「君の名は。」記事作成も、ほぼ語るべき項目はすべて語ってきたと思う。
矛盾点はもとより、当方独自の解析・解釈を重ねてきたわけだが、なんといっても珠玉の記事と言ってもいい「てのひらの文字」のページと、「夢を見とるな」に関わる記事は、今現在、トップレベルの閲覧を戴いている。

この作品の読了後の爽快感は、言ってみれば、「後ろを振り返らない」ことによる、ひたすら前進あるのみ、がもたらした、疾走感と、理解を妨げない程度のスピード感。これがほとんど減速することなくひた走ったから、最後の「なんでもないや」のスローバラードが効いてくるのである。

・前半(「前前前世」まで)
瀧と三葉/むしろ瀧サイドの生活ぶりの方に視点が置かれる。もともと上京志向のあった三葉が瀧に入っていき、ドタバタを繰り広げながら、彼と奥寺先輩の仲を取り持とうとする。瀧は瀧で、抑圧されていた三葉の感情を解放するかのようにふるまうことで、注目を浴びるようになる。
入れ替わりをお互い認識してからは、まさにラブコメそのもの。この部分を深く書かずにシーンと語りだけで構成し、減速するどころか、ノッチは最大。「前前前世」の効果も抜群に効いている。
ここまでは、導入としての二人を描きつつも「変なことが二人の間に起こっている」を書くにとどめてある。
・中盤(口噛み酒飲用まで)
ここまでが陽、とするなら、この部分はやや陰として書かれている。それでもご神体訪問の「眼の覚めるような紅葉」は、もう一度IMAXで体験したいものだ。「夢を見とるな」からこっち、我々にも尋常ならざることが瀧に降りかかっていくことを想起させる。デートも失敗。さらに入れ替わりは途絶える。
一気にストーリーは減速。不安げなBGMで彼に何かが起こったことを暗示させる。飛騨探訪はロードムービーさながらの展開。そして"被災地"との対面、三葉のメモの消失…前半の明るい作風は完全にどこかに飛んで行っている。ミステリー的な色合いをも浮き彫りにする。
主人公のカタワレが死に直面する…この重い題材がどう変化するのか、注視してしまいたくなる時間帯でもある。
・後半
事実上最後の入れ替わり。歴史を変えることが可能になった立ち位置にいる瀧の入った三葉。アドベンチャー的な要素が一気に噴出する。「何とかなる」と思わせる明るめな光彩効果も生きている。だが、万事うまく行くかと思われた矢先に立ちはだかる実の父親の存在。一気に先行きを案じる部分でもある。その不安要素を払しょくする「ご神体」の存在。ここからは、完全にラブストーリーそのものの、会えるかどうか…感動が押し寄せる時間帯でもある。
会えるはずのない二人の再会。ホッとしたのもつかの間、我々は瀧が味わった消失感を目の当たりにして、言いようのない感情にとらわれる。その一方、悲劇を回避できるかどうかの瀬戸際でそれでも抗い続ける三葉。小説には感情の吐露が記されているが、あの「一番かっこいい」三葉を見ただけで私たちはそこに救いが発生する。
ラストシーンは、まさにすべてを丸く収める大団円。会えるだけで終わらないことを歌詞が補完するという念の入れよう。だから、感動するのだ。

千と千尋越えはかなりの確率で低くなり、2月の成績を見る限り、3月いっぱいまでの可能性が限りなく高くなってきた。でも、「邦画2位」の興行成績は誇っていいし、私はその作品をここまで微に入り細にわたって論評できたことにも感謝したい。

でもただの良作、というだけでは、私はここまでリピートすることは無かっただろう。複数回観ることすら一度もなかったのに二ケタも観てしまう、観させてしまう原動力。それは、時間帯ごとに書き方/内容を変化させていることで、飽きさせなくしたことが大きいとみる。
トータルの時間/シークエンスごとの時間配分にも気を配っていたからこそ、ここまでの完成度があり、矛盾点すらも気にさせなくする効果をもたらしていると考える。

ここまで練られた作品を新海氏自身がもう一度作りえることができるのか…別人がこの作品を越えうるものを出せるのか…当方の中で、とうとうベンチマークとなった「君の名は。」の存在感。これを越えうる作品が一日も早く見てみたいし、それは意外と早く訪れるかもしれない。
アニメーション映画スクリーン対峙復帰第一作が大ヒット映画だった"奇跡"。「いつか消えてなくなる」日が近づきつつあるのをひしひしと感じながら、2月、「もう少しだけでいいから」彼らに逢っておきたいと思う。