2月は、結局、鑑賞は全て公開初日になった。以前にも書いたが、そんな、一種映画ファン的な動きなど、去年の今頃では考えられない出来事である。
スリービルボード、ロマンス劇場、グレイテストショーマン。全て実写であり、残念ながら、どれも当たりとは感じられなかった。それでも、映画・スクリーンの魔力にとりつかれた私。
今週も、そんなわけで土曜日封切りの本作品を鑑賞する。
良作という試写段階の評価は、結構私をあと押ししてくれた。ハズレでないとわかった以上、行くしかない。向かった先は、君縄初回鑑賞のTOHOシネマズ西宮OS。仕事も早々に切り上げ、券売機に対峙する。
だが…満席には程遠い入れ込みでがっかりする。最終的に300人箱で60人弱。せめて3割、100人程度は期待していたのだったが、少し拍子抜けする。君縄の時、空き席を血眼になって探していた時とは雲泥の差である。
ただ、カップル/グループも散見。いずれもが、監督の前作とかに触発されたと思しき20代後半から30代勢。40代以降の観客は数えるほどで、実際50歳の当方がトップレベルの年齢ではないかと思ったくらいである。平均は30代前半。男女比はほぼイーブンながら、ソロ男性の数でやや男性優位と言ったところか。

さて、本作の鑑賞記は、早速結論から書かせていただく。
「控えめにいって、良作」である。
そして今作は、敢えて、採点をしないでおくことにした。もちろん、それには理由がある。これは、画面の中の人たちを描いた映画ではなく、「観た人の感情に直接訴える類の映画」だからと感づいたからである。
生と死は、人間に避けて通れない性である。年を取ること、成長すること、家族を持つこと…そして死んでいくこと。そのすべてを見守る、ゆっくりしか年を取らない種族がいたとしたら…この作品の主題は、この一点に絞られる。機を織ることしかしない種族。彼らは、男女の性差すら曖昧である。だが、そこに、権力の横暴が征服をたくらみ、主人公は、想いもかけず「外の世界」を知ることになっていってしまう。
人間とこの種族の関係は、まさに、人間とペット/動物の関係に等しい。その部分も序盤で提示され、わかりにくく思っている人にもすんなりと腑に落ちさせる仕掛けがしてあった。ただ、前半は、エリアルを成長させようとする部分でもあったわけでやや強引な展開もなくはなかった。
中盤以降は、成長するエリアルとどういう関係を世間的に構築しないといけないのかを悩み、苦悩するマキアが描かれる。だが、そのときどきで魅せる絶妙な掛け合いとセリフに涙腺がたびたび励起させられる。
青年になったエリアルを描いた後半は、まさしくお涙頂戴を地で行くストーリー仕立てにしてある。列強に攻められる、防戦一方のエリアルたち。だが、その裏では、エリアルの妻が必死の戦闘・・・出産に対峙していたのだった。そこに立ち会うマキア。生と死の交錯する、戦闘シーンと出産シーンのコラボは、絶妙を通り越して、賛辞しか出てこない。このシーンを見た時に、「あ、これは採点とか、野暮ですわ」となったのである。
最後。マキアはエリアルの元を去っていく。それでも、そこに寂寥感も悲壮感もない。彼女は強い”母”を遂に演じ切り、新たな家族を迎えたエリアルを称え、離れるのだった。

エリアルの今わの際に立ち会うマキア。正直、あってもなくても、というところだったが、回想シーンで泣かせにかかるところは反則か?それでも、長老の言葉に反して「愛を知れてよかったです」と2回繰り返したエンドは完全に感情を持っていかれる。

実は、この作品の最初の泣かせどころは、エリアルとの最初の出会いにある。死をもって赤子を護ろうとした産みの母親の手をひきはがそうとするマキアの描写。ここで一気に私はつかまされた。運命的な出会いの前に立ちはだかる、最初の壁。まさに自らでもぎ取ったエリアルをどう育てていくのかが見ものでもあった。
もう少し、弛緩するべきところがあってもよかったのに、と思ったのも偽らざるところである。とにかく笑いが少なすぎた。減点するならこのあたりかと思う。

だが!!
この作品が持つテーマは多岐にわたっている。大枠的には「生と死」なのだろうが、家族とは何か、母親とは何か、死が訪れないことは果たして幸せと言えるのか…様々な論点が持てる作品であることは間違いない。
そして冒頭にも言ったが、この作品は、観る人によって…男性か女性か、親かそうでないか、年齢は、生まれ育ちは…感じ方が大きく変わっていく作品なのである。そのせいもあって、刺さる部分が多い人にはめちゃくちゃ号泣できるだろうし、そうでない人でも、共感できる部分がそこかしこにちりばめられている。
「あざとい…」私の第一声である。そりゃそうだ。ここまで、人物の生涯、半生を見せておきながら「お前らのことだぜ」と言われているのだから。

しいて得点をつけるなら、95点あたりだ。「ノーゲーム・ノーライフゼロ」は想定していない作劇で持っていかれたし、あの251秒、48人の咆哮などわしづかみにされる脚色が斬新であり、忘れられないものになる。「君縄」は、登場人物に成りきらせてしまう、独り言の多さ。これに音楽が乗ったからあそこまでヒットした。「キミコエ」は、なんのひねりもない中で、ダイアログだけで十分に感動を紡ぎ、ラストで大団円にできたから、評価も高い。
「想定外」「成りきる」といった要素はほとんどなかったこの作品。それでもジンワリと頬が濡れること幾たびか。良作を越える何かを持っていることは間違いない。

「キミコエ」クラスの、ヒットもしないまま埋もれていく類の作品ではないことも明らか。早晩、アニメ界隈がざわつくレベルの作品になることは確実だろう。というわけで、ようやく、2018年当方の映画鑑賞の中で暫定的ながら1位と言いたい作品が出てきた。