別の記事でも書いていることだが、いままで、映画を見て泣いてしまったことなど、この作品を見るまでただの一度もなかった。
作品の全体像やシーンの演出、セリフ、おおお、と思わせる伏線や映像を見せつけられて、感動することは確かにあった。一番びっくりしたのは、やはり「ナウシカ」のあの名セリフ「そのもの、蒼き衣をまといて金色の野に降り立つべし」の言い伝えをナウシカが具現化しているシーンである。金色の野は、王蟲(あるんだwww)のおびただしい触手であり、蒼き衣はケガをした王蟲の体液で変色したもの。もちろん経過を追っていけば、そうなることは必然なのだが、身体を張って王蟲の進撃を止めたナウシカの献身的な行動と、その後復活するところなど、素晴らしいストーリー建てでもある。

もちろん、ほかにもあげていけばかなりある。特にワンピースは、映画版のみならず、たまぁにTV版でも感動回があったりするので、侮れない。そもそもルフィが仲間思いすぎるのがいけないんだけどねww

話を戻して。
ぶっちゃけると、すでに当方は10回目鑑賞前後から、ほぼ号泣に近いほど泣かされまくっている。初見の段階では、はっきり言ってストーリーを追いかけるのに必死で、感動するに至らなかったのだ。しかし、すでに記事にもしているが、もやもやが一か月以上続き、サントラ購入で一気にどはまりモードに突入。12/1の3回目鑑賞でついに涙腺が崩壊し始め、それは、回を追うごとに激しさを増しているかのようである。

言っておくが、49歳男性。酸いも甘いも噛み分けている年齢であり、結婚こそしていないが、別に恋愛に飢えているわけではない。いや、むしろ、様々な要因もあって、『恋愛はこりごり』曲のタイトルではないが「もう恋なんてしない」心境に陥っている。
そんな私が「言おうと思ったんだ…」で始まる瀧くんの独り言に我慢しきれなくなってしまうのだ。もっと言うと、ペンが地面に落ちた瞬間から、もう駄目である。スクリーンがまともに見れなくなる事態になっているのも一度や二度ではない。
ではどうしてそんなことになるのか?理由は簡単である。
「自身が瀧になってしまっている」からである。感情移入などという生易しいものではない。完全に物語の中に入り込んでしまっているのだ。

今までの作品で、登場人物になり切るほど入れ込んだことは一度だってない。それが可能になったのはなぜか?
それは瀧の想いが観客にストレートに届いたからである。そして物語と音楽が同期するかのように描かれているのと同じ響きを奏でるのである。スパークルのピアノソロを聞いただけで感情が揺さぶられるのは、あのシーンを思い起こすだけでなく、自身が瀧の心情に支配されていることを思い起こして、映像の涙まみれの瀧と同じ心境に陥ってしまうのである。
セリフすべてを書き起こす行為自体で感情が抑えきれないのでここではあえてしない。しかし、あのセリフ一言一言で瀧の、三葉への想いが推し量れる。だから名前を記憶しようとするのに、時間のせいでそれができない。もどかしい。思っているそばから彼女の記憶が消えていく。すでに私たちは、彼女の書いた日記が目の前から消えていく現場を目撃している。遂に瀧の記憶からもその残像が消えようとしている。泣きたくなる。いや、むしろ泣かずにはいられない。だから、その思いが我々にも伝わるのだ。

実はノートの落書きと、渾身の演技が見事にかぶるのだ。そう!!

       「お前は、誰だ?」

このセリフにぶつかり、あのノートが思い浮かんだ時に私は言いようのない感情にもとらわれるのだ。相手を知りたいばっかりにノートに書いた「お前は誰だ?」。だが、ここで吐いた「お前は誰だ?」は、答えを見出せない、いやつい今しがたまではわかっていたのにもうわからなくなっている。この喪失感。もしかするともう二度と会えなくなるかもしれない名前もわからなくなった彼女。そしてもはや名台詞の一二を争う名言が発せられる。

 「大事な人、忘れちゃだめな人、忘れたくなかった人!」(瀧のセリフとしてp.206)

もうこのあたりで当方は完全に涙腺が崩壊している。鼻水だらだら。一人しか劇場に居なければ声を限りに嗚咽を漏らしているところだろう。さすがに人目があるので、歯を食いしばり、それをこらえているわけだが、その行為自体も実にもどかしい。発散してしまいたい衝動にすら駆られる。

感情の発露が映像化されていたとしても、今までは嘘っぽい、というか登場人物に同期することはなかなかできずにいた。それが瀧とはできる。それは、瀧の想いが痛いほど理解できるからである。
初恋の相手が死に直面する。助けられるものならどうにかしたいと思うのは至極当然である。瀧と同様の立場なら私でもその行為をしていただろう。諦めずにゴールにたどり着いたのに与えられた褒美は「忘れていくこと」。そんな理不尽なことがあるか…泣きたくなるし、それこそまさに歌詞にある「美しくもがく」ことそのものである。だから瀧に寄り添えるし、同じ気持ちにもなれるのだ。

登場人物とシンクロできる作品。だからリピーターが続出するわけだし、中年男性であり、そこまでのアツい恋愛とは無縁であった小生をも感動のるつぼに叩き落とされるだけでなく、号泣させられてしまうのだ。
人物の感情をコントロールし、そこに観客を乗せていくやり方。音楽が引き立てていることもそうだが、そこまで計算して、あのシーンを作っているとしたら、本当に新海さん、凄すぎます、と言いたいところだ。