「君縄」ブームの時は、どんな名作の予告であっても、基本的にスルーしていた。唯一心を動かされたのは「この世界の片隅に」だけであり、鑑賞一回目は案外な評価だが、見直したいとは思っている。

ただ、ここ最近は極力、いろいろなジャンルの映画に手を出している。SFチックな「メッセージ」、コメディ的な「ジーサンズ」、ディズニー系もアニメ・実写とも視聴済みである。邦画もしかり。特にエンタメに振った「銀魂」は、後半タイトでハードな立ち回りもあるが、基本ギャグで楽しめるところがすごい。それでも当方は選りすぐって名作然とした作品しか手出ししない。
スイーツ映画に、どれほどみる価値があるのか…まあ確かに、笑って泣いて、大団円あるいはトンでも結末でヽ(・ω・)/ズコーになるか。「たのしかったね」で終わってしまう作品には、時間も金銭も投資しずらい。

だが、この「君の膵臓を食べたい」は、大人になった登場人物たちの日常を少し絡めることで、とてつもない奥行きを醸し出している。実は大人パートは完全なる創作ということで、普通こういう余分な物語りを入れ込むと散漫になったりするものだが、それが全く感じられない。冒頭の、図書館での回想と現実が入り乱れる演出は、ベタな部類であるものの、すんなりと物語に没入させる仕掛けにつながっている。
さて、実写であり、アニメーション映画化も決定している「キミスイ」。これと「君の名は。」を比べるのはアンフェアに映るかもしれない。だが、ストーリーを見てみると共通点がいっぱい出てくるのである。
そのキーポイントが「名前」である。

「君の名は。」では、お互いが誰かを知らず、瀧ちゃんは「お前は誰だ?」と問いかける。そしてそれに呼応するように三葉君は自分の左手に「みつは」と書いて名前を知らせるのである。入れ替わりが二人を親密にさせ、「瀧くん」「三葉」と、恋人気取りでお互いを呼び合うまでに。だがあの出会いと超常現象が、お互いの名前を分からなくさせてしまう。
ところが「キミスイ」はもっともっと異常だ。二人が二人とも相手のことを「君」としか呼び合っていないのだ。下の名前は言うに及ばず、苗字でも呼んでいない。これで恋愛感情が芽生えていくものだろうか…最初当方はこの危なっかしい関係の先行きを危ぶむ。だが、単に余命いくばくもない女の子の自由に付き合える胆力を春樹は持っていた。だから二人は急速に距離を縮め、分かちがたいほどのきずなで結ばれていくのだ。

「死」からの復活という面でも、「君の名は。」が表面上瀧が三葉を生かせたように見て取れるのとは反対に、「キミスイ」では、死は既定されたものであり、どんな奇跡も起こらない、と達観している桜良の常に笑顔な部分が死を強烈に浮かび上がらせる。最後の待ち合わせ。執拗に桜良のメールが表示される。ドラマを五万と見てきたものなら、これがシグナルであるとすぐに気が付く。

ラストシーンも対象的だ。探していた「誰か」に出会える二人。対して、最後のメッセージを受け取る大人になった主人公。なのに、ここだけは恐ろしい一致を見ている。
最後のセリフが映画のタイトルなのだ。

「キミスイ」鑑賞記でも書いたが、最後の最後でそう持ってこられると、完全にノックアウトである。十分泣けているはずなのにとどめを刺される。しかも今はいない桜良の声。こんな作品をよくも作ってくれたものである。

「涙」の性質は当然変わってくる。「君の名は。」は、瀧に、三葉に成りきって流す涙。そしてもう離れないと歌い上げる歌詞に涙するのだ。「キミスイ」は、二人の想い、生と死のはざまに居る高校生がお互いを思いやる気持ちがアツすぎて感動してしまうのである。

ここまでの名作だが、「キミスイ」は意外と伸び悩んでいる。こうした純愛ラブストーリーものがもっともっと評価(興行成績を上げる)されないと、本当に日本の映画産業はアニメーションに蹂躙されることになりはしないかと気が気でしょうがない。