ダイエーという企業が、一時期、全国に名をとどろかせ、また、一種の競争原理にとらわれつつも伸びてきた一つの原動力は、他社を圧倒するという物量/価格作戦でもあった。
○○戦争、という表現が用いられる、流通業者同士のせめぎ合いに、必ずと言っていいほど名前を出してくるのがダイエーであった。
そして、その端緒、と言ってもいいのが、ここ住吉駅界隈で繰り広げられた「住吉戦争」でもある。
当時は、住吉駅自体は神戸市内にありながら、ローカル色も甚だしい、もっさりとした雰囲気であり、今でこそ橋上駅舎でかっこいいが、昔ながら、という言葉がふさわしいたたずまいだった。

現在の店舗位置(駅ビル内のシーア)とは違い、当時は、灘神戸生協の本部兼店舗は、駅の北側に存在していた。
そして国道2号線を下ること2分余り。1967年に初代住吉店(0057)がオープン(4/27)。当時の生協の店舗規模の1.7倍の規模だったというのだが、私自身は、この当時の住吉戦争の概要はよくは知らない。→当事者のプロパガンダ臭漂う記事もあるにはあるが、実際、住み分けできていたことは間違いない。むしろ、円単位の攻防を繰り広げた赤羽戦争の方が流通史には残っているだろう。

1995年の阪神淡路大震災で建物が倒壊した住吉店。結局再建はしたものの、簡易なプレパブ的な構造物であり、再建を急いだ感がありありと見て取れる。しかし、95年内に再開できているというのだから、驚く。

黎明期を支え、少なからぬ貢献をしたこのお店も、結果的にその命脈を断たれることになったわけで、感慨深いものがある。

1/31当日は、16時20分過ぎに入店。2時間以上滞在することになったわけだが、その途上で様々な発見にただ驚く。
まずは向かいの道路から店舗全景。
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荷受場/受け渡し。
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同所を違う角度から。
住吉_03


そして、恐らく、当方でないと気が付かない、あるものを見つけてしまったのだ…
それがこちら(いつもより大きく表示させていただいておりますww)。
住吉_04

そう。境界標識である。これがある、しかも2代目ロゴであるわけだが、もしかすると、1967年当時にも一代目ロゴで同様の標識を埋め込んでいたのではないか、と推察する。そしてこれがある、ということは、「この土地はダイエー所有のものである」ということがはっきりとわかる。
そして何とはなく、「今この時期に閉鎖しよう」と思い立った理由が見えてくる。土地価格の緩やかな上昇と、いつまでも仮設店舗でやっていても仕方ない、しかも県内有数の土地価格高額地区でもある場所なだけに高度利用した方が地権者としてもやっていけると判断したからではないか、と思うのだ。
土地は売ってしまえば終わりである。おそらく、売らずにマンション系に建て替えるのでは、と思ったりもしているのだが、仮に売り飛ばしても、それ相応の価格は手に入る。安普請でそれほど赤字でもなかったはずの店舗なので、土地は持ったままで建て替え、が濃厚である。
さあ。こんなものを見つけてしまったからたまらない。一周回るたびに見つかるわ見つかるわ。唯一2番が見つからなかったのだが、これは受け渡し近くの鉄板の下に存在しているのでは、と思っている。
意味ありげな石垣の存在。モニュメント的に残していると考える方が妥当かと思うのだが、どうしてここだけ石垣が残っているのか、謎である。
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店舗全景を収めた側から見て南側/スロープサイドから全景を押さえる。
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