2回目の視聴を終える。

エンディングが十八番寸前にまで歌えるレベルになっていることもあり、周りに誰もいないことをいいことに歌唱練習も(勿論声には出しませんよ)。しかし、歌詞がよくて、ついついウルッと来てしまう。

1回目より2回目。映画の良さを知るには、やはりこの複数回鑑賞は重要なポイントになりつつある。

名作であり、秀作。「優作」などという言葉で表現されているツイッター民もいたが、その言葉は至言である。だが…入らない。見られない。正当に評価されない。
配給が東北新社、声の出演は、主役級の6人が声優オーディションによる合格者(ついこの間までどシロート)、キャラデザは青木俊直氏(あまちゃん=能年玲奈氏のあま絵で脚光を浴びた程度でそれほど著名でもない)、アニメーション制作はノゲノラもやったMADHOUSEだが、作画監督がいっぱいいたことからも、2戦級/予備軍的な人員総動員的な舞台裏を想起する(エンドロールでも人手はかかっていた印象。君縄ほどではないにしても、製作費はそこそこかかっていると推察)。一流どころが名を連ねていない。売れなくて当然、といえるかもしれない。

私の思っていたことは・・・
「この作品を製作者サイドはどう考えているのか」 というただ一点である。
もっと端的に言う。「売りたいのか、どうでもいいのか」・・・。作品がそれほどスペクタクルでも、熱情を帯びた何かがあるわけでもなく、むしろ、何事もなく普通に流れてしまう。そういう作品こそ、CMなり、SNSなりで拡散して観に行かせようとする動きがないと難しい。
製作者サイドには「そこまでしなくても…」という控えめな態度が目立つし、無性に腹が立つ。良作を世に送り出しておきながら、見てもらえていないこと。これは、ハードルを上げて大爆死する「エンターテインメント超大作」というあの作品と同罪である。

良作の評価されなさ過ぎに我慢がならなくなっているのである。そこそこに見られているのなら、私のような金欠病に年中苛まれている人が劇場に足しげく通う必要などない。だが…無駄と知りつつも興行を伸ばしたいと思う衝動。これすなわち、憑りつかれた、あるいはかなり沁みたからに他ならない。

「君の名は。」は、まごう方無きエンターテインメント作品だった。演出も笑いどころもあり、あのご神体での瀧の慟哭は、当方のアニメーション映画シーンのベスト3に入る。登場人物に成りきらせてしまうほどの見事な作劇。これがやりたくてスクリーンに対峙したは、言い過ぎでも何でもない。
「きみの声をとどけたい」に、そんなスペクタクルな、ガツンと鈍器で殴られるような、エモーショナルなシーンがあるわけではない。その部分で言えば、「物足りない」と思う人がいてもおかしくない。だが、所詮、高2の少女たちのひと夏の経験。大それた行動に移るはずもなく、時代に流されつつも、まっすぐに生きる彼らを描くよりほかはないのだ。事実、放送局兼喫茶店は取り壊される。その破壊の中から生み出される「生(Life)」。それが奇跡をも生み出す。それを彩る楽曲。感動しないわけがないのだ。

感動の種類が違う。
一見、「それで入ったり入らなかったりするのだろうか」という声もあるだろうが、館数の多少/上映回数/地域…すべてを同一にそろえることができない以上、君縄との興行上の比較は無意味だ。
でも入らない…良作と評価している人は少なくないのだが…

「キミコエ」のヒットしなさぶり。駄作ならわからないでもないのだが、これだけの作品が正当に評価できない/されていないのには絶対理由があるはずだ。