一本の映画を一人の人間とするなら、去年の3月の時点でほぼ組織ごとの解剖(解析)は終わっている。だが、それでも気になる部分(臓器)に関しては、細胞レベルにまで解析を続けている。

ストーリーの根幹部分は、人間で言えば背骨・脊椎の部分。これが正しく分析されていないと、映画としての成り立ちにも影響が出る。そして私は、この作品は、一度死んだ三葉をよみがえらせる作品ではなく、決して「死なせない」(死んでいない)瀧の意思というものが見え隠れし、それは、お互いがお互いのことを好きになっているからだ、と結論付けている。

ところが、だ。
周りの論調は、「歴史をやり直した」「死んだ三葉が生きている時間軸」うんぬん。
確かに私もそう思っていた時期があった。たとえ画面上の矛盾が理解できなくても、そうであるほうが物語として納得いくもんな…周りに同調するような結論で2016年は過ごしていたかのようである。
だが、2017年。二けた鑑賞を済ませる過程で、疑問だった点に次々と回答がつけられていく。ご神体訪問の飛騨探訪の日付、イレギュラーな入れ替わりの発生、時系列がおかしいと気が付き始める2月/3月…
そして、回を重ねるうちに、とうとう私はこの作品の最深部に到達できた。そしてそれは、思いもよらない結末の導出と、それに伴う物語の本質を知らされることになる。

・歴史改変/死者の生まれ変わり という衆知の意見こそ、映像を見たままから発展しない結論である。
確かに心のどこかに「東日本大震災」が新海氏にとりついていたことは認めるし、その着想…死ななくていい人が死んでしまう災害というものへの怒りとそれに遭遇した人の悲しみ…を映像化しようとした試みは評価できる。そして、停電を地震、彗星落下を津波と例えることにも成功している。
ところが、結末を知ってしまったときに、意外にも、画面上ではだれも死んでいないことに気が付かされる。たとえ、犠牲者名簿に列記されていても、割れたすい星を三葉がこの目に見ているシーンであっても、また、司だけは知っているはずの「動かぬ証拠」があっても…
我々は、新海マジックに取りつかれたのだ。「これがあるからこうあるべきだ」「こうに違いない」。人に思い込ませることが映像作家の本分である。さらに突き進んで、登場人物に感情移入する、そして登場人物になりきらせる…ここまでできるわけである。

・たったワンシーンにすべてを納得させる仕掛けを施すいやらしさ
自衛隊の映像という「動かぬ証拠」の後に書き換わった記事の数々。これで多くの人は、今までの歴史が上書きされた、と理解する。だが、歴史の真実は一つしかない。しかも、仮に歴史が新しく紡がれたとすると死者が生き返っているという矛盾に対峙しないといけない。
もちろん、物語を追うだけの観客にしてみれば「生き残った/死ななかった」ことしか頭に入らず、しかも、一番の重要ポイントは瀧のナレーションで埋まりカモフラージュされている。それこそが、2013年10月6日に配信されている、変電所爆発の記事である。
瀧が歴史に関与していないはずの2013年10月6日。もちろん、2013年10月3日には、見知らぬ女の子から組紐を投げ渡され、何のことかわからずじまい。だが、糸守すい星災害からこっち彼は「一時期、妙に心を惹かれていた」という。それは、間違いなく、2013年の出来事のはずである。なんとなれば、2016年に現地に行ったとはいえ、そこが被災地でもないと思っていたからこそ、スケッチで在りし日の糸守を描かざるを得なかったのだ。
そして問題の変電所爆発のシーンのニュース記事。なんと、「2回爆発があった」と記事にはなっている。
→DVD/BDお持ちの方は、1:35:45で止めていただければいい。そして、その記事を読んでいるのは、まごうことなき、2013年/中学生の瀧である。
このワンシーン、流れで見てしまうと見落とすし、回想のように見せていない(1回目や2度目くらいでは、まるで2016年に歴史が書き換わったのちに無理やりまさぐってみているようにも感じる。この差異には気が付きにくい)ところが実にいやらしいのだ。

・時間軸が複数あるほうが納得いきやすい
三葉の死ぬ「第一の時間軸」がストーリー上であまりの衝撃だったからこそ、死ななくて済む書き換わった時間軸の存在は、簡単に考える分には納得いきやすい。そもそも、この作品は、「死んでしまった人が死ななくて済む」ことを愛する人を守るべく、時空を超えてまで、入れ替わった瀧の心根に感動すべきところだからである。だが、書き換わった歴史そのものをこのストーリーでは肯定していないのだ。そう。もともと死ななかった歴史が真実であり、「死なせないように仕向ける」べく入れ替わったというのが本質だからだ。

しつこくて申し訳ないが、この作品は三葉の生死は問題ではない。だって一度も「死んでいない」のだから。
死からの生還/歴史のやり直し/新たな歴史への上書き…物理的におかしなところは、精神と肉体が入れ替わるだけで結構である。なのに、著名な評論家や、映画ファン、新海オタクの人ですら、この視点に立ち入っている人は皆無といってもいい。そして、私が出した”正解”こそ、知られてはいけない裏設定…野暮というべきものであろう。

だが、その野暮を大真面目にやってのけたからこそ、感動が押し寄せてきたのである。私の心に取り付いて離れないのである。”5次元”で出会う彼ら。そして「そういう気持ちに取りつかれたのは、多分、あの日から」もすべて納得がいくセリフに昇華する。
私と同意見に出会わない理由。それは、そこに至ったとしても発表するのをはばかるからではないか、と思っている。そしてそれは感動をスポイルするからではないか、と感じるからできないのではなかろうか?
そんなことは全然ない。現に、36回中、完全にストーリーを把握できた3回目から哭きが始まり、今やその頻度や度合いは回を追うごとにひどくなっていっている。
真実を知れば、余計に物語に没入できる。そんなストーリーだったのである。