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ほぼ50年という長きにわたり生きてきている当方だが、一番関わりを持ち続けているのが、正社員で入ってもいないダイエーという現実がある。
大学時代は、ちょうど体を鍛える部分もあって、当時の神戸流通センターで、荷物の仕分け作業を行っていた。小分けの検品ではなく、トラックから、ソーターと呼ばれる仕分け機で分けられる、滑り台から落ちてくる段ボールを受け取り、所定の場所に運ぶという単純作業を繰り返していた。
仕分け機スタイルで流れるのは、壊れ物以外。特に「混載」と呼ばれる行き先がごちゃ混ぜになっているばら積みのトラックから、延々段ボールが流れてくる。衣料品であれば、結構ぎっしり詰まっているものもあり、それを素早く投げるように台車に搭載する連係プレーでさばいていく。ほぼ25年ほど前の仕分けの現場である。
そして、大学生活が5年目に突入。ようやく就職が目の前に至った時に、店舗での販売に目が向いた。そこで当方が指名したのは、またしてもダイエーの店舗、それも、新店でもある出屋敷店(0407/閉鎖)であった。このクラスの店舗ですら、家電の取り扱いがあった=フルラインの品ぞろえをまだまだ諦めていなかったわけだが、当方は、家電系のメーカーに勤めたかったこともあり、ここで知識を蓄えたかったのだが…
配属はなんと出納包装課。小難しい呼び名だが、「レジ係」である。正直当初はかなりへこんだのを覚えている。それでも、まだ当時はCEOがご存命のころ。ダイエーシンパになりつつあった当時としては、「まあ、働けるだけましか」程度でオープンを迎えた。
ところが、このレジ打ちの仕事が、私にとっては一種の「天職か」と思ってしまった時期もあるくらい、面白くなってしまったのである。同期の間で「時速何人」、つまり一時間の間に何人レジを通過できるか、を競うことなどをやったりして、スピードアップ、そして過不足(誤差ですね)を出さない確実な操作をやり続けていた。

就職先は、川崎市。寮は横浜市の緑区にあった。たまの買い物に出かけるのも、バスで一本で出て行ける横浜のダイエー一本やりだった。そこで「店長直行便」という意見具申の場をたびたび活用することで、当方に興味を持っていただいた当時の支配人と、懇意に営業中も話すことなどをしていた。そうこうするうちに、はしゃぎ過ぎた社会人一年生の懐がピンチに。「土日だけですけどレジっていけますか?」と窮状を訴えると、意外にもすんなりオッケー。そして、またしても土日だけとはいえレジ打ちができる環境を整えてしまったのである。

実は、いまだに心をとらえて離さないのが、ここ横浜西口店(0239)である。今までレジ担当としてやってきたのは、勤務店4店舗/応援数か所に及ぶが、お客さんの質が良かったのも幸いしているのかもしれないが、ここでの様々な出会いがいまだにダイエーという企業につかず離れずいる理由と言っても過言ではない。
横浜西口


店舗コードが指し示すように、黎明期に近い店舗である(オープンは1972年4月5日。ちなみに旧サンコーの店舗の譲り受けであるらしい)。それでもいまだに存在し続けているのは奇跡でもある。
その理由は、2011.3.11に起こった東日本大震災である。
→Youtubeに映像あり!! ここまでとは…


マンションの下層階が店舗(食料品メイン)であり、こここそ、当方の"主戦場"でもあった。崩壊に至らなかったことを素直に喜びたいところである。
→2015.7 の店舗訪問記録記事から。