私は、この作品の第一回目の鑑賞評として、これを結論に持ってきた。(斜体部抜粋/一部省略)

この作品・・・「リズと青い鳥」ほど、実写的な、いや、それをはるかに上回る映像表現力を持って世に問うたアニメーションは私は体験したことがない。(略)この作品を実写化することははっきり言って「不可能」だといっておく。それは、二人にどうあっても成りきれないからである。アニメーションがより実写的に人物を書いてしまった。亀さんではないが、「これは事件」である。

二人の寸劇に、音楽や仲間たちの葛藤も盛り込まれる、ほどほどに青春映画しているのかなあ、と思っていたら、初見の段階でガツンっっ!と鈍器で殴られたほどの衝撃を受ける。二人の関係性をことさらにクローズアップするのではなく、「リズと青い鳥」という作中劇に語らせるという手法を取る。
途中でリズは、青い鳥が化身している少女に「どこにも行かないで」という。これがいわゆる「籠の中に青い鳥を押し込めた」という表現につながっていく。だが、それを望んだのはリズと一緒にいたいとも願った青い鳥であり、また、正体を知ってしまったリズが彼女との生活をどうするべきか逡巡したシーンでもある。

リズとのことが大好きな青い鳥(の少女)。それは、今まで独りぼっちだったリズにとってもかけがえのない友人ができたに等しかった。独りぼっち…ここで観客はみぞれがリズだと早合点する。自由奔放な希美が青い鳥。だから、リズ(みぞれ)は青い鳥(希美)を離すまい、どこまででもついていく、「希美の決めたことは私の決めたこと」とまでに溺愛するのだ。
だが、新山先生の視点の倒錯は、二人の関係に大きな転機をもたらす。そう。青い鳥がみぞれで、希美は実はリズだというのだ。しかし、それがすんなりと入ってくると、直後の、鬼気迫るみぞれの演奏の"理由"がわかるのだ。気が付いている方が大半だろうが、練習の際のフルートの音はかなり際立っている。しかし、通し練習でのみぞれの圧倒的な存在感のオーボエの前に、消え入りそうな、それこそすべてを打ち砕かれたかのような希美のフルートは、立場が変わったことを如実に表している。彼女がこぼした涙のわけはそこにある。そして「籠の開け方を教えたのですか」という希美の独白とも整合性が取れる。

3回目にしてほぼ手の内に入ったとみられるこの作品。あの第三楽章は本当に感動してしまう。今回も、ウワっという感情に捉われ、頬を涙が伝う。そして今回は、フルートの悲しげな音にも涙腺が反応する。中学時代、誰ともかかわらなかったはずのみぞれを引き込み、自分は勝手気ままに動いていきながら、それでもみぞれからは慕われる希美。自分がみぞれを引っ張っていると思っていたのとは別の才能の開花。見切っていた新山先生の慧眼にも恐れ入るが、この演奏が魂の叫びであり、だからこそ周りをもざわつかせたのだった。

噛めば噛むほど味が出るまさにスルメのような映画。年に100本近く見られる「物語る亀」さんが、この作品は事件である、といった理由がよくわかる。興行とか、世の中の評価とかは無視してこの作品の良さというものに触れられただけでも満足である。