ジブリで実績のあった米林監督作品であった『メアリと魔女の花』。しかし、予告の時点で、爆死臭しか感じ取れないという、とんでもない作品と看破できてしまった。
何しろ、自分でここまで言い放つのである。「君縄」が第2の繁忙期を迎えた今年初頭にこんなハードルを上げた予告を見せつけられて、「それでそこまで言って大丈夫なの?」と他人ながら心配したものである。


結果はかくのごとし、だったわけだが、大ヒットした「君の名は。」と比べる方がどうかしている、という声も聞こえてきそうである。
描いている主題も、対象年齢層も、もちろん言いたいことも全て異なっている。だからこそ、の比較検討倶楽部なのである。

私の言いたいことはただ一点。
 「メアリもヒットしていたかもしれない/君縄も駄作で終わっていたかもしれない」

というところだ。
お転婆で何やってもうまく行かない、おまけにそばかすに赤毛と劣等感まるだしのメアリをもっともっと不細工に描けていたら、最終盤の晴れ晴れとした表情が少しは生きてくる。変な暗喩も抑え気味にしていれば、わかりにくい伏線も排除できたはずだし、変身実験がもたらす闇をもっと書くべきだったかもしれない。
ここまで書いてみて、もうお気づきだろう。「設定が不十分」なのだ。魔法大学のくだりの半分は、夏井先生ではないが、「書かなくても済んだ話」だろうと思う。力を入れて描写するところを間違っているのだ。それほど原作が薄く、説明が必要だったとしても、ここまで凡庸に「時間つぶし」のように映像を無駄遣いすることが何を意味するのか、監督はわかっていらっしゃらないのではないか、と思う。
一方、「君の名は。」の場合、説明らしい説明は極力省いている。入れ替わりの理由、入れ替わる日が同じ日付、連続で入れ替わっていないなどなど。入れ替わっても、日常生活が不自由なくできているし、携帯が新機種になっていることにも気が付かない。出だし30分で二人は入れ替わる、事しか提示していないのだ。それが恋愛にムスビついていくという、新海マジック。むやみに説明を、記述をしてこなかったがゆえに、物語に引き込まれてしまったのだ。
説明を省くのみならず、時系列を捻じ曲げてでも前に進む(序盤の瀧ちゃん→三葉君誕生の部分はこういうストーリー建てにしてある。当方ブログから)。解析されることを見越してあえてこういうストーリー建てにしたのかもしれないが、とにかくそつがない。

ここまで見てもらうとわかるように、魔法大学の描写にかけた時間を、もっと他のところに費やす、「塩沢トキ」では悪役に徹しきれない(湯婆婆クラスのキャラデザでないと厳しかったよね)などなど、あのシークエンス全体のお化粧ぶりでニワカやお子様はごまかされ、我々は退屈で不要に映ってしまうのである。
それに比べて、「君の名は。」は、むしろもっと書かないとちんぷんかんぷんで置いてけぼりを食らいそうになるくらいスピード感があった。なので説明しすぎなくらい書いてくれないと困る層は、ポカーンになってしまい、評価が落ちてしまうのだ。

あえて観客の心情にゆだねた新海氏と、薄めの原作を何とかしようとした米林氏。原作選択の段階で勝負あった、と言いたいところである。