毎週のごとく映画館に通うようになってしまった小生。ちなみに2月から実に6週連続で映画館に立ち寄っている。
そんなことは、今までの長い人生の中でも一度も経験のない事態である。
それをさせうるだけの力・・・お金も時間も消費する映画鑑賞に向かわしめる力をこの「君の名は。」は持っている。それが証拠に、鑑賞回数10回台はまだひよっこ。30/40/100・・・400オーバーまで至って初めて"レジェンド"と言えるレベルに到達できる。

そして、この映画は、公開当時に上映されていた映画のみならず、公開以降に上映された映画の大半を見送っている。ファンタスティックビースト/ローグワン/ドクターストレンジ/沈黙、邦画なら海賊と呼ばれた男/本能寺ホテル/土竜の唄/シン・ゴジラ…。
彼らと一体何が違っていたのか?
そこで登場するのが、昨今のスイーツ映画と呼ばれる恋愛映画との相似点である。
「あす僕」「君100」「一フレ」。毎週のように公開されるこれらの映画には、登場人物に特異点が設定され、そのいずれもで時間というファクターが重要な役割を果たしている。
では、なぜ君縄クラスにヒットしないのか?ぶっちゃけ、すべてのスイーツ映画の興収を足しても、君縄一本に太刀打ちできない。

じつは、理由ははっきりしている。

「実写の表現力の限界と、三次元のもたらす嘘臭さ」が、アニメーションになく、二次元であるがゆえに没入出来るから同じような内容なのに、大ヒットしたのだろう、とみる。

俳優が演じる恋愛ストーリーは、彼らのパーソナリティーが邪魔する。それでなくても、粗製乱造で低予算な実写界。とりあえず作りました、が分かる内容では、リピーターになりようはずがない。
ところが、君縄は、それこそ「誰も楽していない」と監督が言い切れるほど、高い水準に平準化できている。曲を作ったRADWIMPS/野田洋次郎氏の魂の叫びと言ってもいい歌詞の凄みも、作画も、セリフ回しも…。

もし、この作品を実写化しようという試みが出てきたら、激しく反対するし、当然観にも行かない。二次元で表現するしかない作品というものは明らかに存在するし、だからこそ我々は「瀧」に、「三葉」になり切れるのだ。彼らに寄り添えるのだ。悲しくて悲しくて仕方なくなるのだ。
あの「言おうと思ったんだ」からのシーン。瀧役の神木氏は、恐らく感情を押し殺して演じている。画面上の瀧は涙まみれなのに、あんなにきれいに発声(泣いている、ぐずっている感じではない)できるはずがない。だがその演技を可能にするのが吹き替えである。現実の俳優が、それも若年の駆け出しでできる芸当ではない。

今までやろうとしてこなかった、アニメーションで表現するスイーツ映画。もちろんアニメにしただけでヒットしたわけではない。だが、業界が目指す方向というものはしっかり提示できたのではないかと思う。