私が劇場で映画を見ることに何の抵抗もなくなったのは「多分、あの日から」(某ヒロイン 談) 。
そう。2016年10月1日に、西宮ガーデンズのOSシネマズで「君の名は。」を見てからのことである。

同一映画を複数回観たのもこのタイトルが初めて。以下、様々な記録が打ち立てられていく。完全に虜になった私。その過程で解析意欲が沸き起こり、ついに!!完全解析に成功。三葉は一度も死んでおらず、入れ替わりは「歴史を確定/誰も死なせないための必然」だったことを明らかにした(ええ、そんなバカなぁ…とお思いの貴兄には、当方ブログの過去記事をご参照あれ)。

「この世界の片隅に」の鑑賞を終え、再度フォロワーたちが一堂に会する。君縄オタでもかなりグループができている模様であり、ツイッターでのつぶやきが意外にも人と人をつなげている実態を明らかにする。そうこうするうちにもう一人のフォロワーがT・ジョイでの早朝版の「キミスイ」を見てこちらになだれ込んでくる。この方が、サムネイルとは想像もつかない方で当方はびっくり。ちなみに今回ご一緒した方はキミスイ聖地にも回ったと後にツイッターで報告しておられる。

さて、こうなると「片隅」は露払いみたいなもの。爆音の実力は、爆発音や機銃掃射でかなり応えるところではあったが、音だらけといってもいい君縄だとどうなるのかは、正直気になっていた。だからこそのど真ん中配置にしたわけだが、その効果は絶大過ぎた。

開始一秒。
彗星の破片が落ちてくるときの空気を劈く音が聞こえてくるだけでダメである。この段階でスイッチが入ってしまった。「朝。目が覚めるとなぜか泣いている」・・・つぶやきながら当方は感極まってくる。そして夢灯籠のイントロ。もうタイトルも何も目に入らない。オープニングでここまで感情が発露したのは初めてといってもいい。確かにほろっと来ることはあったが、ここまでとは。音がいいだけでここまで感情が揺さぶられてしまうのか…ようやく落ち着きを取り戻したのは、四葉が三葉を起こしに来たあたりだった。
総じて音楽に手が入っている、というよりは、ガヤや、環境音に手厚い修正や増幅が認められ、それと同時に発せられるセリフは少し犠牲になっている感。すべて手の内であるはずなのに、ドキドキ感が止まらない。
自転車に乗り、こぎ出すあたりから、もうどうしようもなくなってくる。「でも、確かなことが一つだけある」・・・ここからは自身の感情が抑えられなくなる。そして、今や私のなかで一二を争う、カタワレ時の二人の邂逅シーン。完全に涙腺が崩壊する。もちろんペンが落ちてからはまともにスクリーンが見られない。それどころか、打ちのめされた瀧の感情がまさに憑依したかのようだった。
ラストシーン。二人が出会えるだけではなく、「離したりしないよ、二度と離しはしないよ」と歌い上げることで、二人の絆・・・ムスビは強固なものになったと理解できる。涙まみれなのに「嬉しくて泣くのは悲しくて笑うのは」まさに私たちの想定を上回る感動的なシーンだとわかるのだ。
エンディング。もう完全に崩壊した涙腺は留まることを知らない。暗転し、スタッフロールになっても、依然として流れ続ける涙。36回目にして、一番感動し、一番泣けたと認識できている。

鑑賞後記をこうやって書いているだけでも、その時の自身の感情を思い出してしまう。そんな映画だったのだと改めて思い知らされる。

「私は、いや、日本国民は、とんでもない映画に巡り合ったのかもしれない」。

その想いをまた新たにしてしまう。もはや、私の中では、「火垂るの墓」を越えうる、永世名誉一位に認定してしまおうかと思っているくらいである。