このサイトのデータの凄いところは、年代別/性別の視聴質データも集めているところである。
特に、このサイトは、Teen、つまり10代の視聴者の動向にかなり注目していたということである。

つづいての解析に入りたい。
→使うグラフは、この記事の2番目のグラフ。

視聴質が5とか、6とかになるというのは、「視聴質の平均値を1としたときに、極めて多い人数が、長時間にわたってテレビ画面を注視していた」ということと同意義なわけだが、1家庭でそんなに大量に子供がいるわけがない。しかし釘付けになっている子供たちが大勢いた、ということを示すデータとしては、これ以上の説得力あるものはない。そして一番面白いデータともいえる。

何となれば、「前前前世」がかかっているその瞬間が最高点であるところである(5.13)。まさに日本映画史上屈指の再会シーン「カタワレ時」よりも高いのである(5.11)。
現代のお子様たちの方が、音楽の持つエンタメ性や盛り上げ、感情のコントロールというものに柔軟に対応していることが浮き彫りになる。実のところ私は初見の段階で、音楽性の優位度については余り論じてこなかった。それが顕著になったのは、サントラを購入し、聴いていくうちに、「あ、これってかなりシーンに応じた作曲しているんじゃねえか」と気が付き、製作委員会にRADの所属事務所を発見し膝をたたき、歌詞を咀嚼して一層感慨にふけったのである。
音楽の持つ映像との相乗効果を若年層は早々に見抜き、だからこそ、初動の大量動員を可能にしたのだ。中年世代や映画に無関心層に訴求するにはどうしても時間がかかったわけだが、いったんそのからくりに気が付き、没入できたら、もう怖いものは何もない。そこにあるのは、キチ縄氏を筆頭にする、複数回観ても飽きない信者・君縄オタの出現を見るのである。

さらに面白いのは、ラストシーンの出会いが、彼らには案外に写っているところである。数値は示されていないがグラフから読み取っても4ポイント台には至っていない。二人が二人して泣きながら出会うあのシーンが、それほどでもない、というのである。ここも面白い考察ができようというものだ。
彼らにとって「素直な出会い」は、今までの苦労からすると、拍子抜けに映ったんではないか、と思うのだ。もちろん、大団円であり、それを否定する数値でもない。だが、全体的な盛り上がりとは裏腹に、瀧が慟哭するシーンよりも低く抑えられているところに、彼らの「そんなことあるわけない」が具現化したんではないか、と思うのだ。
もし彼らが、鬱エンド…秒速的なすれ違いで終わっていたとしたら…あるいは、それすらかなわず、出会えていなかったとしたら…評価はかなり変わっていただろう。「会える」エンドは当初からの設定のようなので、そうなることは微塵も確率としてなかったわけだが、当たり前のように映る大団円が意外に映らなかったのは、新海氏のそもそもの手法を知らなかったことによるところも大きいとみる。

このサイトの考察ではCMにも興味を示していたとある。クロスロード、白戸家入れ替わりバージョン、更に上白石萌音出演の政府広報。全体的にCMの際に席を立つのが当たり前な中にあって、数字が突出しているところはなかなかの解析である。
CMまでまともに見られる地上波初放送。10代のみかもしれないが、訴求出来たところは企画サイドの成功事例といえるだろう。

まだ書く。
この10代の視聴質グラフ考察でなくてはならないのが、山谷の半端のなさである。これについては何も書かれていない。ちなみに最低を記録しているのが、22:13ごろのCM。全世代数値で記録していない1ポイント台を大きく下回っている(0.8くらいか?)。
一般平均を大きく突き抜けるグラフがどうして現れるのか。それは、興味を持つ対象に対する関心の高さ/無さが如実に表れているから、と見ている。ストーリーが手の内に入っている10代も多いはずであり(あの観客動員で、逆に見ていない10代がどれほどいたのか、逆に調査したいところだ)、「そうそう、ここ、ここ」「あ―これ、アカンん奴や」「入れ替わってるどころか成りきってるぅぅ」にまでさせてしまった作品力のなせる業だと思っている。
年代別に迫ったことで、やはり、この作品は、若年層に親和性が高く、今までの陰鬱な作風とも違う側面が新鮮・斬新に映った結果が、大量動員を可能にしたのだということが言える。