映画鑑賞を終えて、ほぼ4日が経つ。
しかもその間に、一つのビッグイベントを終わらせている当方としては、むしろ、そちらに心奪われていてもおかしくない。

ところが、である。
10/3・4・5…と日が経つにつれて、当方の「これはなぜだろう」「もしかすると」などと言う違和感や、素直に表現できない何かがずぅぅぅぅぅっと心に取りついてしまっているのだった。

ここで吐き出すことで「整理」ができるとも考えているのだが、そのための材料として、世のレビュアー諸氏が書いている記事をいろいろ参考にさせてもらった。
さて、当方は、伏線としての「和歌の存在」をすでに挙げている。それは正解だったわけだが、それはさらに恐ろしいまでのパッと見、には思いもつかないような伏線まで仕込んであった。
→ここまで考えていたと思われるので、監督・新海氏の微に入り細に渡る演出ぶりには驚く。まとめNAVERより

もちろん、それ以外のなんのことはない仕掛けもそうである。
ただ、ここで重要視しないといけない点は、「3年のタイムラグをどう評価するか」という点である。
すべてにおいて、この3年という問題が出てくる。精神だけが入れ替わり、記憶をなくする、という設定も、はじめは時間軸がずれていないかのように"誤認"させる仕掛けが施してあり、おかげで、あの彗星の落下した日付以降の連絡ができなくなるという事態が起こる。しかもある時間軸では三葉は死去している…タイムリーブがあるという設定になってしまっている以上、本来の「災害が起こった」ということ以外を改変することができるのかどうか、が肝になっている。

この作品は確かに「すべてが丸く収まっている」ように感じるわけだが、そこにはいい意味での強引さ、悪くとらえればご都合主義が蔓延しているようにも思える。大災害は起こっていた。そして<本来であれば>主人公の「カタワレ」は死んでいたのである。
歴史を作り替える部分の描写は、正直、そういった「こまけぇことはいいんだよ」とばかりな、スピーディーさでもって場面を展開させる。それは、導入部から中盤に至るまで、ほぼ観客に思考させなかった矢継ぎ早の展開とよく似ている。その疾走感と、本当に「生き残れるのか」というドキドキ感がまさにこの映画の肝であり、読了感が半端ないところなのだと思う。

そして物語はオープニングで見せた、超絶綺麗な彗星の落下シーンにもどってくる。これが何を意味するのか、当時の瀧少年(中学生であることに注意!!)は知る由もなかった。そ・こ・に気が付くことができれば、このストーリーは、手中に納まったも同然だといえる。

実はこの「3年」に主人公たちが気が付いていないことを公開当初に問題点として挙げていたブロカーの方もいる(そう!それは曜日だ!!マウスで反転したところをお読みください。)。
名作ではあるが、突っ込みどころも満載。だが、そこまでのことに思い至らなくさせる監督のうまさがそこにある。そしてモヤモヤを解消しにもう一度スクリーンに……!!!!!

これが観客動員がいまだに衰えず、このままいけばポニョ越えもあり得るくらいの興行収入を上げられる理由でもある。→ついに動員は1000万人級に。
リピーターを作る作品を世に送り出す。2000万人超が見た大ヒット作「千と千尋の神隠し」も、この手の作品だったといえる。当方はあまりいい評価は下していないのだが、一回目に見た後のもやもや感と、そこにどう自身で落とし前をつけられるのかどうか、もう一度見るに値するかどうか…
千と千尋では思い至らなかった「2度目視聴」。この作品に関して言えば、「是非とも」と感じてはいる。それは理解度が高まるのと同時に、どちらかサイドで物語を追いかけたいと思っているからでもある。
3年のタイムラグ、なぜ憑依できたのが瀧だったのか…まだまだ疑問は尽きないし、これからもいろいろと問題提議が起こり、さらに回答が繰り返されていくことだろう。
それだけ"問題作"でもあり、ヒットできる要因があったということだ。
目指すは、「打倒・千と千尋」。いや、このままいけば、その荒唐無稽な"目標"も達成されるかもしれない。