「カタワレ時だ…」
二人が声をそろえる。
だが、これこそ、恐らく、今まで当方が劇場で見たアニメーション映画の中でもベスト3に入る珠玉のワンシーン・・・17歳の瀧と三葉が同一時間軸で出会えるという"奇跡"の起こった瞬間である。

少し具体的に記述すると、2016年10月22日(注)にご神体に到達し、口噛み酒を飲んだ効能も手伝って、2013年10月4日の三葉と入れ替わった後、出会い、精神も肉体も本人に帰属し、「全員が生き残る」歴史改変に挑む彼らが躍動する時間帯でもある。
(注)・・・もはや当方の解析記事では、確定事項のように書き綴っているが、当方の解析によって、三人の飛騨旅行は10/21−23の金土日であると確定している。ご神体の再度訪問は2日目なのでこの日付が導き出せる→「どうしてそう思ったのか」に関する解析記事はこちら

ところが、ここで思い出してしまったのは「2013年10月4日に、本来の瀧は14歳で東京にいる」ということである。そして、糸守のご神体の近くで、17歳の瀧が、三葉に出会い、なんと、三葉の手のひらに文字を書き、組紐すら渡せているのもまごう事なき、2013年10月4日である。

同じ日に別の場所にいる”年齢の違う”二人の瀧。この「落とし前」をどうつけたらいいのか…当方もかなり悩んでいる。

○仮説
 14歳当時の彼が『東京で』彗星ショーを見たことは動かしようがない。一方、17歳の瀧が2013年10月4日に「糸守」にいることも様々な状況証拠が示している(日付の証明は今更必要なかろう)。
 この状況を矛盾なく説明するためには、2016年10月22日の瀧が憑依した2013年10月4日の三葉と、2016年10月22日に糸守にいる(三葉の憑依した)瀧の二人して「全く違う2013年10月4日」に放り込まれた、としないと説明が付かない。

 そう。「カタワレ時だ」と二人してつぶやいた瞬間に、二人とも異次元…別の時間軸の2013年10月4日に連れていかれたのだ。
あれ???
「夢灯籠」の歌詞の一節が頭の中をよぎる。

    5次元にからかわれて  それでも君を見るよ  またはじめましての合図を決めよう

ま、ま、マヂか…特に「5次元」などという、あまり耳慣れない言葉に少しだけ違和感を感じていたのだが。
5次元=時空をさらに飛び越えた存在、ということがいえるわけだが、これがもしこの「本来とは異なる、二人が同い年で出会える2013年10月4日」を指し示しているのだとすると、ここにまで伏線を張っていたことになる!
お、おそるべし…

当の二人に「異次元に来た」とか「時間が一緒になった」といった感覚は小説からもうかがえない。ただ「本当に逢えた。」(p.198)という感慨だけが二人の間を支配している。
当初の同じ時間軸なら、三葉が逢うべき相手は「中学生の瀧」である。それが、同い年の二人が二人して言葉を交わしている。それだけではない。幻でない証拠にもらった組紐は、渡した本人に戻り、最後に手のひらに文字までかけているのである。
この画面上の結果を導き出すには、成長している瀧がこの時間にいる=まったく別の2013年10月4日 が演じられていないと説明が付けられない。そもそもこのとき瀧は14歳でしかないからである。また、三葉サイドも、成長した瀧としゃべるという本来あり得ない現実がそこにある。二人とも「都合のいい時間軸」に放り込まれた/そしてカタワレ時が終わった時に唐突に二人とも現実に引き戻された、とすると、意外なことに「二人の瀧」問題も収束する。

解析結果:
17歳の瀧の味わった「2013.10.4」は、2016年10月22日の中の一瞬であり、三葉もろとも「二人が逢うべき時間軸」に放り込まれたものである。なので、2013年10月4日時点で14歳の瀧が東京にいることと、17歳になった瀧が糸守で2013年10月4日の三葉とあっていることの「二人の瀧」問題は、17歳の瀧サイドの矛盾が解消したことにより、14歳の東京にいる瀧が真実となり、歴史を動かさないことになる。