ここ最近のオタクたちの行動規範はかなり従前とは異なっているように思う。
例えば、「聖地巡礼」。今までは宇宙の果ての話か、架空の場所(あるいは世紀末www)でストーリーを組み立てていたりしたから、訪れようもなかったはずだが、現実の場所がモチーフになってアニメーションが作られ始めた1990年代後半あたりから様相が変わってくる。
次は「ファン倶楽部」。長年にわたり放送でき、1クールで終わるアニメは打ち切り以外皆無だった時代と、2クール以上放送するアニメの方が特異に映る現代とでは、ファンの捉え方も随分と変わっていて当たり前である。ファンを囲い込むといった丁寧なことをやっていられるほど、製作サイドに時間もお金もない。
そう言った事情は実像のあるアイドル系にしても、アニメーションとそれほど変わっていないはずである。あまりに輩出するグループ・構成人数が多すぎて、推し=率先して応援するには多すぎる。ファンクラブといった交流の場を事務所が用意する・できる状況は昨今の個人情報の絡みもあって、リスク管理の上でも難しく、AKSといったマネジメントがしっかりしているところくらいしか思い浮かばない。賞味期限も年々短くなっているように思うし、何より、「知らない方が圧倒的」ってどうか、とさえ思う。

その一方、ファンたちは、SNSで繋がっている。むしろそれで十分なのだろう。会費を取ってまで倶楽部構成員になるくらいなら、一回でも多くライブを観に行きたい。それがアイドル推しの偽らざる気持ちだろうと思う。

だが、今回のファンとアイドルとの交流を描いた一種の寓話は、私自身も身につまされて見てしまっている。
55歳ファンが孤独死 心配して自宅を突き止めたアイドル、亡くなったことを知り追悼ライブを開催 アイドルの有坂愛海さんの当該ブログがこちら。

彼…おっきゃんがどういう立ち位置にいたのか、文面からではわかりづらいが、かなり積極的に応援していたのではないか、と思うのだ。それこそ最前列で、サイリウム振り回しながら…ウム。55歳でそれはちょっと引いてしまうな。
でも、彼女からしたら、「お父さん」世代が身銭を切って、それこそ出席率100%近かったはずで、印象深かったのだろうと思う。なにより、金銭的な面もさることながら、応援、支援という言葉がしっくりくる。
おっきゃんには彼女がいて、彼女にはおっきゃんがいる。お互いに足りないものをお互いが補完する。その関係は、いつまでも続くと信じていたからこそ、二人は求めあわなかったのだ。
突然の関係の終焉に、言葉がまとまっていないさまがブログからもうかがえる。逆の立場・・・推していたアイドルの急死や解散・・・でも、喪失感が半端ないはずであり、彼女を襲った感情に同情を禁じ得ない。

私の中では、実は『映画化決定』なのだ。今のアイドルたちは、日向に出られるのはほんの一部。地下アイドルとして活動していたとしても奇行で解雇されるなどという暴挙に出てしまわれるほど、彼女たちの地位はあまりに危うくもろい。だからこそ、その刹那的なところに惚れる人が出てくるのだろうか。
この話を本当に短編映画ででもまとめてもらいたい。「おっきゃん」の供養にもなるし、今の日本の深く大きな闇だけれども、それはただの闇ではなくて、「明るい」ものだと世間に、世界に知らしめたいと思う。