そこに至るまでの少しニュートラルにしたかのような日常が、いいアクセントになっている。並走する電車の扉にお互いを認め合うシーンは秀逸である。


今までの新海作品も見直されることは必至、とみられるわけだが、言っておくが、某局の様に露払い的に監督作品をテレビで流したりはしなかった。な・の・に、数タイトルのジブリ作品をも抜き去る興行成績。所詮は作品力であり、監督のネームバリューではない、ということが証明されたといってもいい。

かくして、ポスト・ジブリの一角がここに姿を現した。夏のアニメ対決ということで「聲の形」の今後の売れ行きも注目と言ったところだが、忘れてはいけない、「棒読み声優」でもある監督氏もこの作品のヒットでいいモチベーションを持てるのではないだろうか?
最後に。いつも映画評の〆は採点をしているわけだが、「顧客満足度99.8%」という、入り口のポスターに触発されて、当方は、99点をつけたいと思う。映像作品としては、透明感のある、それでいて、再現度の高さを引っ提げているところが評価できるし、ドラマとしても、きっちりすべての伏線を回収できていること、思いはかなうということを具現化できていることなど、減点部分が一切ないといっても過言ではないからだ。なにより、レビュー人生も長いが、「もう一度見てみたい」とこれほどまでに突き動かされた作品はこれが初めてである。
当方の永遠の一位でもある「火垂るの墓」を脅かす、唯一の存在がようやくここに誕生した。