「君の名は。」の一年後に公開された、「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」(以下、「花火」)。
原作はテレビドラマであり、1時間の尺に納まっていた45分程度。アニメーション映画になった時には、90分もの長丁場になっている。
ドラマではタイムリープは一回だけ。だが、アニメーション版では、数回やり直している。最終的に何とももやもや感の残るラストシーンは、リア充・「君縄分多し」とみていたカップルたちを絶望の淵に叩き落とす効果を生んだ模様である。

私自身は「どうせシャフトだし、どうせ新房さんだし」と思っていたので、ファンタジーに振った部分はあるだろうし、スパッと竹を割ったような結論にするとは思えなかった。「if」が根底にある作品だから、今はどんなタイミングの「if」なのかを分からせながらストーリーを進めていくだろうな、と思っていたが、あそこまで何度もタイムリープするとは思っていなかった。

都合が悪くなったらやり直し…まるでゲームのような世界ではないか!!しかも直前のセーブポイントまでは戻ってくれる。そんな子供じみた世界観だったわけである。そりゃ、大の大人/リア充にしてみれば頼りない、面白くない、と感じるのは当然といえよう。

その一方で、「君の名は。」は、死に直面していたかもしれない三葉を瀧が助けようとする局面の入れ替わりこそが重要である。今までの入れ替わりはネタフリ、2016年10月22日と2013年10月4日が奇跡的に交差する、そして、カタワレ時で感動の、そしてありえない奇跡の出会いを果たすのである。

「花火」では、ナズナが海中から拾った綺麗な球がキーアイテムとして描かれている。ところが、「君の名は。」では、入れ替わりが起こる理由も、タイミングも、きっかけとなるアイテムの存在も明示されていない。せいぜい私は2013年10月3日に三葉から瀧に組紐が渡り、同い年になったタイミングで初めて入れ替わりが起こった、という解析を示しているが、これとて独自分析の域を出ない。

「君の名は。」がヒットしたのは、単純に「二人がどうあれ再会できた」からに他ならない。名前は忘れていても、二人は常に「ずっと誰かを探していた」ままでコンクリートジャングル・東京で生活していた。岐阜・高山からほど近い大都会・名古屋の存在など忘れているかのような三葉の「東京一択」の姿勢はいぶかるところでもあるが、仮に彼女がどこにいたって「俺が必ずもう一度逢いに行くって」という瀧の情念にはかなわないとみる。
「花火」は、主人公たちが中一になったとしても、みている我々が自分自身を置き換えるように、そこまでタイムスリップすることはなかなかに難しい。それこそ中二病でも発症していそうな、一番とんがった時代。恋愛というものの発露がそろそろと顔を出し始める多感な時期にあって、アニメーションならではといえるような演出(ミュージカルスタイルだったり、最後のツーショットだったり)が軒を連ねたところはよかったのだが、いかんせん、序盤でやらかしているので、それらがすべて「?」とされてしまうのは如何ともしがたい。

原作のチョイスはよかったものの、作劇や納得のいく読了感が得にくかったのは間違いない「花火」。健闘はするだろうが、30の大台が目指せるかどうかに留まるのではないかと推察する。