導入部は、まるですべての出来事が時間通りに流れているかのように記述することで、初見者を煙に巻いたうまい演出・ストーリー建て。実際自分でも年表もどきを作ってみたら、あら不思議。こんな風に物語って作っていくんだな、を実感することになる。

時系列がしっかりとまとまっている「君縄年表」。→これがそれ。出典/作成者などは現時点では不明なので、分かり次第正式にリンクを張らせてもらう。

ところがこれとて「完全完璧」なものではない、ということがいろいろと浮かび上がる。
というわけで、この画像そのものを訂正するわけにはいかないが、当方と意見が食い違っている部分や完全に間違っている部分をとりあえず上げていこうと思っている。

・2016年10月3日にデートしたことになっていることをどう考えればいいのか?
三葉の書いた「明日は奥寺先輩と東京デート」となっている記事の作成日は実は2016年の10月2日なのだ。そうなると、当方の結論でもあった「デートの日付は10月2日日曜日でないと、周りが休日めいていないことや待ち合わせ場所の四ツ谷駅の雰囲気/そして何より小説の記述と整合性が取れない」こととずれが生じてしまっている。

そんなバカな…と思いなおして、ここで少しだけ面白い仮説を提示してみる。
・仮説
このデート自体も「あんた今、夢を見とるな」で囲まれている出来事。三葉が「明日=10月3日」に設定した、デートをするという事実だけが生きていると考えると、日付などはどうでもよくなってしまう。

現に、瀧と奥寺先輩がデートをしているのは、まごう事なき日曜日・・・学校は休みの日である。10/3は世間一般には平日の月曜であり、仮に瀧と先輩がたまたま学校が休みであったとしても、平日にデートを設定するとは考えにくい。とはいえ、もし10/2が日曜日だとわかって三葉が設定したのだとすると「3年ずれている・しかも未来」に気が付いていてもおかしくない。
すべてを丸く収める魔法の言葉、それが「夢」である。一葉に言われて突然のように着地した2016年10月3日 月曜日から図書館に至るまでの長ぁい時間が「夢の中の出来事」とすると、何もかもが都合よくまとまっていく。そして夢の中の出来事なのでいろいろと間違って記述もされていく。先輩はともかく、司まで学校を休んでいること/新幹線の座席配置・アナウンス(都市部を抜けているのに、「停車駅は、品川、・・・」と言われている)/味噌カツ弁当の日付(15.10.9の表記で確定しました)/本来到着しないホームに滑り込む『ひだ』/動かないはずのマスコット/特徴的な元の被災地の地形を言い当てられない地元民/10月中旬に半袖でラーメンを食べる瀧/中継がないはずの野球がテレビで、それも夕方近くに流れている などなど。

もちろん、10月2日にご神体に行った瀧の入った三葉と元に戻る形で「翌日デート」の方がすんなりストーリーとしては流れる。10月3日がデートの日だと理解しているからこそ「三葉がデートの日に上京する」という行動にもつながる。つまりこの年表通りの方がつじつまはあっている部分が多いのだ。曜日の部分を除いて・・・
検証結果:
三葉の残したアプリの記事「東京生活10」タイトルの2016.10.2作成のメモをどう取り扱うかがカギ。当初の結論は、日曜日にデートしたと考えたので2016.10.2がデート日だとしていたが、アプリ記事を優先し、「翌日の10月3日」にデートした=年表とほぼ同一 とする。つまり「デート=10/2」と以後考えない。
ただし、実際には、デートの事実も、いや、飛騨に向かい図書館で一葉に声をかけられるまで「夢の中にいた」とすれば、デートの日が休日であるかどうかなどはどうでもよくなる。

◎宿の名称は完全に間違っている。
せっかく『飛騨探訪』の日付は間違っていないのに、ここで間違うとは残念である。
シーンは、図書館から宿に入った直後。宿の全景と、中央あたりに看板が見える。
確かに「五郎岳」が赤文字で描かれているのでこれが目立ってしまって宿の名称だと勘違いしたのだろうが、これは俗に言う「スポンサー看板」。現にその上には「清酒」と書かれている。つまり、「清酒五郎岳」という広告だったのだ。
もちろん、その下に宿の名前は書かれている。それは「飛騨山荘」。やや薄めに書かれていて存在感はあまりないが、間違いない。正面にはこれまた薄ぼけた文字で「民宿 飛騨山荘」とある。
検証結果:
五郎岳は、清酒のブランド名(架空)。飛騨山荘が宿の正式名称。

・大人になっても風鈴は鳴っている。ということは…
瀧と三葉は、お互いの魂が風鈴を鳴らし続けている。彗星落下日には警告の意味として、ご神体と町にいる二人を引き合わせるかのように存在を知らせたり、ご神体の上のクレーターを駆け回るときは、すれ違った瞬間に組紐のビジュアルとともに思いっきり風鈴がなる。
近くにいようが遠くに居ようが、存在が確認できるようであれば、常に鳴らせる体制が整っていたとみるべきである。だから、歩道橋ですれ違った時にものの見事に鳴るのである。
では、代々木駅で見た後ろ髪を結った女性はどうなのか?この年表上では「本人」という形で紹介されている。だが…もし本当に彼女=三葉であれば、鳴るべき風鈴が鳴らないとおかしいのだ。いや、本当に本人ならなってほしかったのだ。
ならなかった、ということで当方は他人の空似を採用したわけなのだが、物語の常道として、こういった、妄想というか既視感にとらわれ続ける主人公を描くことはよくある手法である。ありきたりの蝶々結びの髪結い。三葉とは似ても似つかない別の誰かだからこそ、風鈴は鳴らなかったとする。
検証結果:
せっかくの効果音…風鈴の正確さを信じたい。代々木で見つけたのは三葉ではない